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 季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

様式感

2013年12月06日 | 音楽
様式感、演奏に関係してしばしば使われる言葉だ。

君の演奏には様式感が欠けている、等。

言われた方は(ふつう)自分の感覚の浅さを反省ししょげかえる。

まぁ当然の反応だ。言われて「なんだ、ふざけるな」と憤慨する学生ではちと困る。

その上でひとつ。

演奏における様式感なんて深遠なことは僕には分かりかねる。

もう少し正直言うとね、こうした言葉をペロリと簡単に使う人は(多分)本人も何を言っているか分かっていないと思う。

様式感、様式美とは何か。そんなものは無いのか?

それはある。

しかしそれがどういったものであるか、言葉にするのは殆ど不可能なほど微妙なものである。

例としてバロック時代を思い出してみよう。

絵画の分野での大巨匠、ルーベンスとレンブラントが同じバロックの人だと簡単に言えるだろうか?

あまりにも違う両者の作風から何かしら共通した息吹を探る。いわく言い難いが確かに共通した動的な強さを感じる。レンブラントが動的だって?そう、あくまで僕自身の感触だが。内部から突き上げてくるエネルギー、そんな感じ。

当否はともかく、僕がそれについて軽々に口にするのを躊躇うのは当然である。そんな微妙なことをペロリと言える神経を僕は信じない。

バロックをわけ知り顔で語る。それでいて「バッハはきちんと弾くべき」とか、いったい何人の口から聞いたことか。

そう信じていることは構わないけれどね。その場合だって具体的に言える。君のバッハはテンポが揺れすぎた、とかさ。

他の例を出しても良い。モーツァルトの初期作品について「少し重すぎる、ロココの装飾を見たりしてごらん」こんな忠告だったらあり得るだろう。それをいきなり」様式感を持っていない」と言われたってなあ。

かように世の中には便利な(つまり言われた方はしょげ返るしかない)言葉がごまんとある。ピアノを弾く人にだったら「無駄な力がまだ入っているね」「タッチがなあ」とでも言えば言ったもの勝ちなのは請け合うよ。誰でもどこかしら怪しげな感じだけは自覚しているから、ドキリとする。

そんな怪しげな処を怪しげな人が怪しげに突っついてはいけないのである。

様式感だって同じだ。こんな言葉は胸の奥にしまっておくべき言葉だ。

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