十津川大水害は、1889年(明治22年)8月、熊野川(十津川)流域で起きた大規模水害である。奈良県吉野郡の十津川地域(現十津川村)に壊滅的な被害をもたらした。
秋雨前線が日本付近に停滞しているところへ、台風が南海上から接近、8月18日から19日にかけて和歌山県から奈良県南部の範囲に大雨をもたらした。記録された最大雨量は和歌山県田辺(現田辺市)の日雨量901.7mm、時間最大雨量169.6mmであった。台風は19日午前6時過ぎに高知県東部に上陸し、まっすぐ北上して四国地方及び中国地方を縦断、20日に日本海に抜けた。雨は9月7日まで降り続いた。
奈良県吉野郡十津川郷(現十津川村)では、大規模な山腹崩壊が1080か所で発生。十津川が刻んだ谷を土砂が埋め37か所で天然ダムをつくり、多くの堰止湖が出現。天然ダム決壊にともなう洪水により甚大な被害が生じた。土砂堆積は地形を一変させるもので、河床に堆積した砂礫は平均で30mとの推定がある。この災害は深層崩壊の典型事例として記録されている。
十津川郷は、村民12862人のうち死者168人、全壊・流出家屋426戸、半壊まで含めると全戸数2403戸の1/4にあたる610戸に被害、耕地の埋没流失226ha、山林の被害も甚大で、生活の基盤を失った者は約3000人にのぼり、県の役人が「旧形に復するは蓋し三十年の後にあるべし」と記すほどであった。被災者2691人が同年10月北海道に移住、新十津川村がつくられることになった。
@護摩壇山
護摩壇山(ごまだんざん)は、紀伊山地の和歌山県と奈良県の県境付近にある山。標高は1,372mである。
落ち延びた平維盛が、高野山を経て逃れてきた時に平家の命運を占うため、ここで護摩を焚いたとの言い伝えからこの名が付いた。
和歌山県の最高峰であると言われてきたが、国土地理院が2000年に護摩壇山の東方約700mの峰の方が10m高い(1,382m)ことを確認し、和歌山県の最高標高地点となるこの峰は「龍神岳」と命名された。
【写真】①護摩壇山から十津川郷方面の眺め
②龍神高野スカイライン;ごまさんスカイタワー
秋雨前線が日本付近に停滞しているところへ、台風が南海上から接近、8月18日から19日にかけて和歌山県から奈良県南部の範囲に大雨をもたらした。記録された最大雨量は和歌山県田辺(現田辺市)の日雨量901.7mm、時間最大雨量169.6mmであった。台風は19日午前6時過ぎに高知県東部に上陸し、まっすぐ北上して四国地方及び中国地方を縦断、20日に日本海に抜けた。雨は9月7日まで降り続いた。
奈良県吉野郡十津川郷(現十津川村)では、大規模な山腹崩壊が1080か所で発生。十津川が刻んだ谷を土砂が埋め37か所で天然ダムをつくり、多くの堰止湖が出現。天然ダム決壊にともなう洪水により甚大な被害が生じた。土砂堆積は地形を一変させるもので、河床に堆積した砂礫は平均で30mとの推定がある。この災害は深層崩壊の典型事例として記録されている。
十津川郷は、村民12862人のうち死者168人、全壊・流出家屋426戸、半壊まで含めると全戸数2403戸の1/4にあたる610戸に被害、耕地の埋没流失226ha、山林の被害も甚大で、生活の基盤を失った者は約3000人にのぼり、県の役人が「旧形に復するは蓋し三十年の後にあるべし」と記すほどであった。被災者2691人が同年10月北海道に移住、新十津川村がつくられることになった。
@護摩壇山
護摩壇山(ごまだんざん)は、紀伊山地の和歌山県と奈良県の県境付近にある山。標高は1,372mである。
落ち延びた平維盛が、高野山を経て逃れてきた時に平家の命運を占うため、ここで護摩を焚いたとの言い伝えからこの名が付いた。
和歌山県の最高峰であると言われてきたが、国土地理院が2000年に護摩壇山の東方約700mの峰の方が10m高い(1,382m)ことを確認し、和歌山県の最高標高地点となるこの峰は「龍神岳」と命名された。
【写真】①護摩壇山から十津川郷方面の眺め
②龍神高野スカイライン;ごまさんスカイタワー
写真は昨夏、竜神温泉へ行く時に撮影したものです。
あの時は、まさかこんなことが起こるなんて予想もしませんでした。
さあ、またまた台風が接近しています。
無事で通過しますように・・・
雨戸を閉めました。
今朝の新聞に十津川村の道へ応急道路復旧が出来たと見ましたが、また大型台風、豪雨もですし、上陸の危険もありそうですし。
あきらめておられたとしても、現実になるのはお辛いでしょう。ほんとにお気の毒です。