⬛️「わたし」である⬛️
残念なことに若者の自殺率が高い日本ですが、死を望む若者自身、自分がなにに悩んでいるかの実体が分かっていないことが多いそうです。
警察庁の統計では、複数の動機や原因が挙げられています。また、30代以下の3人に1人は自殺の原因がわからないままだと言います。とくに理由がないまま、漠然と「死にたい」と思い実行にうつしてしまう・・・生につなぎとめるものはないのでしょうか。
国にせよ、国内であれ、自殺の少ない地域があると言います。そこでの特徴のひとつが、緩くて多い人間関係だそうです。たくさんの人との関わりの中で、さまざまな人がいることに気づく=偏見がない。緩い関係は緊張をはらむこともなく、緊密さの中に入れない人(孤立)を生まない・・・というのです。右に倣えではなく、人の数だけある人生を、自分は自分であると堂々と生きることができれば、自己肯定感につながりますね。そういう意味で、葬儀に参列することは、感謝と気づきの場であると言えます。冠婚葬祭は「人間関係の接着剤の接着剤」というのが私の持論です。
15歳の少女が、面識のない母子を刃物で刺すというショッキングな事件が起きました。人を殺してまで死にたい(死刑になりたい)という理由がどこまで現実味のあるものなのか。
動機のあいまいな殺傷事件があとをたちません。「身勝手な犯行」「心の闇」と報じられますが、自己確認型犯罪という呼び方もあります。自分が確認できない。生きている実感がない。この世界に自分をつなぐものが見えない…。なんとも言えない気持ちになります。
近年、少年犯罪であっても、犯罪者やその家族、近しいものを特定して断罪する(特にネットですね)ことが増えてきました。悪と正義を明確に分けます。そうして断罪する「わたし」は社会(世界)の外にいます。この社会、この世界とは、つまりは「わたし」である。そういう意識が薄れていくことに危惧を抱かずにいられません。「わたし」(の愛)が、呼吸しやすい世の中を創造しましょう。