e411y(回顧録)

e411yの旅でのことを書き残しておきたいと思います。

亀が輪になる

2010年12月22日 | 我が家
先日から続く橿原神宮・深田池の話。
池では「亀が輪になる」状態やった。
昔,子どもと一緒に読んだ本に,
「わにがわになる」ってのがあったよなぁ~
@わにがわになる
表題のほか、はちとはちがはちあわせ、ぱんだのきゅうしょくぱんだ等の語呂合せ傑作集。
音に敏感な子どもたちに、言葉を転がす面白さをたっぷり伝えます。

国勢調査

2010年10月07日 | 我が家
みなさんは,もう記入・提出されましたか?
我が家は,母の記入が無くなり,
さらに,大阪で下宿をしている次男の記入も無くなりました。
少々寂しい調査です・・・

強力殺虫剤

2010年09月14日 | 我が家
蚊対策,昨日のつづき。
親父は「蚊とり線香」がよく効くというが,
それでも蚊は室内を飛び回る。
そんな時,登場するのがこれ,「強力殺虫剤」。
でも・・・
家中がこの臭いで籠もってしまう。
それを息子が嫌う。
「写真;粟津温泉で見かけた看板」

蚊取り線香

2010年09月13日 | 我が家
親父が言うには
「今風の蚊取り機は,あんまり効かへん!
 昔からの蚊取り線香が一番や。」
親父が,家の中で蚊取り線香を使うので,
家中煙っぽくって,私はくしゃみ。
「写真;粟津温泉で見かけた蚊取り線香の看板」

病院の桜

2010年08月30日 | 我が家
昨日の雨で,桜の花は殆ど散ってしまった。


この日曜日は,義母と花見をした。


場所は,義母が入院している病院の駐車場の横。


日曜日はリハビリがなく,家人と私が行った時には,義母はベッドの上で横になっていた。


朝からずっとベッドで横になっていたんやろか?


病気で不自由になった腕と脚は,曲がったまま・・・


家人が正しい姿勢に戻そうとすると,大きな声で「痛い!痛い!痛い!」と何度も叫ぶ。


「同室の人に悪いから・・・」と云っても聞かない様子。


「外へ花見に行かへん?」と誘っても,


「ここにいる」と断る。


やっと説得して(私が介助して)車椅子に移らせた。


以前に比べ,かなり上手に乗り移れるようになった。


病院の建物の前には桜が植わっている。


その桜の樹の下でお花見。


お花見にはおやつが大事!

今日は,アイスクリームと煎餅とお茶etc・・・


風が吹くと,私たちの上に桜の花びらが吹雪のように落ちてきた。


桜吹雪を撮ろうとしていた私に,「写真撮ってよ!」と家人が言ってきた。


カメラを構えた私の方を見る家人と義母。


やっぱり親子やなぁ・・・


「笑ってくださいよ お義母さん!」私は声をかけた。


もうすぐリハビリ日数上限の180日?が来てしまう・・・


「写真;病院の桜」

ほんけのぼう

2010年08月30日 | 我が家
昨日,親父が入院した。


私の記憶するかぎり,これまで大きな病気をしたことがない。


だから,大きな病院に行ったことがない。


それが今回,突然の手術。


そんな時に,これまでずっと連れ添ってきてくれた母がいない。


独り寂しいのは,よく分かる。


親父は80近くなっても,

近所の人たちから「(ほんけの)ぼう」と呼ばれている。


今回,その「(ほんけの)ぼう」が入院・手術・・・


ほんまにたいそで,いろいろ大変や・・・


「写真;久米寺の仁王さん」

モンクレールのダウンジャケット

2010年08月30日 | 我が家
PCのYahooの画面に「おすすめセレクション」というのがある。



そこに「一生もの、モンクレール」として写真と共に載っていた。



私が学生の時にバイトして貯めたお金を叩いて買ったのが“モンクレールのダウンジャケット”やった。



当時、清水の舞台から飛び降りたつもりで 買ったんや。



北海道・富良野へそれを着てスキーに行ったよなぁ~



就職して仕事が忙しくなり、ダウンジャケットを着る機会がなくなった。



子どもが生まれて大きくなって、親子でスキーに行くようになった。



その時、“モンクレールのダウンジャケット”着て行ったかな?



