旅のウンチク

旅行会社の人間が描く、旅するうえでの役に立つ知識や役に立たない知識など。

感性の完成度

2010年03月03日 | ライフスタイル
以前、移転前の事務所での出来事。仕事が終わってから友人達と飲もうと言う話になったのです。中に一人、ワインに関わる仕事をしている貴重な友人が居て、その人がワインを用意してくれました。他の人たちはそれぞれに食べ物を持ち寄っての安上がりな飲み会というわけです。

私個人は食べたり飲んだりする事は大好きですが、ワインに詳しいわけでもありません。いや、ワインを飲む機会そのものが、その頃まではあまりなかったと記憶しています。

そんな経験不足な時に、常に詳しい人の指導の下で飲んだりできるのが神か仏かが私に与えてくれた幸運。ウイスキーを初めて飲んだのはスコットランドのパブでお爺さん達に囲まれての事でした(以前、このブログにも書きました。)どうやらワインについても良い環境が与えられたというわけです。

用意された種類の違うワインを何本か飲みながら、酔いも回って、"結局酔っ払ってしまうから、せっかく違いが判るように飲み比べてみても、比較できるほどの感覚が残っていないかもしれないなぁ”と考え始めた丁度そのタイミングで目の前のグラスに注がれた白ワイン。これを口にした瞬間に、今までのものとは明らかに違う位"美味しい"と感じました。ただ、自分は知識があるわけではないので、"これが美味しい"など、自分流の評価を加える事は避けながら、今注がれたワインがどの壜に入っているのかだけを確認して、次のお代わりはその壜を手に取る事を考えていました。こういう自分の守備範囲を超えたところでは滅多やたらな判断を避けて通るのが私の狡賢いところであります。

しばらくすると、周囲で飲んでいいた人達から"これは、美味しいよね"と明らかに今までとは違う反応とそれに伴うつぶやきが聞こえてきました。自分の感性が妙な事になっていない事が確認できてホッとしました。用意してくれた人曰く、"それは美味しいに決まってます。値段だって他とは違う"と。

興味深く感じたのは、お酒というのはあくまで嗜好物ですし、それぞれに"好み"というのがあって当然というイメージを抱いていたにも関わらず、様々なきっかけで集まった、それぞれ違う環境にある人たちが揃って同じ物を"美味しい"と評価した事。ものすごく評価が分かれそうなものの評価が見事に一致した事が非常に興味深く、忘れられない記憶となっています。

その体験以来、私は人間の"感覚"というのはかなり正確なものだと思うようになりました。むしろ"評価が分かれる”場合こそ、何か別の要因に影響を受けているのであって、その多くが"偏見"なのだと考えた方が収まりが良いという事に気づかされたわけです。

例えば、こんな話。

私はあまり音楽には詳しくありませんが、全世界的に高い評価を受けているマイケルジャクソンはやはり皆が"良い"と感じる物があるでしょうし、逆にマイケルジャクソンを"嫌い"という人は何らかの偏見に基づいて違う尺度で評価をしようと努力しているか、あるいはよく知らないか、または自分が違う尺度を持っているという事それ自体を相手に主張したいだけか、に分類できるのではないでしょうか。

私自身は実際には"よく知らない"グループに属するのですが、上に書いたような体験をしてからは"よく知らないけれど、世界で高く評価されているのであれば、暫定的に敬意を払う"事が素直にできるようになりました。そして、そういう風に振舞えるようになった時、今まで以上に物事がそのままの姿で目に見えるようになったようにも思えます。

考えてみれば、知識というのはある意味では物事を判断していくための材料といえます。我々は日々、知識を蓄積して正しい判断をできるように努力を重ねているのかもしれません、ところが人間には元々かなり正確に良し悪しを判断できる"感覚"という能力も有していて、こちらに頼ったほうが良い事もあるという事を、あまりに知識を蓄積しすぎたばかりに忘れてしまっているのかもしれません。

時には自分の気持ちや感覚に素直に従ってみることが最大の正解を導き出す事になるのかもしれませんし、それができない時は、世間一般の評価というのに便乗してみるのも正しい方法論だとも言えるのです。”長いものには巻かれよ!”と昔の人も教えてくれています。"個性"という、漠然とした標語に振り回されて、何とか他の人と違う基準で物事を見ようとするのは結局自分の感性を殺す事になってしまうのが実際の所だと思います。自分が正しい感性を持っていて、その完成に素直に従えばほとんどの場合世の中の多くの人と同じ答えにたどり着くはずなのです。




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