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このゲストハウスの前にあるレストランでは朝の6時から大音響で音楽を流します。たまらず皆、早起き。メーサイはとにかく寒い。そしてチェンコンで洗った衣服はまだ乾いていません。昨日はズボンを履いて乾かせたので、本日はTシャツを濡れたまま着てみますが、あまりの寒さに虎の子の長袖に手が伸びます。
大音響で起こしてくれたレストランで朝食。ここは非常に珍しい事に若い男性が5人で運営していました。たいていの場合、女性が1人でやっているか、夫婦で運営している事が多いのです。
バイクを預ってもらった土産物屋のシャッターが開くのを待って出発。
今回、走行予定ルートを自分のバス旅の記憶に頼って作成したため、距離をよく把握していなかったわけですが、走り出してみるとチェンライまで60kmもない事が道標から読み取れました。このままでは、中途半端な時間にチェンライに着いてしまいます。
時間調整の為に立ち寄る所を探していると、"xxxx Water fall"という標識を発見。(すみません。記録していなかったので地名を忘れました。)標識に従って道を外れてみます。
典型的なタイの田舎の村をいくつか抜けて細い道を走っていくと、滝へ向かう道の案内看板がありました。この看板を見る限りでは、山越えで西に回り込んでチェンライに入る事も可能なように思えます。
砂防ダムを越える、仮の橋をバイクを押して渡ると、そこからは細いダートになります。もはや道の広さは4輪では走れない広さで、おそらく牛と人が歩く道なのでしょう。それでもバイクの車輪の跡が1本だけ走っています。
そこから程近い所で最初の滝の標識を発見。バイクを止めて川に出てみますが、滝というほどの場所ではありません。ただ、美しい水が流れており、イワナやヤマメがいそうな雰囲気ので東南アジアにいるとは思えない雰囲気です。
しばらくその辺りを散策した後、更に先に進めるかどうかを確認に行ってみましたが、道幅は更に狭くなっていて、ハンドル操作を間違うと川に転落します。オフロード経験の無い方々には無理であると判断、そして、その先おそらく道は通じていないとも思えたので引き返す事にしました。麓まで下って一服。ここは非常に空気も清々しく、気持の良い場所。かなりの時間、ここでのんびり過ごしながら雑談。
そうこうするうちに私の狙い通り昼を過ぎて、まんまと時間調整に成功です。
チェンライへ向かいながら、昼食をとれる所を探します。ところが見つからないうちにチェンライに到着。幸い、町に入った所で食堂を発見。それにしてもこの国には食べ物を売る店がやたらと多くて助かります。
今日の私は宿探しをしません。前に泊まったYa Houseに話はつけてありますから、そのままYa Houseへ。
皆さんが荷物を降ろしてくつろぎ体制の準備をしている間に中庭で記録をつけていると、タイ人のガイドが2人あらわれました。欧米からの旅行者に自分のやっているツアーの売り込みをしているのを見るとはなしに見ながら、"今回はこういうツアーに乗る時間が無いな"と思っていたら、そのガイドが、
"あんたは日本人だろう?、あいつも日本人だよ"
と、ガイドに同行していた人物を指差します。
"え?そうなの?、そうなんですか?"
と日本語で答える私にその人物は
"チャンペンコンジープン"
どういうわけか、タイ語で答えてくれました。私もこの程度のタイ語はわかるわけですが、何のためにタイ語で答えたのかの意図を図りかねて、本当はガイドがどんなツアーのガイドなのか聞きたかったのですが、気味が悪くなって、そのまま退散させてもらいました。
上のタイ語のうち、ジープンというのは日本の意味です。"旅の会話帳"のような本にはジープンと書かれていますが、実際、現地の人と話してみると、"イープン"とか"ニィープン"と聞こえる事が多く、実際、私は"ジープン"と言って通じなくて、"ニィープン"と言い直した事がたくさんあります。多分、彼は正しいタイ語を学習した人だったのでしょうね。私のように現場で聞き覚えたタイ語ではなく。
皆さんとチェンライを歩いてみる事になりました。私の記憶を辿りながら、マーケットを歩き、途中、記憶違いで寄り道したりしながらも、揚げバナナや空揚げを食べながら長距離バス停へ。けっこうな距離を歩いてしまいました。ここでしばらくバスの発着を眺めながら休憩。
思えば、20代前半の私はここでゲストハウスの客引きをしていた事がありました。あの頃とは比較にならないほどにバスの発着も増え、ターミナルには夕方でもバスがギッシリ停まっています。
軽くビールを飲んでナイトバザールで夕食を摂った後は、今回まだ利用する機会の無かったトゥクトゥクで私のお気に入り、お客様の評判最悪のゲストハウスへ戻ったのでした。
大音響で起こしてくれたレストランで朝食。ここは非常に珍しい事に若い男性が5人で運営していました。たいていの場合、女性が1人でやっているか、夫婦で運営している事が多いのです。
