e411y(回顧録)

e411yの旅でのことを書き残しておきたいと思います。

大峯奥駈道

2010年12月02日 | 道路・鉄道・船
大峯奥駈道は修験道の開祖、役行者が8世紀初めに開いたとされる修験者の修行の道です。
吉野川「柳の宿」(あるいは「柳の渡し」)を北の起終点とし、吉野山、青根ヶ峰、四寸岩山、大天井ヶ岳を経て山上ヶ岳(大峯山)までを「山上道」とし、大峰山寺本堂から熊野に向かう道を「奥通り」もしくは「奥駈道」と呼びました。
吉野から熊野までの約170kmの道程は、山上ヶ岳や弥山、八経ヶ岳、釈迦ヶ岳など標高2000m近い山々の尾根をたどる、修験道の中でも最も過酷で厳しい修行の行場です。

この行は奥駈修行と呼ばれ、幾日もの間、崖をよじ登り谷を渡って歩き続けます。
道中には大峯七十五靡き(なびき)と呼ばれる拝所・霊所があり、修験者たちはそれをひとつひとつ巡拝しながら峻険な山々で修行を行うのです。

この大峯奥駈修行は、山脈を仏法で云う金剛界(吉野側)と胎臓界(熊野側)に見立て、その場所を巡拝しながら即身成仏し、そして生まれ変わるという、擬死再生の修行を行う場所とされています。
今なお多くの修験者たちが厳しい修行を行っています。1000年の歴史を超えて引き継がれてきたこの道は、今回世界遺産登録された「紀伊山地の霊場と参詣道」の中心的構成要素と呼ぶにふさわしいものと言えるでしょう。

最新の画像もっと見る