e411y(回顧録)

e411yの旅でのことを書き残しておきたいと思います。

小松帯刀像

2011年12月13日 | 人物
小松帯刀の像に中央公園の近くの中央公民館横、宝山ホールというホールの前で出会った。
大河ドラマ『篤姫』でよく見たお方。
背景の都合で撮影が難しかった。

@小松清廉(こまつ きよかど)
天保6年(1835年)~明治3年(1870年)は薩摩藩士、明治時代初期の政治家。天保6年(1835年)、喜入(現鹿児島市)領主の肝付兼善(きもつきかねよし)の三男、尚五郎(なおごろう)
として生まれた。
安政3年(1856年)、22歳のとき島津斉彬の命によって小松家の養子となり、小松帯刀清廉(きよかど)と改名、島津斉彬のもとでは火消隊長などして活躍、斉彬の死後にあたる文久元年(1861年)には側役に昇進し、第29代藩主島津忠義のもと、大久保利通を重用するなどしながら島津久光を補佐した。
さらに文久2年(1962年)からは家老として、薩長同盟や王政復古に関わり、西郷隆盛、大久保利通といった薩摩の志士の活躍を藩の家老という立場で支えた。
明治3年(1970年)に病気のため、36歳の若さで亡くなった。
小松清廉は、一般には小松帯刀(こまつ たてわき)の呼び名で知られる。

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2 コメント

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Unknown (kazuyoo60)
2011-12-13 12:15:04
小松帯刀さんは演者が良かったのか、魅力的に描かれていましたね。能力のある人を見出した斉彬さんも素晴らしいのですが。
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Unknown (酒徒善人)
2011-12-13 17:29:18
kazuyoo60さんへ
>小松帯刀さんは演者が良かったのか、魅力的に描かれていましたね。
私もそう思ってみていました。
前回,鹿児島へ行ったのは,『篤姫』が放映されていた年の3月で,『篤姫』ブームが起こるときのことでした。
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