e411y(回顧録)

e411yの旅でのことを書き残しておきたいと思います。

ロダンの“考える人”

2010年08月25日 | フランス
先日、ロダンの“考える人”がTVに流れていた。

ロダン美術館の“考える人”の像の下に 

ロダンが眠っているという映像。

私たちが バスの車窓から見た“考える人”は

ロダンの墓碑だったのか・・・知らなかった。

写真では三角形の形をした木の

左から二番目の木と三番目の木の間に、

チラッと背中を向けて

座っているはずなのですが・・・

彼はいったい何を考えているのでしょうか?

いい考えは浮かんだのでしょうか?

私の悩みは・・・


今度 パリに行けたなら訪れたい場所の一つです。

「写真;ロダン美術館」


ムーラン・ルージュ

2010年08月25日 | フランス
パリの夜 何が記憶に残ってる?って聞かれたら

答えは迷わず “ムーラン・ルージュ”!



わざわざルーブル美術館から歩き

途中でラーメンも食べて

パリの雰囲気満喫し

オペラ座の前で記念撮影もして

緩やかな坂道をモンマルトルの丘に向かって歩きに歩き・・・

遂に目的の 風車のネオンがあるお店を発見!

でもお店の前の道路にパトカー多数?

咽の渇きと時間潰しに 隣の店でコーラ飲み

外の様子を眺めてた。

その店内で 隣に座った顔を腫らせた若い女性を見たら

“ムーラン・ルージュ”の踊り子さんだと思い込み

顔は商売もんやのに・・・

お客さんとトラブルやろか? って勝手に心配してしまう・・・。

優しい心の 私たち・・・。

“ムーラン・ルージュ”のステージに

顔を腫らせた踊り子さんを必死で探したけれど

ついに発見出来なかった。

「写真;パリ ムーラン・ルージュ」


アルルの円形闘技場

2010年08月25日 | フランス
今回の旅で イタリアを感じたのは

“ローマの笠松” と 

“ローマ人の土木技術”。

アルルの町で世界遺産である 

“円形闘技場” を見学したとき。

日本ではあまり見ることのない

巨大な“石の文化”に。

これが紀元1世紀に造られた建造物であることに 

再び感動!

「アーチ」構造の力学 

どんな発想からこれが造れるの?

「写真;アルルの円形闘技場」


パリのラーメン店

2010年08月25日 | フランス
今回の旅が終わるまで

 “日本食のレストラン等には立寄らないで帰国しよう” 

って決めていた。

でも 旅の終わりの地 パリで・・・   とうとう我慢出来ずに・・・

あの日は ルーブル美術館を出てコンコルド広場を右(北)へ曲がり

目指すは 夜の“ムーランルージュ”!

旅の仲間と ワイワイ言いながらオペラ座方面へ 夕食の店を探して歩いてた。

ふと目に入ってきたのが・・・ラーメンの提灯・・・ 

目に悪い!って思ったけど みんなでメニューのショーウインドゥを覗き込む

「味噌と醤油と塩と・・・それに餃子と・・・」

店の前で 全員同じ思い・・・ 口に出来ずにやせ我慢・・・ 沈黙と思案の時間・・・

そこへ 店に入る日本人女性が 我々に声を掛けてきた。

「みなさん観光ですか?日本に帰ってから食べるのが一番美味しいのですよ!」

この言葉で 我々は店の前から移動せざるを・・・

それから 何分間か歩き・・・レストランを探すが・・・ 

頭の中は・・・ 口の中も・・・

みな同じ思い・・・ それは顔の表情と会話の内容で・・・

さすが約2週間 共に行動してきた同志 e411y!

後は 誰が勇気を出して 声に出すかのみ・・・

数分後 我々は先ほどの日本人女性の隣の席で

ラーメンと餃子とビールを注文していた。

(帰国したら もう一度京都のあのネギラーメンの店http://park2.wakwak.com/~kabura/imifu/akujiki/menbaka/menbaka.htm

にも行ってみたい とも思ってた。)

「写真;パリのラーメン店」






エレベーター

2010年08月25日 | フランス
あまり近代的な環境で生活していないので

この感想が適切であるのかどうか分からないのだけれど

今回の旅で エレベーターを利用した際の感想を2つほど・・・

まず1つ目は フロアーの表示が 

私が中学生のときに習った英語の教科書の通りで

向こうの国の1階は日本の2階であったこと。

何度か海外旅行してるのに 今回の旅で改めて感心したのも不思議だった。

それはイギリスの階の表示と フランスの階の表示が同じだったからかもしれない。

(イギリスとフランスの階の表示は違うのだと思い込んでいたのかも・・・?

