久しぶりに外出し、一駅手前で降りて歩いた。30分ほどかかったのだが、その時、道路にマンホールの金属製の蓋がずいぶん目に付くことに気づいた。
以前から自転車に乗りながら、漫然と「雨の日はマンホールの蓋がすべるから気をつけなくては」と思ってはいたのだ。
なんだか急にどのくらいあるのだか気になってきて、どうせ歩いているだけだし、見回して美しい景色ではなし、いっそ数えちまおうと思った。小人閑居して不善をなす、暇人散歩して不自然をなす。
数えた奴も奴だが、徒歩ほんの12,3分のところにいったいいくつあったと思いますか。100個を超えるマンホールの蓋があった。
これを開くとどうなっているのか、注目したことが無かったので知らない。ヨーロッパのマンホール事情にも詳しくないが、こんなにどっさりは無かったのではないか。
何のためにあるのかといえば、もちろん上下水道管などの保守点検だろう。ヨーロッパの下水道は、マンホールを開けて中に入ると、天井が高くて、そこを自然の川のように流れている。映画などで知る限りそうだ。
日本も東京のまん真ん中に行けばそうなのかな。
宇井純さんの本で、ヨーロッパの昔からある中央集中型下水施設は効率が悪い、とあった。天井の高い下水道はパリとかの大都会に見られるもので、決して模範にするものではない、といった内容だったはずだ。たしか栃木県のどこかに宇井さんの「設計?」による下水処理施設があったのではないか。
僕は下水に大いなる関心を持っているわけではなくて、ふと都市の機能を知りたくなったときに上記の本を読んだ。
マンホールからそれてしまうが、電線を地中に埋めてしまったらどんなにさっぱりするだろう。我が家から少し歩いたところでわき道がほんの少し下って、その先に丹沢連山が望めるところがある。
この角度で見える丹沢連山は、ドイツのガルミッシュ・パルテンキルヒェンという町を思い出させる。家並みの薄汚れたところを見ないようにすれば、なかなかどうして、美しい景色だ。ガルミッシュはリヒャルト・シュトラウスが住んでいた町だ。昔訪れた後にそれを知った。でも、なるほどシュトラウス好みだ。丹沢を望む薄汚い町は別に僕好みではないよ。断っておく。
ガルミッシュを思い出させるとはいっても、広く開けた空を幾重にも横切る電線が邪魔だ。電線とアンテナを見ないように目を細めてみると、本来の眺めが分かる。もったいないことだ。
バブル絶頂のころ、経済界(コーヒー界もあるんだぞ)のお偉いさんたちの座談会で、電線の地中化について言及していた。日本中の電線を地中化すると何兆円だかが必要で、僕はびっくりして、これは無理だなと思った。
しかし経済界ともなると話はでかい。「なんだ、たったそれだけでできるんですか」という人がいて、誰もその発言を咎めたりしなかったところをみると、何兆円という額は問題ではなかったのだろう。
電線を埋めると、地震の時にライフラインの復旧が遅れる、というのが公の言い分らしい。でも、大地震が来たときの危険のひとつが垂れ下がってくる電線なんですよ。我が家から見える電線がぜんぶ垂れ下がったら、まあ恐ろしくて避難どころではないな。地中化されていればとにかく逃げられるではないか。あんまりバカらしい言い訳をしないで貰いたいね。
だいいち、今では大抵の県庁、市庁の近辺は地中化されているだろう。
で、マンホールだが、あんなたくさん蓋ばかり付けた理由はなんだろう。うなぎの寝床というでしょう。次々に当初の計画外の部屋をつぎはぎしてそうなってしまうのだろう。先日のビデオ喫茶も、無計画に部屋を増やして通路を塞いだらしい。あんな感じに掘っては蓋、掘っては蓋、と増え続けたのだろうか。
いつもの風景の中にも、本当の姿は分からないものがいくつもある。もしかしたら「マンホールの蓋界」というのもあるのかもしれない。もっと早く気づいて蓋製造業になっておけばよかった。
