e411y(回顧録)

e411yの旅でのことを書き残しておきたいと思います。

阿波の土柱

2010年08月27日 | 自宅から西へ
結願のあと、少し時間もあったので何処かに寄って帰ろうという話になった。

実は、第88番札所から第1番札所へどの道を通って戻るかを、

決めずに旅に出てしまったのだ。



私は、まだ見たことのない“阿波の土柱”を見たかった。



第88番札所門前の土産物店でその道を尋ね出発。



その道中で運転している家人に“阿波の土柱”の素晴らしい点 について

知っているかぎりの説明をする。

「よく似た地形は、世界中に阿波の土柱を含め3箇所。

 ロッキー山脈とアルプスにあるだけやそうや。」



「ロッキー山脈とアルプス?あとの2箇所は超有名で規模大きそうやん!

 どうやって出来たん?」



「長い年月、水の侵食やと思うんやけど・・・実物見たら分かると思う。」

実物見たら・・・唸ってしまった・・・





四国遍路で“夏のソワカ”

2010年08月27日 | 自宅から西へ
昨日、家人が何か細長い紙の箱を抱えて嬉しそうに帰ってきた。

私はそれが何かのポスターだと思ったので

「誰のポスター? どうしたん?」と聞いた。

家人の友人が、韓国へヨン様の“冬のソナタ”を巡る旅に行き、

その土産とのこと。

「まだそのツアー残ってたんや・・・ あれは何年前のTVやった?」

ロッテ免税店に行くとヨン様のポスターがたくさんあると思って行った家人の友人は、

イメージキャラクターが変わっていてそれが無かったので、

店員に無理を言って店の奥からポスターを出してきてもらったとのこと。

そういえば先日の四国遍路・善通寺の暑い夏の境内、土産物店で“ソワカ”を見つけた。

最初見たとき、「ご真言 モジッテ ホンマニエエネンヤロカ?」と疑問に思ったけれど、

あらためて読むと、これはこれで罰も当たらへんやろうと思った。




私のしごと館

2010年08月27日 | 自宅から西へ
少しだけ

“人生”について考えています。

どなたかの本によく登場する言葉ですが、

“運命”や“宿命”についても考えているのです。

春に訪ねた“私のしごと館”の展示コーナーには

いろんな方の言葉が書かれていました。


人と防災未来センター

2010年08月27日 | 自宅から西へ
昨日は朝からPCかインターネット回線が不調でブログも開けず。


電話も呼出音は鳴るのだが、何も言わない・・・


何処かオ・カ・シ・イ


何か変・・・


TVをぼんやり見ていると地震発生を知らせる臨時ニュースが流れた。


新潟で大きな地震が発生!


ブログで知り合った新潟の方々は大丈夫? 心配だ・・・


夕方、奈良でも震度3の地震発生。


夜更けからは突然の物凄い雷雨と豪雨。


朝方まで大雨洪水警報が出ていた。


農業用水路が、流れてきた土砂で埋もれてしまったようだ。


先日の台風より被害が大きかった。


もう少しで河川が氾濫するかと心配した。


本当にいろんなことがあった一日だった。


「写真;阪神・淡路大震災記念 人と防災未来センター」


別子銅山

2010年08月27日 | 自宅から西へ
四国から帰ってしばらくなるが、“別子銅山”のことが忘れられない。


特に、あの「道路工事中通行止め」の看板があったのにかかわらず、


無理に山道を走って到着した“東平地区”。


あの数時間、私は家人以外の人間に誰にも出会わなかったのだ。

嘗ては、何千人もの人で賑わった集落も、今は完全に無人・・・


ガイドブックでは、「インカ帝国の遺跡のようだ」と表現されていた。


インターネットで検索したら、次の歌が出て来たのだが


私はこの“川田 順”の歌に、奈良盆地のど真ん中にある神社で出会っていたのだ。


別子鉱山を詠う歌        

      川田 順




東平(とうなる)






かなやまの は千人も 住み居りて 夜の色くろし 消燈早く





鉱掘りの 山中に 燈を消して 結界のごとく しづまりをるも





かなやまの 平地は狭し めのさきに 通洞の口の 燈が更けている





朝山の 入坑時刻の ざわめきの しばらくにして ほととぎすの声



四国遍路は時間厳守?

