旅のウンチク

旅行会社の人間が描く、旅するうえでの役に立つ知識や役に立たない知識など。

トラウマは友達

2007年04月25日 | その他
私の両親は非常に厳しい人達で、特に父親に至っては軍人家系に育ったためか非常に厳しく子供達に接する人間でした。いまひとつ状況判断の上手くなかった私も、私の姉も何度厳しく叱られても上手く立ちまわる事ができず、何度も金盥(ブリキの洗面器)や金属の柄杓で殴られたものです。だから、子供の頃、家にあった金盥や柄杓はいつもベコベコに変形していて、まともな形の物は一つとして記憶にありません。これはほぼ完璧に虐待ですね。今なら犯罪者でしょうね。ただ、大怪我をさせられた事もないので、両親はそれなりに手加減していたのでしょうけれど。

そんな中で育ったため、私はどうにも年長者、特に男性の年長者がいつも怖くて、この事はその後、海外を旅するようになりはじめた頃にも海外で会った他の国からの旅行者に"オマエの父親はとても厳しい人だったんじゃないか"と指摘されるほどでしたから、よほどはっきり態度に表れていたのでしょう。

その事について、最近思いあたったのが"トラウマ"という言葉です。心的外傷という奴です。

私は間違いなくあの両親のおかげで年長者に対してトラウマを抱えていたのだと。それと同時に思ったのは"トラウマ"も悪くないなと。

上にあげた状況を考えてみましょう。私はいつも年長者の前では萎縮しているわけです。年長者にナマイキな口をきいたりする事など思いもよりません。さて、これが私にとって損に結びつく事がいったい世の中にそれほど多くあるでしょうか。年長者の気分を害さないように気を配り、相手の言葉に耳をかたむけ、話す時には丁寧な言葉で話し、調子に乗りすぎないようにも気をつける。

よく考えたら、あたりまえの事ですね。それに対して非常に敏感な神経を持っているわけで、社会との関わりで得する事の方が損する事よりも圧倒的に多いわけです。思い起こしてみても、どういうわけか目上の人から意味もなく信頼されたりした記憶が多々あります。

だから"トラウマ"も悪くない。心的外傷というといかにもかわいそうなイメージですが、人間の学習能力の一つなのではないかとも思えてきます。

そんな便利なトラウマを私に植えつけてくれた両親にこの場を借りて"ありがとうございました"とお礼が言いたいと思います。

ちなみに年長者に対するトラウマを抱える諸君がこれを読んでいるのであれば、あまり気にしなくて良いです。なぜならば、人間は平等に歳を取るからです。つまり、いずれ自分は年長者になるのであって、それと共にトラウマの対象自体が減少していって、トラウマ自体も消滅するという計算が経験上言える年長者トラウマ算数の解です。


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