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節分の日の午前12時に起きて昨夜見逃したDVDを1人書斎に引きこもり鑑賞してます。
~RABテレビが伝えた青森~
昭和34年10月1日。RAB開局以来保管されているフィルムライブラリ-から厳選した貴重映像です。時まさに「高度経済成長期」。現在に比べるとまだまだ暮らしは低いですが、心豊かでエネルギッシュです。小生もまた池田勇人首相が「所得倍増計画」を打ち出した昭和35年(1960)に小泊村に生まれました。映像の中に、小泊小学校・中学校合同運動会の映像がありました。太宰治が小説「津軽」の中で、育ての親・越野タケさんと運動会グランドで再会するシ-ンは有名です。
昭和40年代の青森ねぶたまつりの映像にまつりの変遷を見て、形は変わっても地域コミュニティーの原点であると再認識しました。
昭和43年(1968)5月17日午前9時48分53秒に発生した「十勝沖地震」の映像は生々しい災害の様子を伝えております。小生は後潟小学校3年生で校庭に避難したのを覚えております。
昭和42年(1967)に放映した報道特集「豪雪」は69年ぶりに150センチの積雪に悲鳴をあげる青森県内の年末年始の様子を報道しております。我が家の本家がある平内町清水川の豪雪の様子は凄まじいシ-ンでした。「これだらどもなね!」という声は今年の豪雪にも耳にする偽ざる青森の人々の嘆き節でした。
懐かしい映像に、自分自身が齢を重ねて50年が過ぎようとしているのを実感できると同時に、一抹の哀愁と郷愁を感じました。まさに昭和は遠くになりにけり。あの頃に帰りたい…帰りたくない…。青森は我がふるさとです。「あの瞬」第2弾を期待しております。
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