 でも、今までの旅行はどうしていたのだろう・・・? さらに不安になってきた・・・ )

もう1つは フランス・マルセイユで4泊したホテルのエレベーターに

“ドアを閉める”というボタンが無かったこと・・

“ドアを開ける”というボタンはあったんだけど。

せっかちな私には 妙な感動と寂しさを伴ったマルセイユでのホテル生活だった。

日本で あの“ドアを閉める”というボタンを無くしたら

みんなはどんな行動するんだろうと想像するだけでも楽しくなってくる!

「写真;マルセイユのホテル」



キャリア教育

2010年08月25日 | フランス
今朝も朝食をとりながらTV観ていると

また フランスの若者たちが写っていた。

私たちは 今回の旅で

フランスのキャリア教育のいくらかを学ぶことが出来た。

http://blog.so-net.ne.jp/myjob/archive/c172023

だから 余計にニュースが気になる・・・

教育って 

不足している箇所を補うためにあるのだろうか?

それとも 

優れている箇所を伸ばすためにあるのだろうか?

それぞれ個人が 

それぞれの国で

それぞれの時代を生きるって難しいことだ。

「写真;マルセイユの中学校」


ボジョレー・ヌーヴォーとブルーチーズ

2010年08月25日 | フランス
先日、宴の席で何故か“ブルーチーズ”の話題になった。

私は直ぐにマルセイユのことを思い出して、一人思い出し笑いしてしまった。

私たちは今回の旅の途中で“ボジョレー・ ヌーヴォー販売解禁日”を迎えた。

私にとっては 特に大きな出来事ではないのだが、マルセイユのホテルに滞在していたときも 「やはりこの夜も“ボジョレー・ヌーヴォー”を飲もう!」ということになり 同室の相方と 近所のスパー“モノ・ポリ”へ買出しに出かけた。

今夜飲むボジョレー・ヌーヴォーを決めてつまみを探していると、現地の女性(30代半ばの美人)が話しかけてきた。 でも何を言っているのか分からない。すると その女性は私の相方の服を引っ張って彼女の目的の棚へ・・・

その棚はチーズコーナーで、あるチーズを指さして何か説明を始めた。多分これ(青い色したチーズ)を買うように言っているのだと 私たちは勝手に理解した。私たちは これがあの有名な“ブルーチーズ”だろうと顔を見合わせた。

さらにその女性は、私たちの横を通った男性の持っていたパンを指差し何か伝えようとした。とりあえず私たちは分かったふりをした。するとその女性は何処かへ行ってしまった。

その後 私たちは“ボジョレー・ヌーヴォー”と“ブルーチーズ”とあと少しのつまみ類等を手に持ってレジにならんでいると、先ほどの女性がやってきて何か言うなり 相方を連れて行ってしまった。私はあっけにとられてその場に立っていると、やがて相方は手にパンを持って戻ってきた。どうもあの女性はブルーチーズに一番合うパンを是非私たちに食べて欲しかったようである。

ホテルに戻って相方と“ボジョレー・ヌーヴォー”を開け“ブルーチーズ”と“木の実の入ったパン”を食べようとしたのだが・・・すぐに相方は“ブルーチーズ”の匂いが駄目だということで・・・隣部屋のe411yも呼んで“ブルーチーズ”に挑戦したのだが・・・結局“ブルーチーズ”は残ってしまった。

翌日は南仏プロバンス日帰りバス旅行!

私は他のe411yのメンバーに“スーパーで出会った女性”の話をしようと “ブルーチーズ”をビニル袋3重に包んでバスに乗り込んだ。でも・・・あのニオイで・・・バスの車中は・・・

「写真;フランスのスーパー」


若者の自殺

2010年08月25日 | フランス
先日 残念なことが起こってしまった

私の住む地域で 相次いで若者が2名 電車事故で亡くなった

高校生と大学生・・・

私はその二人と 昔 会話したことがある ・・・

今回の旅で マルセイユの高校を訪問したとき

日本語を第二外国語に選択した生徒たちと話をする機会を与えて頂いた

彼らは私たちに  様々な質問を日本語で用意して待っていてくれたが

その質問の一つに

“どうして日本では若者の自殺が多いのですか?”という 質問があった

暫らく考えたが 彼らを納得させるような的確な答えを見つけることが出来なかった

同じ頃 若者たちがホームレスを襲い火炎瓶を投げて死亡させるというニュースが報道された

ある解説者が「最近の若者は“生きる”ことへの拘りを無くしている。」と言っておられた

フランスでは今 若者たちが“ 生きる”ために デモや暴動を繰り返している

「写真;マルセイユ市内の高校」


エッフェル塔

2010年08月25日 | フランス
今日のニュースで

「新タワー推進プロジェクト」は、首都圏の地上デジタル用の電波塔「第2東京タワー」を、東京都の墨田・台東地区に建設することを決定した。カナダ・トロントのCNタワー(553メートル)を抜いて600メートル級の世界一の電波塔が誕生することになり、2010年末の完成を目指す。

って書いてあった。

一体どんなタワーができるのだろう?

