帰り前に涼んで行こうということでチャンドラーの2階に寄りました。妻のダイキリと小生のファジーネイブルはすぐに出たのですが、次男のアイスとケ-キが待てど暮らせど来ないので、O型のワイフもさすがに痺れを切らして、アイスはキャンセル、ケ-キはテイクアウトして出てきました。販売チャンスを逸してもったいないです。
帰り前に涼んで行こうということでチャンドラーの2階に寄りました。妻のダイキリと小生のファジーネイブルはすぐに出たのですが、次男のアイスとケ-キが待てど暮らせど来ないので、O型のワイフもさすがに痺れを切らして、アイスはキャンセル、ケ-キはテイクアウトして出てきました。販売チャンスを逸してもったいないです。
ついに熱湯青森の中、たどり着いたのはまたまた小生のまちなか隠れ家です。意外にも死角になります、カウンターでゆったりと涼みながら食べてます。今夜は花火大会のあとの予約で混みそうです。定食には味噌汁のほか、みずのゴマ和え、まぐろのやまかけなどもついてヘルシーです。外の灼熱地獄とは別天地であります。まちなかオアシスです。ちなみに日本酒は飲んでません。飾ってあるのを写メしただけです。
ふらりと昼飯のつもりが、ねぶた囃子に誘われてブラブラと来たら、柳町の交差点で偶然にラストランの青森青年会議所のねぶたに遭遇しました。隠れて写メを撮っているところを先輩に見つかり恐縮しております。さらに駅へ方面へ歩いて行きました。豪華客船「飛鳥Ⅱ」も停泊しているせいか、新町は人だらけ。売店や飲食店も混んでました。いつもこうだといいのに…。新幹線開業効果が楽しみです。
どうしようもないわたしが歩いてゐる
「無駄に無駄を重ねた一生だった。それに酒を注いで、そこから句が生まれたような一生だった」
11才の時、母が井戸に身を投げて自殺。父は放蕩三昧で妾宅通いをして、財産を食いつぶし、やがて弟と自殺。
自らも妻子を熊本に捨てて東京へ出る。その後、得度して44歳で托鉢行脚の旅に出る。
1940年、松山市の「一草庵」で生涯を閉じた。享年57歳。
酔ふては
こおろぎと
寝てゐたよ