日曜日を利用して普通救急救命の再講習に行ってきました。
20世紀の終わり頃には周囲の二輪ライダーがモーターサイクルクラブ連盟の協力で自主的に開催していたファーストエイド講習会のとりまとめ役をやっていたこともあり、CPRやその他の講習は何度も体験していますが、何となく紙に書いた認定が欲しくなって、中野区が主催した講習会を受けたのが一昨年のことでした。その後も区の広報誌などをみて機会を探していましたが、今日が再講習の機会となったわけです。胸骨圧迫や人口呼吸はもう何度もやっているので、個々の技術は”うまいですね”と言われる程度にはこなせる自信がありますが、こういう講習会が重ねられる中、実践を通じて考え方が変わってきている部分も多く、変更点を再確認に行く意味で再講習を受けるようにしました。
そういえば、紙の認定書をもらった年、生家に帰った時に認定書を見せたところ、”私も持ってる”と姉と母が次々と(母は確か上級救急救命)持ち出して、親子2代で4人中、3人が持っている事に驚いたこともありました。今日の講習会には一応の定員、30名を超える人数の参加があったそうで、大盛況といえそうです。アメリカのシアトルでは人口の約半数が救命講習の受講者との話ですが、もしかすると近いうちに日本も追いつくのかもしれませんね。
数年に1回、講習を受けたからといって、いざ心肺蘇生が必要な場面に出会ってしまったら、もう講習の事を忘れているのではないかと私も最初の頃は思いました。実際、忘れている事もあると思いますが、例えば胸骨圧迫と人工呼吸を教科書通り、30:2でやるか、忘れてしまって25:3でやるか、何もしないかを比べてみれば、間違いなく、25:3でも何もしないより良いに決まっています。それだけでなく、講習を受けていると、自分の視野が広がるというか、今まで見えなかったものが見えてくるという効果があります。
ノンデザイナーズ・デザインブック(ロビン・ウイリアムズ著)という本の冒頭に”ジョシュアツリーの悟り”という文章があります。家の近所にある不思議な形をした木について、ずっとこんな木は他にないと思っていたのが、図鑑で調べて、ジョシュアツリーという名前の木であることがわかった途端、身の回りにあるジョシュアツリーが見え始めて周囲にたくさんあることが判ったという内容です。この話の骨子は、漠然とした概念もそれを名前で呼ぶことができるようになった途端により明確に見え始めるという事の例なのだと思いますが、これと似た現象です。
私は記憶している限りで、目の前での2輪の交通事故が2件、歩行者がはねられた事故が1回、高速道路での4輪の事故が2回、バス停で人が倒れていたことが1回、池袋駅で目まいで座り込んだ人に救急車を呼んだことが1回。救急車を呼んだ経験があります。そういえば、カナダのオフロードファンライドでガイドを務めてくれていたデイブが大転倒して意識不明だったのを救助したこともありましたが、まあ、それは今回の話からは少し外れます。今の話は、そう。これら救急車を呼んだ体験。たぶん普通の人と比べれば多いかもしれませんし、バイクで移動することが多かった私は交通事故を見かけることが自然と多かったかもしれませんがこのすべてが、冒頭で上げたファーストエイド講習会にかかわるようになってからの体験で、それ以前には一度も救急車を呼んだ事などないのです。そう考えると、講習会を受ける前は、事故現場を目にしても、体調を崩している人を見かけても”他人事”として見過ごしていたことが、講習会を受けたことで自分に何かできることがあるようになり、少し”当事者”意識でものを見るようになって、自分の周囲で起こる事故や、あるいは自分の周囲にいる、体調を崩した人が目に入ってくるようになったのだと思います。
私個人に関して言えば、こういった講習会を受けるようになって、間違いなく人に対して優しくなれたと思います。だから、また次も機会があれば参加したいと思っています。
救急救命に限らず、自分が何かに対して体験を積むということは、普段の視野そのものを広げてくれることだと思います。旅をして見分を広げることも、ただ単に自分が訪れた国に対する知識や観光地の情報を身に着けるというだけでなく、普段の生活の中での視野も自然と広げてくれることになるはずです。