バイクを預ってもらった土産物屋のシャッターが開くのを待って出発。
今回、走行予定ルートを自分のバス旅の記憶に頼って作成したため、距離をよく把握していなかったわけですが、走り出してみるとチェンライまで60kmもない事が道標から読み取れました。このままでは、中途半端な時間にチェンライに着いてしまいます。
時間調整の為に立ち寄る所を探していると、"xxxx Water fall"という標識を発見。(すみません。記録していなかったので地名を忘れました。)標識に従って道を外れてみます。
典型的なタイの田舎の村をいくつか抜けて細い道を走っていくと、滝へ向かう道の案内看板がありました。この看板を見る限りでは、山越えで西に回り込んでチェンライに入る事も可能なように思えます。
砂防ダムを越える、仮の橋をバイクを押して渡ると、そこからは細いダートになります。もはや道の広さは4輪では走れない広さで、おそらく牛と人が歩く道なのでしょう。それでもバイクの車輪の跡が1本だけ走っています。
そこから程近い所で最初の滝の標識を発見。バイクを止めて川に出てみますが、滝というほどの場所ではありません。ただ、美しい水が流れており、イワナやヤマメがいそうな雰囲気ので東南アジアにいるとは思えない雰囲気です。
しばらくその辺りを散策した後、更に先に進めるかどうかを確認に行ってみましたが、道幅は更に狭くなっていて、ハンドル操作を間違うと川に転落します。オフロード経験の無い方々には無理であると判断、そして、その先おそらく道は通じていないとも思えたので引き返す事にしました。麓まで下って一服。ここは非常に空気も清々しく、気持の良い場所。かなりの時間、ここでのんびり過ごしながら雑談。
そうこうするうちに私の狙い通り昼を過ぎて、まんまと時間調整に成功です。
チェンライへ向かいながら、昼食をとれる所を探します。ところが見つからないうちにチェンライに到着。幸い、町に入った所で食堂を発見。それにしてもこの国には食べ物を売る店がやたらと多くて助かります。
今日の私は宿探しをしません。前に泊まったYa Houseに話はつけてありますから、そのままYa Houseへ。
皆さんが荷物を降ろしてくつろぎ体制の準備をしている間に中庭で記録をつけていると、タイ人のガイドが2人あらわれました。欧米からの旅行者に自分のやっているツアーの売り込みをしているのを見るとはなしに見ながら、"今回はこういうツアーに乗る時間が無いな"と思っていたら、そのガイドが、
"あんたは日本人だろう?、あいつも日本人だよ"
と、ガイドに同行していた人物を指差します。
"え?そうなの?、そうなんですか?"
と日本語で答える私にその人物は
"チャンペンコンジープン"
どういうわけか、タイ語で答えてくれました。私もこの程度のタイ語はわかるわけですが、何のためにタイ語で答えたのかの意図を図りかねて、本当はガイドがどんなツアーのガイドなのか聞きたかったのですが、気味が悪くなって、そのまま退散させてもらいました。
上のタイ語のうち、ジープンというのは日本の意味です。"旅の会話帳"のような本にはジープンと書かれていますが、実際、現地の人と話してみると、"イープン"とか"ニィープン"と聞こえる事が多く、実際、私は"ジープン"と言って通じなくて、"ニィープン"と言い直した事がたくさんあります。多分、彼は正しいタイ語を学習した人だったのでしょうね。私のように現場で聞き覚えたタイ語ではなく。
皆さんとチェンライを歩いてみる事になりました。私の記憶を辿りながら、マーケットを歩き、途中、記憶違いで寄り道したりしながらも、揚げバナナや空揚げを食べながら長距離バス停へ。けっこうな距離を歩いてしまいました。ここでしばらくバスの発着を眺めながら休憩。
思えば、20代前半の私はここでゲストハウスの客引きをしていた事がありました。あの頃とは比較にならないほどにバスの発着も増え、ターミナルには夕方でもバスがギッシリ停まっています。
軽くビールを飲んでナイトバザールで夕食を摂った後は、今回まだ利用する機会の無かったトゥクトゥクで私のお気に入り、お客様の評判最悪のゲストハウスへ戻ったのでした。
ya-houseで検索していたら貴方のブログへきました。
なつかしーです。
私は今から20年前に夫婦で3ヶ月程タイの旅をしていた時ya-houseに宿泊しました。
その頃ya-houseには日本人が1人住んでまして、私達も同じようにしばらく住みました。
バイクをレンタルしてアチコチ行きました。
当時のスタッフは私達と同年代か少し年下で、人懐っこくて楽しい若者達でした。彼らの奥さんはかなり幼な妻で民族の違いを感じましたね。
今でも当時の方がいてるのでしょうかね~
最近はバンコク泊まりばかりでしたから・・・
貴方のブログのおかげでまたya-houseに行ってみようかと思いました。
ありがとうございます。