最近はマスコミやら出版物などで葬儀の在り方を問われてます。なぜ葬儀をするのか、明確に我々が言えないとますます葬式不要論者が増えてくるでしょう。冠婚葬祭儀式は目的ではなくて手段であります。人間関係の絆をしっかりと接合するための装置だと小生は考えます。儀式儀礼を粗末にする国家は滅びると孔子も言っております。逆にいろんな議論が出てくるのはいいのかも…。死を見つめることはよく生きることであります。死生一如.
「5つの誓い」
口は人を励ます言葉や感謝の言葉を言うために使おう
目は人の良いところを見るために使おう
耳は人の話を最後まで聞いてあげるために使おう
手足は人を助けるために使おう
心は人の痛みが分かるために使おう
今日も少しでも子どもたち、出会う人たちの、ドリー夢メーカーであれるよう命を使い喜ばせます。素敵な出会いが待っています。(腰塚勇人先生)
感謝をこめて
人生とはいつも自分に問うことだと思います。
「仏道をならふというは、自己をならふなり」(道元禅師)
素敵な人に出会いたいなら、自分が素敵な人にならないとネ(o~-')b感応同交。
日頃の自分磨きを怠らないことです(^o^)/日日是道場。
なにかやって失敗したりすると、その失敗したことにこだわってくよくよ悩んだり考え込んだりするものだ。そんなことはいっさい気にしちゃだめなんだよ。悩んだり考えこんだりする時間があったら、もう一度その失敗したことをまったく新しい気持ちでやってみるんだ。どんなことがあっても、自分がまちがっていたとか、心をいれかえるとか、そういう卑しい変節をするべきではない。一見、謙虚に見えて、ごま化しであるにすぎないのだ。(岡本太郎『強く生きる言葉』)
岡本太郎先生。大好きです。今、落ち込んでいるときに、この「失敗」という項目の文章に巡りあい励まされてました。ありがとうございます。なんでもやってみなはれ精神で残り短い余生を懸命に生きます。ふなっしー。