エッフェル塔のような オシャレでカッコいいタワーを作って欲しい!

エッフェル塔のエレベーターが 

ああいうふうに昇るとは思ってなかったし

夜のなると あんな光り方をするとも知らなかった・・・

今話題の耐震強度は大丈夫?

でも 現在の東京タワーはどうなってしまうのだろうか?

ジョートルダム・ド・ラ・ガルド寺院

2010年08月25日 | フランス
マルセイユを見下ろす標高154mの高台の上にある美しい寺院

先日のN県人会の席でも 参加者から今回の旅で

“思い出深い場所”として話題にあがった。

それは 私の隣にSさんが座っていたからかもしれない 。

実はSさん マルセイユ滞在4日間で 

この丘の上の教会に4回通った(走って上った)。

ちなみに私は 3回通った(どうにか上った・最後まで走れなかった)。

すごい宗教心溢れる行動?

その甲斐あって 最後の朝 私たちはこの教会から

素晴らしい “日の出” を見ることが出来た。

今でも ホテルからこの教会までの複雑な道順を

瞼を閉じれば思い出すことが出来る。



ル・コルビジェ幼稚園

2010年08月25日 | フランス
ル・コルビジェ幼稚園はマルセイユのル・コルビジェが設計したユニデ・ダビタシオン(外観写真;1月23日ブログ) の最上階にあった。

幼稚園児の作品の色使いに日本との違いを感じた。

視聴覚機器も充実しており、椅子のデザインもカワイイ。

机も壁も作品もそこにあるもの全てが、フランス、ル・コルビジェって感じに見えたきた。

屋上へのスロープもル・コルビジェの設計、勿論トイレも。

最後に子どもたちが調理実習で作ってくれたケーキを頂いた。 焼きたてでオイシカッタ・・・。

その後、住宅見学(写 真:2月7日ブログ)を行い、ユニデ・ダビタシオン内のレストランで昼食。

さらにレストランとなりのホテルの見学を行った。

今日はこれくらいで・・・。


ルーヴル美術館Ⅱ

2010年08月25日 | フランス
あの日、ルーヴル美術館で“ミロのビーナス”の周りを何周かした後、大急ぎで今回の旅の一番の目的“モナリザ”の許へ。途中で大変有名な“サモトラケのニケ”に出会ったのだけれど、そこは周りは2周ほどしただけで、心は“モナリザ”・・・。

ドノン翼2階を西へ、私の大好きなダ・ヴィンチの絵が数点見え出した時には何故か心臓がドキドキ。もう直ぐ会える!長年待ちわびていたかのように・・・?(自分にとって今回の旅行そして旅行先の希望が叶うことは突然・偶然の出来事だった。) 確か“モナリザ”は最近引越したらしい。ごく普通の場所から特別な部屋へ変わったと聞いた。ダ・ヴィンチの“聖アンナと聖母子?”を観ているのに“モナリザ”が浮かんでくる。そして北側の部屋を覗くとそこには約20~30人位のルーヴルでは珍しい人込みが見えた。直感で“モナリザ”だと感じた。私は“モナリザ”に近づいていった。本当にドキドキしていた。それは「実物を見てガッカリしたらどうしよう・・・」という不安も混じっていたような気がした。20分ほど“モナリザ”の前にいただろうか。ガラスが私と“モナリザ”の直接の対面を遮るのが残念だった。細かなところが光の反射でよく見えない。 他の物も見たいという気持ちでその部屋を出ようとするが、何度も振り向いてしまった。ドノン翼2階の先端まで到着したのだが、大急ぎで“モナリザ”の許へと戻ってしまった。この行動は他の階、他の翼に行っても同じでその都度“モナリザ”が気になり、どんなに遠くても戻って行ってしまった。3時間ほどルーヴルにいたのだが、計6回くらい、通算すると1時間は“モナリザ”の前にいたのだと思う。

今思ったことだが、以前ブログに書いた“カルバン・クラインの広告”がダ・ヴィンチの“モナリザ”と何処か私の心の中で重なっていたのかもしれない。出来ればもう一度でいいから“モナリザ”に会えないだろうか。