以前から自転車に乗りながら、漫然と「雨の日はマンホールの蓋がすべるから気をつけなくては」と思ってはいたのだ。
なんだか急にどのくらいあるのだか気になってきて、どうせ歩いているだけだし、見回して美しい景色ではなし、いっそ数えちまおうと思った。小人閑居して不善をなす、暇人散歩して不自然をなす。
数えた奴も奴だが、徒歩ほんの12,3分のところにいったいいくつあったと思いますか。100個を超えるマンホールの蓋があった。
これを開くとどうなっているのか、注目したことが無かったので知らない。ヨーロッパのマンホール事情にも詳しくないが、こんなにどっさりは無かったのではないか。
何のためにあるのかといえば、もちろん上下水道管などの保守点検だろう。ヨーロッパの下水道は、マンホールを開けて中に入ると、天井が高くて、そこを自然の川のように流れている。映画などで知る限りそうだ。
日本も東京のまん真ん中に行けばそうなのかな。
宇井純さんの本で、ヨーロッパの昔からある中央集中型下水施設は効率が悪い、とあった。天井の高い下水道はパリとかの大都会に見られるもので、決して模範にするものではない、といった内容だったはずだ。たしか栃木県のどこかに宇井さんの「設計?」による下水処理施設があったのではないか。
僕は下水に大いなる関心を持っているわけではなくて、ふと都市の機能を知りたくなったときに上記の本を読んだ。
マンホールからそれてしまうが、電線を地中に埋めてしまったらどんなにさっぱりするだろう。我が家から少し歩いたところでわき道がほんの少し下って、その先に丹沢連山が望めるところがある。
この角度で見える丹沢連山は、ドイツのガルミッシュ・パルテンキルヒェンという町を思い出させる。家並みの薄汚れたところを見ないようにすれば、なかなかどうして、美しい景色だ。ガルミッシュはリヒャルト・シュトラウスが住んでいた町だ。昔訪れた後にそれを知った。でも、なるほどシュトラウス好みだ。丹沢を望む薄汚い町は別に僕好みではないよ。断っておく。
ガルミッシュを思い出させるとはいっても、広く開けた空を幾重にも横切る電線が邪魔だ。電線とアンテナを見ないように目を細めてみると、本来の眺めが分かる。もったいないことだ。
バブル絶頂のころ、経済界(コーヒー界もあるんだぞ)のお偉いさんたちの座談会で、電線の地中化について言及していた。日本中の電線を地中化すると何兆円だかが必要で、僕はびっくりして、これは無理だなと思った。
しかし経済界ともなると話はでかい。「なんだ、たったそれだけでできるんですか」という人がいて、誰もその発言を咎めたりしなかったところをみると、何兆円という額は問題ではなかったのだろう。
電線を埋めると、地震の時にライフラインの復旧が遅れる、というのが公の言い分らしい。でも、大地震が来たときの危険のひとつが垂れ下がってくる電線なんですよ。我が家から見える電線がぜんぶ垂れ下がったら、まあ恐ろしくて避難どころではないな。地中化されていればとにかく逃げられるではないか。あんまりバカらしい言い訳をしないで貰いたいね。
だいいち、今では大抵の県庁、市庁の近辺は地中化されているだろう。
で、マンホールだが、あんなたくさん蓋ばかり付けた理由はなんだろう。うなぎの寝床というでしょう。次々に当初の計画外の部屋をつぎはぎしてそうなってしまうのだろう。先日のビデオ喫茶も、無計画に部屋を増やして通路を塞いだらしい。あんな感じに掘っては蓋、掘っては蓋、と増え続けたのだろうか。
いつもの風景の中にも、本当の姿は分からないものがいくつもある。もしかしたら「マンホールの蓋界」というのもあるのかもしれない。もっと早く気づいて蓋製造業になっておけばよかった。
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