2010年08月26日 | 自宅から西へ
四国遍路のある寺での出来事。



遍路途中の私は、一度の旅で一つでも多くの寺を巡りたいと願う。



ある旅で、閉山10分ほど前にあるお寺に到着した。



ぎりぎりセーフ、一つ儲けた気分になって駐車場から境内へと急いだ。



普段はお参りを終えてから納経所に行くのだが、もう時間がない。



納経所の窓を開けようとしても鍵がかかっていて開かない。



ベルを鳴らすように書かれていたので、何度かベルを鳴らした。



奥から出て来て、すでに片付けられていた筆、朱印等の用具を再び出す住職の顔・・・



お礼を言って、本堂前でお経をあげていると、背後に人の気配。



見ると、私が今あげたばかりの線香を住職が消しているのではないか・・・



どうして後少し待ってはもらえないのか・・・という気持ちでいっぱいになった。



人生いろいろ、お寺もいろいろ・・・



明日から久々に四国に行ってこようかと考えています。



四国遍路とドライヤー

2010年08月26日 | 自宅から西へ
今朝からのニュースは“四国遍路道のゴミ問題”。


世界遺産登録を目指しているが、不法投棄のゴミが絶えないのだとか。


ぼんやりと四国のことを考えていた・・・


四国遍路で納経所と云えば“ドライヤー”。


書いてもらった掛け軸をドライヤーで乾燥させるのが私の役割だ。


遍路を続けて愛媛県に入ると、ドライヤーの無いお寺があった。


私がドライヤーを探していることにお寺の方が気付かれたのだろう・・・


ドライヤーで乾燥させると高温で良くない、


四国遍路、急いて廻らず外の縁台でゆっくり天日に乾かすようにと教えて下さった。


さらに遍路を続けていくと、またドライヤーの無いお寺があった。


あのお寺のように、天日で乾かそうと外に出ようとしたら声をかけられ、


天日に当てると布の色が変わる、屋内で乾かすようにと言われた。


これが理論では一番正しいとは思うのだが、雨の日にはなかなか乾かない。


四国遍路 八十八のお寺がある。


“赤と黒のブルース”の乾かし方もいろいろやなぁ~


「写真;遍路道で買った“手まり”」


昔の沖縄

2010年08月26日 | 自宅から西へ
昨夜のTV“Dr.コトー”を見ながら初めて行った沖縄のことを思い出していた。



もう30年近く前のクリスマスの頃、私は生まれて初めて飛行機に乗って



メロン博士と同級生のT君と共に沖縄へ雑草メロンの調査に行った。



当時の沖縄は、車の右側通行が左側通行に変わってすぐだったので、



たまに逆車線を走行して来る車も見られた。



我々が調査のために民宿で借りた自動車は左ハンドルのカローラだった。



初心者マークで初めて左ハンドルの車を運転する我々は、



ある日突然、通行車線の左右が入れ替わった沖縄の道路を運転した。



(さらに当時私の住む地域には、車線が複数あるような幅の広い道路はなかった。)



まさに命を賭けた調査・ドライブだった。



特に右折が怖かった・・・



「写真;フランスの田園」



四国遍路の納経帳

2010年08月26日 | 自宅から西へ
四国遍路で納経帳を書いてもらうと、そこに電話帳の切ったのを挿んでくれる場合がある。



あるお寺では黄色い紙やったから、“タウンページ”切ったものやった。



よく見ると、“仙台”という文字が目に入った。



遠いとこの電話帳やなぁ~と思って、さらに読んでみた。



“メヒコ”発見! それは思い出あるお店の名前とちがうやろか?