やがて子どもが学習塾に行くようになり“ダウンジャケット”が欲しいと言い出した。



理由は「皆が着ているから。」



当時、BEARのダウンジャケットが流行ってた。



私は、「これ着いよ!」と“モンクレールのダウンジャケット”をタンスの奥から出して息子に渡した。



暫く息子はそれを着ていたんやけど、その後、家人にねだって新しいのを買ってもらった。



「今の流行と形が違うから」というのが、その理由やった。



それから何年もの間、“モンクレールのダウンジャケット”はタンスの中に眠っていた。



息子が大学生になって、



「あのダウンジャケット、どこにあんの? たしかあのダウン、“モンクレール”ちごたっけ?」と聞いてきた。



「そうや、“モンクレール”やで。」と答えると、息子は急いでタンスの中を探しに行った。



それから“モンクレールのダウンジャケット”は、また息子のものに。



およそ30年の年月を経て、この冬も息子がスノボーに着て出かけるのだろう。



「写真;モンクレールのダウンジャケット」


Gは、ジャイアンツのG

2010年08月30日 | 我が家
先日、私の家のPCの調子が悪くなった。


ネットに繋がらないし、メールも出来ない。


PCの画面には、メールサーバーが見 つからないとの表示。


何度か時間をあけて試してみたけど、結果は皆同じやった・・・


ブログを書きたかったので、プロバイダーにTELした。


電話が繋がり担当の女性が優しくアドバ イスをくれる。


ここ最近、女性からこんなに優しくしてもらうことって???


私はその指示に従ったのだが、結局原因は不明?


その原因を探す途中でのこと、


プロバイダーの女性が、「次に言う文字を、英語の小文字で入力してください。」と言うので、私はその指示に従った。


「○○のh、○○のt、○○のt、○○のp・・・・・」と続き、


なんとその女性は、「ジャイアンツのG」と言ったのだ。


私はそれを聞いた瞬間「エッ!」と声を出してしまった。


担当の女性は「どうかされましたか?」と聞いてくれた。


私は「Gは、なんでジャイアンツのGなんですか?」と聞いた。


その時、私はインターネットが繋がらない苛立ちと、プロバイダーに電話してもその原因が分からないガッカリ感と・・・


トドメに、あの憎き「ジャイアンツのG」と聞いた悪寒・・・


「なんで、GはジャイアンツのGなんやろ?」


「tはタイガースのTと違ごたのに・・・」


その女性は、「Gは、なんでジャイアンツのGなんですか?」と聞いた私の意図に気付いたらしい。


関西弁の人に「Gは、ジャイアンツのG」と言うのは気をつけよう!


