あの日,龍神温泉の街灯に留まっている奇妙な昆虫を見かけた。
カゲロウの仲間?
調べてみたら「ヘビトンボ」?に似てた。
逆光で色彩がはっきりしないけど,
黒っぽかったから「クロスジヘビトンボ」やろか?
名前にはトンボの名が付いているけど,トンボではない。
幼虫はきれいな川の水中に住み、カワゲラなどの幼虫を襲って食べる。
ヘビトンボと共に幼虫を「孫太郎虫」と言って、長野県の特に伊那地方などでは食べる習慣があるそうや。
この虫は,羽根を広げると一見胴体の太短いトンボのようやけど、捕まえると体をそれこそヘビのようにくねらせて噛みつこうとするという。
捕まえようとしたけど・・・
背が届かへんかった・・・
カゲロウの仲間?
調べてみたら「ヘビトンボ」?に似てた。
逆光で色彩がはっきりしないけど,
黒っぽかったから「クロスジヘビトンボ」やろか?
名前にはトンボの名が付いているけど,トンボではない。
幼虫はきれいな川の水中に住み、カワゲラなどの幼虫を襲って食べる。
ヘビトンボと共に幼虫を「孫太郎虫」と言って、長野県の特に伊那地方などでは食べる習慣があるそうや。
この虫は,羽根を広げると一見胴体の太短いトンボのようやけど、捕まえると体をそれこそヘビのようにくねらせて噛みつこうとするという。
捕まえようとしたけど・・・
背が届かへんかった・・・
龍神温泉は高野龍神国定公園、日高川沿いに位置する温泉郷。
島根県の湯の川温泉、群馬県の川中温泉とならび、日本三美人の湯として有名。
元湯は、龍神温泉のオーナーで作る(有)元湯が運営する、村内で唯一の源泉掛け流しの共同浴場。
泉質は、ナトリウム炭酸水素塩泉(重曹泉)で、肌がツルツルとして、しっとり感がある。効能は、美人の湯で知られているが、大変良く温まり、特に冷え性、神経痛、肩こり等に効果があると云われている。
元湯の内湯は大勢が一度に入ることができる檜風呂と岩風呂がある。
渓流を眺める事ができる露天風呂からの景色は抜群で、元湯は夜9時まで開いているので、夜に星空を眺め、川のせせらぎに耳を傾けるのも一興。
「写真;龍神温泉元湯」
島根県の湯の川温泉、群馬県の川中温泉とならび、日本三美人の湯として有名。
元湯は、龍神温泉のオーナーで作る(有)元湯が運営する、村内で唯一の源泉掛け流しの共同浴場。
泉質は、ナトリウム炭酸水素塩泉(重曹泉)で、肌がツルツルとして、しっとり感がある。効能は、美人の湯で知られているが、大変良く温まり、特に冷え性、神経痛、肩こり等に効果があると云われている。
元湯の内湯は大勢が一度に入ることができる檜風呂と岩風呂がある。
渓流を眺める事ができる露天風呂からの景色は抜群で、元湯は夜9時まで開いているので、夜に星空を眺め、川のせせらぎに耳を傾けるのも一興。
「写真;龍神温泉元湯」
龍神温泉「上御殿」は、江戸時代初期(明暦3年・1657年)に当時の紀州藩主である徳川頼宣公が、龍神温泉へ湯治に訪れるために建てられた御宿。
「御成りの間」は、徳川公がお泊りになられた部屋で、現在も当時のままの形で残っている。
そうしたら,同行した家臣たちは何処に泊まったんやろか?
殿様が「上御殿」やねんから,家臣はやっぱり「下御殿」。
「写真;竜神温泉・下御殿」
「御成りの間」は、徳川公がお泊りになられた部屋で、現在も当時のままの形で残っている。
そうしたら,同行した家臣たちは何処に泊まったんやろか?
