フィギュアスケート全日本選手権が終った。
優勝・宮原、2位樋口、3位浅田、4位本郷、5位白岩。2位と5位の樋口と白岩は中学2年生だ。一見すれば若手の台頭。しかし、ジャンプを失敗したからといっても浅田真央の滑りは今回も別次元で、本人の落胆した表情とは裏腹に、私にとっては浅田という選手がスペシャルであるということを再確認するものだった。また、今回6位に終った村上佳菜子も、ミスは多かったものの、その滑りは表現力を増し、つぎつぎとジャンプを成功させる若手選手たちよりも魅力を感じた。
この2人のソチ五輪日本代表選手に、より高得点をとった若手選手よりも魅力を感じたのはなぜなのだろうか。彼女らの滑りは何が違ったのか…。
それは重力との付き合い方だと思う。
まだ体重も軽い中学生の選手は、軽々と重力の制約を超えてジャンプを成功させる。その反面、ムチのしなりやシルクのドレープのような、重みが生み出す美しさを纏うことはできていない。タメのある豊かな美しさを表現する為には、ジャンプでは敵になる重力を今度は味方につけねばならないが、若い選手たちにはまだそれを生む重さが備わっていない。25歳になった浅田真央の美しさとは、そうした重さを自在に操る美しさであり、村上も今回それを身につけつつあるように見えた。加齢とともに身体が変化すると、ジャンプを跳べなくなることが多いが、その一方で、その身体の変化によってもたらされる美しさもある。
氷上でスケート靴を履くことで重力を軽減し、バレエにさらなるスピード感と軽やかさを加えた美しきスポーツ、それがフィギュアスケートだと思う。しかし、地面に足をつけて踊るバレエの美しさを再現するには、スピードに流されそうになる身体をうまく制御する技術が必要だ。そして、それができるのは、加齢とともに重くなって来た身体を利用してバランスをとる技を身につけた一部のベテラン選手だけだ。鍛え上げられたしなやかな筋肉と無意識にまで高められた細部に行き渡る神経が、どこでカメラのシャッターを切っても美しいムチのしなるような動きを生む。
そんなしなやかさを身につけた身体は決して空を鋭く切り裂くこと無く、まるで空気に運ばれて行くように滑らかに動く。周りの空気が彼女を支え、引っ張って行くようなスパイラル。空気と一体になって浮かび上がるジャンプ。滑りを見てそう感じられる時、なんて美しいのだ…と感じている自分がいる。
例えば、イタリアのコストナーがソチ五輪でみせたフリー演技「ボレロ」はまさにそんな重力を味方につけた素晴らしい演技だった。大きな空気抵抗を生むはずの169cmという長身が繰り出すステップは、その重さがゆえに氷に吸い付き、まるで氷上でないかのようなキレを生み出した。長い手足は、その遠心力を上手くコントロールして、空気に引っ張られるように滑らかに羽を伸ばし、ダイナミックなジャンプを生んだ。
浅田真央という選手はそうした重力を味方につけた数少ない選手の一人であり、現在、彼女より高得点をたたき出す選手の中にも、それが出来る選手はほとんどいない。王者の風格というのはこういう滑りができてこそだと思うのだが、どうしても、ジャッジにはこういう部分は反映されにくい。
今シーズン、ジャンプでは精彩を欠いた浅田真央だが、それ以外の滑りはどんどん美しさと正確さを増している。それに、重力を味方にすること以外にも、曲の世界観の理解とか、本人の人生とのオーバーラップ具合とか、マイクロレベルでの滑りと曲とのシンクロとか、浅田真央のスゴさを上げたら切りがない。それだけに、低い点数が出ることで、彼女自身が暗い表情になったり、周囲も浅田真央の時代は終わったと感じたりするのだとしたら残念でしょうがなくてこんなことを書いている。
最後にもう一点だけ。
今回の全日本選手権で最も気になったのは、2位の樋口よりも5位の白岩優奈だ。その素直でごまかしの無いスケーティングは、どの瞬間を切り取っても美しい浅田真央のスケーティングに成長できる可能性を感じた。まだ子どもの滑りではあるが、重力から逃れるばかりでなく、重力を味方に付ける滑りができるようになれば、その表現力は陰に陽に素晴らしく花開くに違いない。以上、私の手前勝手な評定だけれど、これから注目したい選手だ。