橋本治とナンシー関のいない世界で

「上野駅から夜汽車に乗って」改題
とうとう橋本治までなくなってしまった。
平成終わりの年にさらに改題してリスタート。

耐震偽装捜査終了らしい。

2006-06-23 06:16:10 | Weblog
姉歯被告が今度は偽証罪に問われた。
1996年から偽装に手を染めていたにもかかわらず、国会で「98年が最初で、木村建設の篠原東京支店長に鉄筋減らせと圧力をかけられてやった」と証言していたからだ。96年の物件に木村建設は関わっていない。
これで耐震偽装の捜査はほぼ終了する見込みだという。

報道ステーションの古館伊知郎は、「姉歯一人悪者にして、業者と政界のつながりは手つかずで、住民の保証建て替えは進んでない」と憤っていたが、なんでここに「業者ぐるみの詐欺の立件ができないんだ!」という、古館伊知郎自身がいつも強調していた項目が入ってないのかと突っ込みたくなった。検察が立件を目指すといえばそれに乗っかり、もう無理だと言ったら、なかったことになっちゃうのだろうか。

私がこんなことに憤っているのは、ヒューザー、木村、総研、姉歯がグルとなった詐欺の立件は無理ではないかとずっと思っていて、グル詐欺を立証するすると言い続けている報道に違和感を感じていたからだ。

話はちょっとさかのぼる。

以前、耐震偽装の取材をしていたとき、中山構造設計という会社を取材した(結局ファクスのやりとりしかできなかったが)。
この会社は、かつてかの総合経営研究所の仕事を請け負っていた。総研の平河町にある本社ビルの構造設計はここが手がけている。もちろんその関係で木村建設の仕事もやっていた。しかし、この会社は技術力が高いという理由で、納期も遅く、料金も高かったらしい。それでかどうかはわからないが、木村建設と総研はこの中山構造設計から離れてゆく。その後木村建設がであったのが姉歯だった。
中山構造設計は、私の取材当時、木村建設の物件を手がけていたことで、偽装を疑われていた。
国交省がマスコミに対して出した書類がきっかけだった。その書類は、木村建設が施行した物件の一覧とその鉄筋量、そしてそれを設計した構造設計会社の名前が書かれたものだった。当然構造設計会社の名前は黒塗りになっていて非公開。しかし、そこには姉歯物件と同等かそれより少ない鉄筋量のものがいくつもあったため、第2の姉歯だ!とばかり黒塗りに消された犯人探しが始まったのである。
多分ここらへんの経緯は皆さんご存知だろう。

この数日前、総研の内河所長が偽装を否定した会見で、「以前は中山構造というところがやっていた」と言っていたのを憶えてたので、これは、黒塗りの下の犯人は中山構造かもしれないと思い、すぐ中山構造設計と連絡をとった。(ほかのメディアや社会部はどのように情報を得たのかは知らないが、皆、前後して中山に連絡をとっていた)
帰ってきた答えは、当然のごとく事務所の受付の女性からの否定の言葉。直接の取材は受けないとのことで、偽装否定の根拠を示す丁寧な(かなりお怒りの)設計解説も含む書面がファックスで送られてきた。
そこに書いてあったことは、私流の解釈で平易に言えば、<うちの会社は姉歯のような3流と違って高度な技術で構造設計しているため、鉄筋量が少なくても、耐震基準を満たした建物が設計できる。そんな技術が存在する。そもそも1?あたりの鉄筋量だけで耐震性が判断できると思う方がおかしい。建物の素材や配筋の仕方、窓の大きさや位置、さらにはその建物が建っている地盤の強さなどその他にも諸々の条件が重なって耐震性というのは決まるのだ。>というようなものだった。
私はなんとなく納得した。そりゃそういうこともあるかもしれない。これまで1?あたりの鉄筋量という基準だけでワーワー騒いできたが、それって国交相の情報を鵜呑みにしてたのと、一部の専門家という人の意見に頼ってただけでしかなかったからだ。現に私が取材した専門家の人は、例の総研の四カ所というひとの鉄筋量を指示したメモ(いわゆる四カ所メモ)を見て、これだけの情報量では判断できませんねと言っていたのだ。

「こりゃあ、あんまり簡単に、鉄筋量だけで、関係者を犯人扱いできないなあ」
そんな私の思いをよそに、鉄筋量の議論はいつのまにかどこかへゆき、中山構造設計はそれ以上責められることも無く(反対に疑いは晴れましたと言ってもらうことも無く)ただただ、<総研、木村、ヒューザーは故意に鉄筋を減らすよう指示し、姉歯とみんなでグルになって偽装詐欺を行ったという容疑でなんとか立件する>という方向にだけものごとは動き始めたのだ。
以降、自分の予測と多くの報道との間に溝が出来始めた。