殿様が「上御殿」やねんから,家臣はやっぱり「下御殿」。
「写真;竜神温泉・下御殿」
龍神温泉に行きたかった理由は2つ。
1つは,温泉に浸かりたかった。
龍神温泉は、その昔弘法大師が夢に現れた龍王のお告げによって開かれたと伝えられる温泉。
江戸初期の徳川頼宣公のお気に入りでもあった龍神温泉は、浸かればお肌が滑らかになるという名湯で,日本三美人の湯に数えられている。
2つ目は,「上御殿」という建物を見たかった。
「上御殿」は、江戸時代初期(明暦3年・1657年)に当時の紀州藩主である徳川頼宣公が、龍神温泉へ湯治に訪れるために建てられた御宿。
旅館ができた後、龍神家は徳川公にお宿の管理を命ぜられ、さらに「上御殿」の屋号を承ったという。
「御成りの間」は、徳川公がお泊りになられた部屋であり、現在も当時のままの形で残っている。
現在の「上御殿」当主は、源三位頼政の5男である頼氏より数えて29代目にあたり、820年続く「上御殿」の歴史を今も尚受け継いでいるという。
機会あれば「上御殿」の「御成りの間」で宿泊してみたいもんや・・・
「写真;龍神温泉・上御殿」
1つは,温泉に浸かりたかった。
龍神温泉は、その昔弘法大師が夢に現れた龍王のお告げによって開かれたと伝えられる温泉。
江戸初期の徳川頼宣公のお気に入りでもあった龍神温泉は、浸かればお肌が滑らかになるという名湯で,日本三美人の湯に数えられている。
2つ目は,「上御殿」という建物を見たかった。
「上御殿」は、江戸時代初期(明暦3年・1657年)に当時の紀州藩主である徳川頼宣公が、龍神温泉へ湯治に訪れるために建てられた御宿。
旅館ができた後、龍神家は徳川公にお宿の管理を命ぜられ、さらに「上御殿」の屋号を承ったという。
「御成りの間」は、徳川公がお泊りになられた部屋であり、現在も当時のままの形で残っている。
現在の「上御殿」当主は、源三位頼政の5男である頼氏より数えて29代目にあたり、820年続く「上御殿」の歴史を今も尚受け継いでいるという。
機会あれば「上御殿」の「御成りの間」で宿泊してみたいもんや・・・
「写真;龍神温泉・上御殿」
一切不純物の混じっていない純粋な水、すなわち純水や蒸留水の色はほぼ無色透明であるが、池や湖、川、海などは青色に見える。
これは主に水そのものが微かに青緑色を呈していることによるもので、ほかにも水の微粒子による可視光の散乱(レイリー散乱)や、水中の藻類などの微生物の色や、水面に反射する空の色などが影響を与えている可能性もある。
水色という名は、このような「水の青」に由来する。
日本語の水色は平安時代から見られる色名であり、古くから「水=青い」というイメージが存在していたこととなる。
「写真;和歌山県龍神温泉を流れる川」
これは主に水そのものが微かに青緑色を呈していることによるもので、ほかにも水の微粒子による可視光の散乱(レイリー散乱)や、水中の藻類などの微生物の色や、水面に反射する空の色などが影響を与えている可能性もある。
水色という名は、このような「水の青」に由来する。
日本語の水色は平安時代から見られる色名であり、古くから「水=青い」というイメージが存在していたこととなる。
「写真;和歌山県龍神温泉を流れる川」
子どもがまだ小さかった頃,恐竜ランドのある和歌山県花園村へ行くのに通った「高野龍神スカイライン」。
今回久々に,龍神温泉へ行くのに利用した。
「高野龍神スカイライン」は、起点を和歌山県伊都郡高野町奥の院交差点、終点を田辺市龍神村(旧・日高郡龍神村)とする延長42.7km 全線2車線のスカイライン。
和歌山県と奈良県の県境の1000メートル級の尾根に沿って延び、護摩壇山の近くを通る。
1980年(昭和55年)7月21日、和歌山県道路公社が管理する一般有料道路として供用開始。
有料道路時代は、一部が奈良県にもまたがっていて、一般国道にもかかわらずなぜか日本道路公団が管理せず、奈良県にまたがる部分も含めて和歌山県道路公社が管理していた。
2003年(平成15年)10月1日に和歌山県が道路公社の債務残額を一括返済し、一般国道371号の一部として無料開放された。
その背景としては、開通から一度も黒字化せず、その目処も立たなかったということも挙げられるが、来たる『紀伊山地の霊場と参詣道』の世界文化遺産登録に備えて、観光客、観光バスが自由に往来できる無料道路を確保するというのが主な理由らしい。
