e411y(回顧録)

e411yの旅でのことを書き残しておきたいと思います。

福井県原子力環境監視センターへ

2011年07月31日 | 建築物
福井県の環境放射線モニタリングは、衛生研究所(現在の衛生環境研究センター)において、昭和32年に大気圏核実験を対象にした放射能測定に始まり、昭和37年に敦賀半島に原子力発電所の建設が決定したことを受け、昭和39年には事前の放射線量や農作物、海産生物等の放射能測定を開始しました。
 その後、衛生研究所に放射能課(福井市)と環境放射線監視センター(敦賀市)が設置され、以来、モニタリング体制の充実・強化を図ってきました。
 平成7年に県内15基目となる高速増殖原型炉もんじゅが試運転を開始するにあたって改組が行われ、現在の福井県原子力環境監視センターが発足しました。
http://www.houshasen.tsuruga.fukui.jp/

環境放射線モニタリングの基本的な目的は、周辺住民等の健康と安全を守るため、原子力発電所等に起因して受ける線量が、法律に定められた一般公衆の年間の線量限度(1ミリシーベルト/年)を十分に下回っていることを確認することにあります。

 原子力発電所から放出される放射性物質は法律により厳しく規制されていますが、福井県原子力環境監視センターでは、原子力発電所周辺における空間放射線の監視や環境試料中の放射能分析を行い、周辺環境の安全を確認しています。その具体的な内容については次のとおりです。
• 空間放射線量率および空気中の浮遊塵(ふゆうじん)放射能濃度の連続監視  
• 空間放射線の積算値(積算線量)の測定  
• 大気中のちりや雨など、降下物の放射能分析  
• 水道水、河川水、陸土、植物、農作物など、陸上試料の放射能分析   
• 海水、海底土、海草、海産生物など、海洋試料の放射能分析

ナトリウム

2011年07月30日 | 薀蓄
ナトリウム (独: Natrium、英: sodium) は原子番号11の元素。元素記号は Na。アルカリ金属元素の一つで、典型元素である。医薬学や栄養学などの分野では英語のソジウム(ソディウム)で呼ばれることもあるが、実際の英語読みはソディアムに近い。又、ナトリウムの単体金属を指す。消防法第2条第7項及び別表第一第3類1号により第3類危険物に指定されている。

常温、常圧での結晶構造は、BCC 構造(体心立方構造)。融点は98 °Cで、沸点は833 °C。比重は0.97で、わずかに水より軽い。

非常に反応性の高い金属で、酸、塩基に侵され、水と激しく反応する。素手で触れると手の表面にある水分と化合し水酸化ナトリウムとなって皮膚を侵す。さらに空気中で容易に酸化されるため、保存する時は灯油に浸ける。

灯油等を保存液体として使用する。
イオン化する時は一価の陽イオンになりやすい。炎色反応で黄色を呈する。
熱伝導率がよく、高温でも液体で存在するため、単体としては高速増殖炉の冷却材として用いられる。

出雲街道

2011年07月27日 | 道路・鉄道・船
出雲街道は古代に、畿内と出雲を結ぶ道として整備された道で、鎌倉時代に「承久の乱」で敗れた後鳥羽上皇が、京都から隠岐へ流された際に通った道として知られている。
また、江戸時代には参勤交代の道として出雲・美作の諸大名が通行した他、古くから多くの人や物、文化が行きかう街道として利用されてきた。
岡山県内の出雲街道は、兵庫県境の萬ノたわ(旧作東町)から鳥取県境の四十曲峠(新庄村)まで県北部を横断し、その間に往来の人々が宿をとるなどの拠点として8つの宿場町が形成され発展してきた。

現在に残る出雲街道は、ほぼ参勤交代の道と同じルートで、街道沿いや宿場町の周辺には、出雲街道の歴史を物語る旧跡や町並み、道標が数多く残されていた。

津山城

2011年07月26日 | 
津山城のある鶴山に嘉吉年間に美作守護山名教清の一族山名忠政が築城した。
応仁の乱後山名氏も衰え、文明年間に廃城となり、以後神楽尾城の支配する地となった。

慶長8年、関ヶ原の戦功により美作一国186,000石を領して、森忠政が信濃川中島(松代)から入国した。忠政は、鶴山に新城を築城開始するが、大坂の陣や幕府からの築城夫役のため、13年の歳月をかけ元和2年に完成した。
森氏は、忠政-長継-長武と続き、元禄10年に4代長成が死去し、5代衆利が 相続のため江戸出府途中に死去、このため森氏は改易となった。
しかし、2代森長継は存命であった。幕府は、改めて長継を取り立て備中西江原2万石に封じた。その後、森氏は宝永3年に播州赤穂へ移封となった。
元禄11年、越前松平氏嫡流家の松平宣富が津山10万石に封じられた。以後、松平氏が津山を動くことなく、9代続いて明治に至った。

津山ホルモンうどん

2011年07月25日 | グルメ
津山市内約50店舗の焼肉・鉄板焼店等で提供されている牛ホルモン(内臓肉)入り焼うどん。市内に食肉処理センターがあるため新鮮なホルモンが手軽に入手できたことから、焼肉店を中心に30年以上前から人気を博していました。

その後、焼きそば、お好み焼きなどを提供する鉄板焼店にもメニューとして広がり、ホルモンうどんは地産地消で地元に根付いた食べ物と言えます。

大和高田バイパス

2011年07月20日 | 道路・鉄道・船
大和高田バイパスは奈良県香芝市から大和高田市を経て橿原市に至る延長14.4kmの一般国道24号、一般国道165号のバイパスである。
このバイパスの一部区間は南阪奈道路の一部を構成し、また、計画中の京奈和自動車道と接続することにより、広域的な道路ネットワークを形成する道路である。
なお高架区間は一見すると高速道路にも見えること、自動車専用道路である南阪奈道路と接続していること、更には一部地図には自動車専用道路と誤記されているためによく自動車専用道路と勘違いされるが、実際は自動車専用道路ではないため原動機付自転車等も走行可能である。

明日,この道を通って少し遠くまでドライブする予定!