筑波での研修中、ちょっとリッチな夕食?を食べに、宿泊棟から車に乗って何度か皆で行ったシーフードレストランの名前が“メヒコ”やった。



たしか店内で動物飼うてたなぁ~ 動物は何やったか思い出せへん。



それに・・・フィンガーボウル。 私には珍しかったなぁ~



福島から研修に来てた人は、福島や宮城にもチェーン店あると言ってたけど、



こんな形で巡り合うとは不思議なもんやなぁ・・・



またあの頃のメンバーで、メヒコで蟹食べたいなぁ~



「写真;四国遍路の納経帳」



岬めぐり

2010年08月26日 | 自宅から西へ
ある方がブログで “思い出の曲”について書いておられた。


私は夏の終わりが近づくと “岬めぐり”の歌を思い出す。


高校1年生の夏、私は同じ中学校の友人たちと岬めぐりの旅に出かけた。


目指すは和歌山県の潮岬。


海の無いN県に育った我々にとっては“海”は特別な存在である。


海水浴をしようと海岸(串本あたり?)に行ってみたのだが・・・台風の接近で波は高く・・・


まぁ~折角来たんだからと 閉まっている海の家のウラで適当に着替えた。


「ワァ~」って全員で海に突入した瞬間、私の身体は海水の中をクルクル回転した。


目を開けてあちこち見ても、ただ砂が舞っているだけ・・・


必死になって平泳ぎをいくらしても海面に到着出来ない・・・


私は“上(海面)”が分からなくなっていることに気がついた。


息苦しくなっていくのを我慢して 身体が海面に浮くことを信じてじっとしていることにした。


やっと顔が海面に出た瞬間、息継ぎをする間もなくまた大きな波にのまれ身体が回転をした。 何度か浮かび上がって海面から顔が出た瞬間に陸の方向に泳ぐことにした。


足が立ちそうなところまで・・・手で海底の砂を掴んで地球にしがみつこうとしても、また沖の方に身体を連れ戻されてしまった。


沖のブイにしがみ付きながら「コノママデハシンデシマウ・・・」と考えてしまった。


何度上陸をチャレンジしたのだろうか・・・私は陸に寝転ぶことが出来た。


自分は“イ・キ・テ・イ・ル・ン・ダ”って思った。


翌日の新聞には 私たちによく似た若者が(無謀に)遊泳している姿が写真に載っていた。


「写真;明石海峡大橋 海の向こうは淡路島」


幸せな出張

2010年08月25日 | 自宅から西へ
少し昔のこと

幸せな出張(研修)に参加することが出来た。

研修場所は広島県東広島市にあるH大学に1週間。

西条という駅のすぐ前のビジネスホテルを

宿にしていたのですが、

何が“幸せって?”

それは・・・ホテルの部屋の窓を開けると・・・

そこは お酒の工場!

確か“白牡丹”だった

窓を開けると 

いい香りがするんです・・・

あま~い香りが・・・

お酒の町で1週間

酒蔵の周りを散歩して

日本酒の香りに包まれて・・・

幸せな1週間でした。

「写真;ケンブリッジの大学」

大相撲の余韻

2010年08月25日 | 自宅から西へ
同窓会から一夜明けても

大相撲の余韻が残ってる

部屋の壁には 「高見盛」と「曙」にサインもらった赤いウインドブレーカー 

机の上にはプリントアウトした昨日の写真

そして 夕食はTVで相撲観戦しながら 昨日の話の続きを

私の住む地域で 日本の相撲が起こった

「日本書紀」によると、第十一代垂仁(すいにん)天皇の御前で野見宿弥(のみのすくね)と当麻蹶速(たいまのけはや)が日本一を争ったと、記されている。結果は野見宿弥の勝ちで肋骨を蹴り折り、さらに腰の骨を折って絶命させた。

そのいわれある神社や 人形(出雲人形)が残っている。

昔(野見宿弥)は出雲の国から  

今はモンゴルやブルガリアから

世界の範囲が少し広くなっただけなのかもしれない・・・