「写真;高野龍神スカイライン・護摩壇山スカイタワー」
今回久々に,龍神温泉へ行くのに利用した。
「高野龍神スカイライン」は、起点を和歌山県伊都郡高野町奥の院交差点、終点を田辺市龍神村(旧・日高郡龍神村)とする延長42.7km 全線2車線のスカイライン。
和歌山県と奈良県の県境の1000メートル級の尾根に沿って延び、護摩壇山の近くを通る。
1980年(昭和55年)7月21日、和歌山県道路公社が管理する一般有料道路として供用開始。
有料道路時代は、一部が奈良県にもまたがっていて、一般国道にもかかわらずなぜか日本道路公団が管理せず、奈良県にまたがる部分も含めて和歌山県道路公社が管理していた。
2003年(平成15年)10月1日に和歌山県が道路公社の債務残額を一括返済し、一般国道371号の一部として無料開放された。
その背景としては、開通から一度も黒字化せず、その目処も立たなかったということも挙げられるが、来たる『紀伊山地の霊場と参詣道』の世界文化遺産登録に備えて、観光客、観光バスが自由に往来できる無料道路を確保するというのが主な理由らしい。
「写真;高野龍神スカイライン・護摩壇山スカイタワー」
8月のお盆前に通過した高野山。
赤い「根本大塔」が立派やった。
せやけど,境内の端に建つ,
木の色をした「西塔」の方が気に入った。
今は,秋の彼岸。
大勢のお参りやろなぁ~
山上は,かなり涼しいんやろなぁ~
赤い「根本大塔」が立派やった。
せやけど,境内の端に建つ,
木の色をした「西塔」の方が気に入った。
今は,秋の彼岸。
大勢のお参りやろなぁ~
山上は,かなり涼しいんやろなぁ~
昨夜帰宅した次男が,もう大阪へ帰ると云う。
夕食後,家人と次男を送って大阪へ。
土産は地デジ対応TVと家で採れた野菜。
去年まで神戸に送って行ってたときは,
大阪の夜景が綺麗やった!
通天閣も見れたのに・・・
今は大阪の外周・近畿道を走るだけ。
「写真;阪神高速と通天閣」
夕食後,家人と次男を送って大阪へ。
土産は地デジ対応TVと家で採れた野菜。
去年まで神戸に送って行ってたときは,
大阪の夜景が綺麗やった!
通天閣も見れたのに・・・
今は大阪の外周・近畿道を走るだけ。
「写真;阪神高速と通天閣」
1月末に購入した愛車が,8月末で走行距離1万kmを越えた。
よう走ったなぁ~
そろそろオイル交換せんとあかん・・・
いつものGS,この9月いっぱい,オイルが10パーセントオフやと聞く。
この月中にオイル交換しとこかなぁ~
「写真;中国自動車道路」
よう走ったなぁ~
そろそろオイル交換せんとあかん・・・
いつものGS,この9月いっぱい,オイルが10パーセントオフやと聞く。
この月中にオイル交換しとこかなぁ~
「写真;中国自動車道路」
平安時代に 空海(弘法大師)が,
九度山町慈尊院から 高野山奥の院御廟までの約24kmに,
一町ごとに木製の卒塔婆(そとば)を 216基建立しました。
(慈尊院から根本大塔まで180基,根本大塔から奥の院御廟まで36基)
鎌倉時代になり 約20年をかけて,
木製卒塔婆から 花崗岩の石卒塔婆に再興されました。
約750年の歳月を経たいまも,参詣者や登山者の道標となっています。
そして 空海が開いた この表参道は,
天皇から庶民までが 一町毎に合掌して登った 「祈りの道」なのです。
九度山町慈尊院から 高野山奥の院御廟までの約24kmに,
一町ごとに木製の卒塔婆(そとば)を 216基建立しました。
(慈尊院から根本大塔まで180基,根本大塔から奥の院御廟まで36基)
鎌倉時代になり 約20年をかけて,
木製卒塔婆から 花崗岩の石卒塔婆に再興されました。
約750年の歳月を経たいまも,参詣者や登山者の道標となっています。
そして 空海が開いた この表参道は,
天皇から庶民までが 一町毎に合掌して登った 「祈りの道」なのです。
あれだけ暑かった夏もようやく終わりを迎えた様子。
昨夜の風は涼しかった~
夜中に寒くなって布団を探した。
お盆前に見た,あの天上のアジサイ園のアジサイは,
今,どうなってんねんやろか?
アジサイ色は秋色とは違うからなぁ~
「写真;高野龍神スカイライン・花園あじさい園」
昨夜の風は涼しかった~
夜中に寒くなって布団を探した。
お盆前に見た,あの天上のアジサイ園のアジサイは,
今,どうなってんねんやろか?
アジサイ色は秋色とは違うからなぁ~
「写真;高野龍神スカイライン・花園あじさい園」