特に今年はトラの調子が悪いので、苛立っているトラファンは多いはず・・・


「写真;応援着姿の私」

満中陰に笠餅

2010年08月29日 | 我が家
昨日は母の満中陰。

朝から親戚とご近所さんが、我が家に来てくださった。

念仏のあとは、大数珠繰り。

今回の数珠は大きい方の数珠。

畳の間3部屋を使って総勢約40名で数珠繰りをした。

数珠が大きいということは、数珠が1周するのに かかる時間も長いということで、50周するのに約1時間かかった。

腕はだるくなり、回数を数える作業で意識は朦朧となり・・・

仏の道とは厳しいものだ。

しかし、皆が1つの輪になり、共同作業が出来るとは楽しいことやった。

その後、お寺さんが笠餅に包丁を入れ、人形を作って下さった。

顔の部分の丸餅は、私が家の外に出て、まだ屋根の上にいるという母に向かって、後ろ向きに屋根に投げ上げねばならない。

しかしそれが・・・

トレビの泉にコインを投げ入れるようには上手くいかず、

なかなか大屋根には届かず・・・

届いても餅は屋根から転がり落ちて来る始末。

その後、笠餅の胴の部分(長方形)を縦7つ、横7つの計49個に切り分けた。

墓参りを終え帰宅すると、家人が笠餅を焼いて皆に振舞った。

会食は、西国8番札所・長谷寺のある初瀬へ。

お店は、この秋、TV「万葉ラブストーリー」のロケで登場したあのお店。

ええかげんな挨拶をして、ええかげんに酒を飲んで会は無事終わった。

やっと私の大きな務めがひとつ終了した感じがした。

「写真;笠餅」



おふくろさん

2010年08月29日 | 我が家
久々にTVをつけると、

森進一の『おふくろさん』が話題になっていました。

久々に聞いたのですが、本当にいい歌詞ですね。

封印問題?が和解なったのだとか。

この1週間、あまりにも慌しく、

自分の身の回りで一体何が起こったのか、

まだ心の整理がつかない状態です。

私の“おふくろさん”は、あの菊を運んだ日の夜、

突然、誰にも別れを告げずに逝ってしまいました。

菊と米を運び終えた後、我が家もたくさんの菊の鉢で飾りました。

それから三連休で帰宅した息子と病院へ。

その日の“おふくろさん”は、殆ど記憶を取り戻したかの状態で、

いっぱい喋ってくれました。

自分自身の名前も、私や息子の名前もはっきりと・・・

涙が出るほど嬉しかった・・・

一緒におやつを食べ、稲刈りを終えた病院近くの道を車椅子押して散歩し、

「明日、また来るからな・・・」と云って、帰宅しました。

夕食の話題は、当然“おふくろさん”のこと。

この状態で順調に快復すれば、年内の一時帰宅が可能ではないかという話。

明日の面会を楽しみに寝たのですが・・・

“おふくろさん”は、まるでアキ(稲刈り作業)が終わるのを待っていたかのようでした。



祭講

2010年08月29日 | 我が家
今日は我が村の“祭講”の日。

当家の家に集まり神事?を行った。

今年の当家の家は、明治の頃に大阪で事業で成功された方の別邸だったとかで、庭や屋敷の造りが素 晴らしかった。

なにせお庭に富士山があったもんなぁ~

神事の後は、宮司さんの席の隣に銚子を持って座り込み、酒を肴に“古事記”や“神武天皇”、“保田與重郎”、“(堀口)大学ゆり”の話を聞いた。

いや~楽しい酒やった・・・

簡素化なったとはいえ、当家には負担は掛かる。

それぞれお家の事情は異なるのだ・・・

昔は20軒以上も講に加わる家があったが、今年は11軒。

会が終わる直前に、1人の方がこの講を抜けたいと言い出した。

まぁ~それからお酒も入っていることで・・・

いろいろあって・・・来年の課題ということで・・・

分かったことは、この時季に松茸を入手するのは難しいということだけやった。

「写真;祭講の小床
 」






ジュズダマと猫じゃらし

2010年08月29日 | 我が家
母の入院している病院の駐車場前の水路には“ジュズダマ”が茂っている。

私は病院へ行くたびに、昔、母と熟して色づいたジュズダマの実に糸を通して首飾りを作ったことを思い出す。

それに、稲刈り作業の休憩時には、畦豆の葉柄でムカデも作ったよなぁ~

そんなことなどを思い出しながら駐車場に車を 停め、病室へと向かう。

先週末は昼過ぎに病院へ。

市に介護認定の申請をしていたところ、役所の人が病院に母を見に来ることになったのだ。

もちろん、家族の立会いが必要だとのこと。

家人と相談の結果、私が仕事の都合をつけて行くことにした。

何十分の間、私は役所の人から質問を受けただろうか。

母への問いかけもあったのだが、ただ母は・・・

永く重苦しい時間だけが流れた。

役所の人が帰った後、私はすぐに母を車椅子に乗せて病院の建物から外に連れ出した。

私が外の空気を吸って気分を変えたかったからだ。

病院の周囲には色づいた水田が広がっている。

この病院へ転院してきた頃は、まだ苗の状態やったのに・・・

夏が過ぎ、もうすぐ刈り入れの季節。

私は道端に生えた“猫じゃらし(エノコログサ)”を2本摘み取り、1本を母に渡した。

母はそれを大事そう(不思議そう)?に手に持ち・・・

私はもう1本の“猫じゃらし”で母の顔をくすぐった。

母は嫌そうな顔はしたのだが、昔のように顔を背け、手で払いながら「いらんわ!そんなあほなことやめてぇ~や!」と言うことはなかった。

「写真;ジュズダマ」

夫婦50割?

2010年08月29日 | 我が家
私はもうすぐ50歳の誕生日を迎える。


この歳になると誕生日と言っても、嬉しいような、あまり嬉しくないような・・・


いろんなお店でカードを作ったからか、いろんな処から“誕生を祝う葉書”が届く。


これもまた、嬉しいような、あまり嬉しくないような・・・


49と50とで、何が変わるということもないのだろうが、きっと何か違うに違いない。


少し前、家人と映画を見に行ったとき、


会計の若い女性に「50歳を越えておられますか?」と聞かれたので、


心の中では、「まだ40代やのに・・・」と、老けて見られたことに腹を立てながらも、


もしかして映画料金、それで安くなるんやったら「50です。」って答えたらよかったかなぁ~って後悔したことがあったのだ。


詳しいことは知らないが、きっと50になれば映画が安く観られるのではないかと思う。


それなら50歳の誕生祝いに、家人と映画でも観に出かけようかなぁ~!


我が家の皇室アルバム

2010年08月29日 | 我が家
せっかくミョウガを採って待っていたのに、次男からしばらく帰宅出来ないとのメール。

お盆までお預け、家人はがっかり・・・

そのメールに書いてあった近況報告には、

この日曜日(私がお昼から酔っ払って法隆寺を探していた日)、彼は皇族の方?と話をしたとのこと。

どういう経過でそうなったのか、彼が活動しているボランティア団体をはじめとする国内外の団体の代表との交流会?に皇族の方?がみえられたという。

その会に彼は神戸の代表?として出席することになったらしい?

家人は大の皇室ファン。

正月など皇室関係の番組があるとしっかり見逃さない!

それで私とよくチャンネル争いになる。

すぐに家人は、次男に詳しいことを聞くために彼に電話した。

彼が言うには、その皇族の方とは、年齢は親父(私)よりも若い白髪の男性、それにその奥さんと高校生くらいの娘さん。

彼はその奥さんと暫く会話をしたとのこと。

その奥さんは、気さくに話の出来る人?やったとか・・・

それを聞いて家人は興奮状態になり、こう叫んでいた。

「その奥さんって、次の次の天皇さんのお母さんになる人なんかもしれへんねんで!」

携帯を切ってから家人が私に、

「ウチの子、男前やから、もし見初められたらどうしよう・・・」

私は一言

「昔から“寝言は寝て言え”って言うやろう!」と答えた。