20世紀の終わり頃には周囲の二輪ライダーがモーターサイクルクラブ連盟の協力で自主的に開催していたファーストエイド講習会のとりまとめ役をやっていたこともあり、CPRやその他の講習は何度も体験していますが、何となく紙に書いた認定が欲しくなって、中野区が主催した講習会を受けたのが一昨年のことでした。その後も区の広報誌などをみて機会を探していましたが、今日が再講習の機会となったわけです。胸骨圧迫や人口呼吸はもう何度もやっているので、個々の技術は”うまいですね”と言われる程度にはこなせる自信がありますが、こういう講習会が重ねられる中、実践を通じて考え方が変わってきている部分も多く、変更点を再確認に行く意味で再講習を受けるようにしました。
そういえば、紙の認定書をもらった年、生家に帰った時に認定書を見せたところ、”私も持ってる”と姉と母が次々と(母は確か上級救急救命)持ち出して、親子2代で4人中、3人が持っている事に驚いたこともありました。今日の講習会には一応の定員、30名を超える人数の参加があったそうで、大盛況といえそうです。アメリカのシアトルでは人口の約半数が救命講習の受講者との話ですが、もしかすると近いうちに日本も追いつくのかもしれませんね。
数年に1回、講習を受けたからといって、いざ心肺蘇生が必要な場面に出会ってしまったら、もう講習の事を忘れているのではないかと私も最初の頃は思いました。実際、忘れている事もあると思いますが、例えば胸骨圧迫と人工呼吸を教科書通り、30:2でやるか、忘れてしまって25:3でやるか、何もしないかを比べてみれば、間違いなく、25:3でも何もしないより良いに決まっています。それだけでなく、講習を受けていると、自分の視野が広がるというか、今まで見えなかったものが見えてくるという効果があります。
ノンデザイナーズ・デザインブック(ロビン・ウイリアムズ著)という本の冒頭に”ジョシュアツリーの悟り”という文章があります。家の近所にある不思議な形をした木について、ずっとこんな木は他にないと思っていたのが、図鑑で調べて、ジョシュアツリーという名前の木であることがわかった途端、身の回りにあるジョシュアツリーが見え始めて周囲にたくさんあることが判ったという内容です。この話の骨子は、漠然とした概念もそれを名前で呼ぶことができるようになった途端により明確に見え始めるという事の例なのだと思いますが、これと似た現象です。
私は記憶している限りで、目の前での2輪の交通事故が2件、歩行者がはねられた事故が1回、高速道路での4輪の事故が2回、バス停で人が倒れていたことが1回、池袋駅で目まいで座り込んだ人に救急車を呼んだことが1回。救急車を呼んだ経験があります。そういえば、カナダのオフロードファンライドでガイドを務めてくれていたデイブが大転倒して意識不明だったのを救助したこともありましたが、まあ、それは今回の話からは少し外れます。今の話は、そう。これら救急車を呼んだ体験。たぶん普通の人と比べれば多いかもしれませんし、バイクで移動することが多かった私は交通事故を見かけることが自然と多かったかもしれませんがこのすべてが、冒頭で上げたファーストエイド講習会にかかわるようになってからの体験で、それ以前には一度も救急車を呼んだ事などないのです。そう考えると、講習会を受ける前は、事故現場を目にしても、体調を崩している人を見かけても”他人事”として見過ごしていたことが、講習会を受けたことで自分に何かできることがあるようになり、少し”当事者”意識でものを見るようになって、自分の周囲で起こる事故や、あるいは自分の周囲にいる、体調を崩した人が目に入ってくるようになったのだと思います。
私個人に関して言えば、こういった講習会を受けるようになって、間違いなく人に対して優しくなれたと思います。だから、また次も機会があれば参加したいと思っています。
救急救命に限らず、自分が何かに対して体験を積むということは、普段の視野そのものを広げてくれることだと思います。旅をして見分を広げることも、ただ単に自分が訪れた国に対する知識や観光地の情報を身に着けるというだけでなく、普段の生活の中での視野も自然と広げてくれることになるはずです。
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