牛からセシウム

2011年07月19日 | 日記
今日のニュースによると,
放射性セシウムが検出されたり、汚染された稲わらを飼料として与えられたりした肉用牛が福島県から出荷されていた問題で、18日も近畿地方などで新たな流通ルートが判明したり、放射性セシウムの検出などが相次いだ。
奈良市は18日、浅川町産の肉用牛1頭の牛肉計14・5キロが同市内の焼き肉店など飲食店3店舗で販売されたと発表した。店名は、すでに消費されて1カ月以上経過していることなどから公表しないとしている。市保健所は「汚染の有無は確認されていないが、他の個体の検出結果などから健康上の心配はない」としている。
また、奈良県などは、中堅スーパー「オークワ」(和歌山市)の県内15店舗で、放射性セシウムを含むわらが与えられた牛の牛肉計約20キロが販売された可能性があると公表した。すべて販売されたという。

よくTVに出演している武田邦彦先生の記事が気になった。
http://takedanet.com/2011/04/57_00fe.html

@セシウム
現在環境中に存在しているセシウム134とセシウム137などの多くは、1940年代~1960年代の核実験や核事故で放出された。1960年代前半に日本人は1日に1 Bq以上を摂取していたと推定されている。チェルノブイリ原子力発電所事故も例外ではなく、2005年現在、セシウム137はチェルノブイリ原子力発電所周辺の放射線汚染地域での、主な放射線源である。原子炉がメルトダウンしたとき、セシウム134、ヨウ素131、ストロンチウム90、プルトニウムとともに、セシウム137は健康への影響が最も大きい同位体の1つである。

海の日・山の日

2011年07月18日 | 山・川・水・温泉
今日は「海の日」。
そしたら「山の日」ってないんやろか?
先日、二上山雌岳の山頂で見かけた石碑に「おおさか 山の日」とあった。

- 生命(いのち)を育むおおさかの山 -

 おおさか「山の日」宣言

 私たちが住む大阪は、周辺の山々に抱かれています
 生活の合間に、ふと目を留めるのは周辺の山並みです
 山は、四季折々にその色や姿を変えながら、繊細な美しさ、みなぎる力、豊かな実り、
 自然の厳(おごそ)かさなど、季節の彩りと森の恵みを私たちに与えてくれます

 空気をきれいにし、生命の源である水をたくわえ、動物や植物の生きる場所を与えてくれる山
 私たちの生活の安全を守り、心のうるおいや身体のいやしとしての山
 長い時の流れの中で私たちを見守りつづけてくれる山

 かつて私たちは山とともに密接に暮らしてきましたが、
 次第に都市生活の中で山との関わりが薄れています
 今こそ豊かな山の恵みに感謝し、暮らしの中に山との関わりを深め、
 山や森に親しみ、学び、森を守り、森を育てることが必要です

 私たちは、様々な恵みを与えてくれる
 このおおさかの「山」を見つめ直し、おおさかの「山」を守り育てながら
 かけがえのない「山」を次の世代に手渡していくことを
 大阪府民として宣言します


トマトは果物?野菜?

2011年07月16日 | 薀蓄
トマトは果物?野菜?
@ニックス・ヘデン裁判
1983年、トマトへの課税を問題とし、トマトを果物に定義するや野菜として定義するかを焦点とした裁判が行われた。
この裁判を担当したグレイ判事は、トマトを草本性植物の果実であると判断した上で、他の果物のようにデザートではなくメインコースに出されることが多いことを根拠として野菜と定義した。

旧杉山家住宅

2011年07月13日 | 建築物
富田林八人衆の筆頭年寄で、「わたや」と号する。 約450年前、富田林寺内町の造営から関わり、当初は木綿問屋を営み、その後、江戸時代中期に酒造業を始めて、大いに栄えて河内酒造業の肝いり役を務めた大商家。
明治中期に酒税(造石税)導入や灘・伏見などの大規模生産地との競争力不足などが理由で酒造業を廃業した。
明治の明星派女流歌人・石上露子(いそのかみつゆこ、本名は杉田孝、明治15年~昭和34年)の生家でもある。
当時の所有者が不動産屋に土地・建物の売却を検討した為、富田林市が貴重な文化財保護のために昭和58年6月166百万円で買取。その後工費230百万円、工期2年半を要して解体修理が行われた。解体修理の際には土間部分の母屋建物全解体、母屋座敷部分は半解体された。
南河内の代表的な農家風建築様式として、昭和58年10月26日に国の重要文化財に指定された。現在、富田林市が所有・管理を行いながら、昭和62年から一般公開されている。富田林寺内町の中で建物内部を一般公開しているのは、この旧杉山家住宅と勝間家住宅の二軒のみである。