ある方がブログで “思い出の曲”について書いておられた。
私は夏の終わりが近づくと “岬めぐり”の歌を思い出す。
高校1年生の夏、私は同じ中学校の友人たちと岬めぐりの旅に出かけた。
目指すは和歌山県の潮岬。
海の無いN県に育った我々にとっては“海”は特別な存在である。
海水浴をしようと海岸(串本あたり?)に行ってみたのだが・・・台風の接近で波は高く・・・
まぁ~折角来たんだからと 閉まっている海の家のウラで適当に着替えた。
「ワァ~」って全員で海に突入した瞬間、私の身体は海水の中をクルクル回転した。
目を開けてあちこち見ても、ただ砂が舞っているだけ・・・
必死になって平泳ぎをいくらしても海面に到着出来ない・・・
私は“上(海面)”が分からなくなっていることに気がついた。
息苦しくなっていくのを我慢して 身体が海面に浮くことを信じてじっとしていることにした。
やっと顔が海面に出た瞬間、息継ぎをする間もなくまた大きな波にのまれ身体が回転をした。 何度か浮かび上がって海面から顔が出た瞬間に陸の方向に泳ぐことにした。
足が立ちそうなところまで・・・手で海底の砂を掴んで地球にしがみつこうとしても、また沖の方に身体を連れ戻されてしまった。
沖のブイにしがみ付きながら「コノママデハシンデシマウ・・・」と考えてしまった。
何度上陸をチャレンジしたのだろうか・・・私は陸に寝転ぶことが出来た。
自分は“イ・キ・テ・イ・ル・ン・ダ”って思った。
翌日の新聞には 私たちによく似た若者が(無謀に)遊泳している姿が写真に載っていた。
「写真;明石海峡大橋 海の向こうは淡路島」
私は夏の終わりが近づくと “岬めぐり”の歌を思い出す。
高校1年生の夏、私は同じ中学校の友人たちと岬めぐりの旅に出かけた。
目指すは和歌山県の潮岬。
海の無いN県に育った我々にとっては“海”は特別な存在である。
海水浴をしようと海岸(串本あたり?)に行ってみたのだが・・・台風の接近で波は高く・・・
まぁ~折角来たんだからと 閉まっている海の家のウラで適当に着替えた。
「ワァ~」って全員で海に突入した瞬間、私の身体は海水の中をクルクル回転した。
目を開けてあちこち見ても、ただ砂が舞っているだけ・・・
必死になって平泳ぎをいくらしても海面に到着出来ない・・・
私は“上(海面)”が分からなくなっていることに気がついた。
息苦しくなっていくのを我慢して 身体が海面に浮くことを信じてじっとしていることにした。
やっと顔が海面に出た瞬間、息継ぎをする間もなくまた大きな波にのまれ身体が回転をした。 何度か浮かび上がって海面から顔が出た瞬間に陸の方向に泳ぐことにした。
足が立ちそうなところまで・・・手で海底の砂を掴んで地球にしがみつこうとしても、また沖の方に身体を連れ戻されてしまった。
沖のブイにしがみ付きながら「コノママデハシンデシマウ・・・」と考えてしまった。
何度上陸をチャレンジしたのだろうか・・・私は陸に寝転ぶことが出来た。
自分は“イ・キ・テ・イ・ル・ン・ダ”って思った。
翌日の新聞には 私たちによく似た若者が(無謀に)遊泳している姿が写真に載っていた。
「写真;明石海峡大橋 海の向こうは淡路島」