サント・ビクトワール山

2010年08月24日 | フランス
あの南仏プロバンス一日バス旅行の日、最終見学地のエクス・アン・プロバンスからマルセイユに戻るバスの車内から、夕日に赤く輝く山が見えた。

思わず“アッ!あの山!”って声が出てしまった。

その山は有名な画家の絵によく描かれていた山だった。

描いた画家は多分・・・。

これが絵の知識の少ない証拠。

その山はおそらく白い岩石で出来た山だから、石灰岩質の山なのだろう。

塩酸をかけると二酸化炭素が発生する。

「写真;セザンヌのアトリエ」



化石を含む可能性が大きい。(昔、滋賀県彦根の山中にアンモナイトを探しに行き、石灰岩を手が痛くなるまでハンマーで叩いたけれどフズリナしか分からなかった。ウミユリが含まれてても私には分からなかった。)

この山はおそらく、大昔の地中海の海底に堆積したものが隆起して現在山となっている。

これは大陸移動によって地中海が狭められた結果である。

こんなことを言っても、どこにも絵心がない・・・。

どうしてすぐにセザンヌが出てこないのだ!

今は彼のアトリエを見学した帰りではないか・・・。

夢中でカメラに収めようとしたが、木にそして建物に邪魔をされ最後は道路の防音壁と夕闇が山を消してしまった・・・。


モネの睡蓮

2010年08月24日 | フランス
今回の旅、パリ・オルセー美術館でモネの『睡蓮』を見ることが出来た。

やはり本物は美しい。

池の水面に咲く睡蓮の花と葉、そして波と光・影その色彩の微妙な取り合わせ・・・。

美術のことはよく分からないが何も専門的な知識が無くても“美”は分かる。

オルセー美術館でモネの『睡蓮』を観ながら、2年前の夏、大変な目に遭った四国巡礼の旅のことを思い出していた。

2年前の夏はいくつもの台風が日本列島に上陸した。

8月初め、紀伊水道を小さな台風が北上し日本海に出たのを確認してから、自宅を車で四国へと出発した。

高速を快調に走り、淡路島に渡ろうとした時、『大鳴門橋・強風のため通行止め』の表示。

行けるところまで行ってみようと車を走らせとのだが、結果、渋滞の列に挟まれてしまった。

かなりの時間待ってようやく開通したのだが、徳島で一般道に降りると『室戸方面冠水のため通行止め』の表示。

すぐに高速に戻り高知へ向かうことに進路変更。

高知道も大雨となり、トンネルを出た瞬間に目の前が何も見えない、ワイパーなんて無いのと同じ、まさにバケツの水を・・・の状態が続いた。

結局、高知市の手前の南国市で高速を降ろされ一般道で付近のお寺から巡礼を再開した。

この日は高知市内のホテルに泊まったのだが、一晩中激しい雨が降り続いていた。

翌朝、ホテルのTVで四国道(高速)通行止め、国道55号(徳島ー室戸岬)も通行止めのニュースが流れていたが、とりあえず帰宅の目途も立たないままに目的の室戸岬・第24番札所最御崎寺目指して出発することにした。

そして室戸岬の少し手前、高知県北川村で“モネの庭”の看板を発見し昼食を摂りに立ち寄ることにした。

そこで台風通過で庭は乱れてしまっていたが、綺麗な睡蓮の花を見ることが出来た。

嵐の去った後(いや、まだ最中)の花は特に美しかった。

そのとき嵐の中の高知・室戸岬を巡りながら本物のモネ『睡蓮』を観たいと思った。

そしてさらに自宅に無事帰ることが出来たら睡蓮の花を咲かせてみたいとも思った。

本当に大変なドライブだった。


播種

2010年08月24日 | フランス
昨日の午後は趣味の園芸、“竹薮の手入れ”。

春になったらタケノコが出やすいようにと竹薮の手入れをしていました。

竹を間引き、片付け、下草などの掃除をし結構身体を動かしました。

美味しい筍が食べれますように・・・。

皆さんは筍の先の部分と根っこの部分とどちらが好きですか?

さらに今年は春になったら “マルセイユの思い出” を蒔きたいと思っています。

マルセイユの小学校で選抜された女子が体操の特訓していた体育館に行く時、イブキのような木の生け垣の横を通りましたよね。

その木の実から出てきた種子を蒔こうと思っているのです。

自宅には昔家族旅行でローマ・カラカラ浴場で拾ってきて蒔いた松も大きくなってきています。

松の芽生えって綺麗でしたよ。

今度はどんな芽生えがあるんでしょうか。

春が楽しみです。