私がこうした疑念を抱くようになったきっかけは、中山構造設計のファックスだけではない。
国交相からこの書類が出されるちょっと前、ある構造設計の会社のHPの書き込みを読んでいた。
(有)横井調査設計という構造とはいっても地盤や基礎の安全調査などが専門の会社のHPだ。
http://www.geo-yokoi.co.jp/
耐震偽装だけでなくいろんな時事問題についての評論を書いている、会社のHPというよりそっちがメインといっても良いくらいのボリュームで、論調も辛辣。最初はちょっとヤバメかなと思ったのだが、耐震偽装についての記述はさすが専門でもあってかなり論理的で納得させられた。
そこには、マスコミや検察が構造設計の内容や建築士の世界の現実を知らないままで取材や捜査をしているため、いろんなことを見誤っているという指摘がこれでもかというほど書かれていた。
その内容は、長くなるので後で一読されることを勧めるが、結論を簡単に言うと「もっと経済設計できないかという圧力はあったにせよ、誰も耐震強度が基準値を切るとわかってて鉄筋減らせ等とは言っておらず、姉歯が勝手にやったというのが真相ではないか。ぐるみの詐欺は立証できないだろう」というような内容だった。

構造に詳しい横井調査設計のHPと中山構造設計の解説書類。彼らが絶対的に正しいと断言は出来ないが、構造設計についての知識という点においては私なんかの数万倍、他のマスコミだって同じようなものだろうから、彼らの論を無視する理由は無いはずだ。

そしてその後、一部のメディアでこんな報道があった。
「木村建設の篠塚元支店長が、姉歯にはじめて仕事を発注する際、参考にするべき(経済設計された)構造設計図を渡し、このくらいでやってくれと指示したが、姉歯にはそうした設計をやるだけの技術力がなかったとみられる」というものだ。
この参考にすべき設計図というのがどこのものかは分からないが、姉歯への発注直前くらいまで中山構造に設計を発注していたのだから、中山構造の設計図である可能性は高い。

そう考えると、こうした構図が見えてくる。構造設計に明るくない施工業者(木村)が、参考見本があれば姉歯にも同様の経済設計できるだろうと勝手に思い込み、それを強要した。できなくても断れない姉歯は、適当に表面的数値だけ辻褄合わせ、検査に出したらなぜか通ってしまい、味をしめたというものだ。
ヒューザーは構造なんて気にも留めてなかったに違いない。ディベロッパーのコスト鉄筋代なんて微々たるものなのだ。
総研は、四カ所メモにもあるように鉄筋量削減にはこだわっていたようである。ただ、中山構造の技術が前提にあるのだとしたら、あの鉄筋量の強要は一概に法を犯すことを強要したとも言えない。もちろんその辺全て分かった上での確信犯という可能性がないわけではないが。

実はこうした見方は、月刊現代5月号(講談社)やサンデープロジェクト(テレビ朝日)でジャーナリストの魚住昭氏が自らの取材により発表している。
もやもやを抱えていた私は月刊現代で魚住氏の書いたルポを読み、やはりそうなのかとの思いを強くしたが、その他のメディアでこの説をとり上げたところはなかった。

その後、私自身も構造設計専門の事務所や構造設計が専門の大学教授などに取材した。
そして、耐震強度の計算方法、耐震基準1.0というのは、数種類ある計算方法どれをとるかで違ってくるということを理解。(ちなみに姉歯物件の計算は水平保有体力という方法で、その場所の地盤の強度の違い等は考慮しない。高度な方法というのはその辺も考慮する。つまり耐震強度1.0というのは万能ではないのだ。)
さらに、確信を強めた。

しかし、自分の考えが確信に変わってくるのに反して、耐震偽装に関する報道は少なくなって行った。
結局、当初のシナリオ通りの立件ができないという可能性が強まると、もうどうでもいいといわんばかりである。

当初のシナリオ・・・。その根拠はどこにあったのだろう。
『面白さ』『大衆受けする』。小嶋や内河の悪人顔とキャラ濃さがあだとなった。
何か見えないものに引きずられ、事件の解明に当たっていちいち疑問をもつことをマスコミは忘れていたと思う。

例えば鉄筋量が1?あたり60kg以下だとダメだというのはそもそも誰が言い始めたのだろう。
計算方法によっては、耐震基準を満たすこともありますということが、なぜ事件発覚した初期の頃に流布されなかったのだろう。

マスコミの勉強不足だけでなく、国交省がそういったレクチャーをしなかったことも大きな問題のひとつだろう。
意図的なのか、国交省もその辺の知識が不足していたのか?

最初の方で挙げた、木村建設の施行物件一覧の公開にしても、国交省の行動は不可解だ。
鉄筋量の少ない物件が他にもある事実を公表した真意はなんなのだろう?それが耐震強度を満たしているのなら、わざわざ発表することはないはずだ。その後これらの物件に偽装発覚という発表がないところを見ると、中山構造の主張は正しかったのだろう。
国交相になんらかの腹黒い意図が無いとしたら、この書類の公表の意味は、最先端の構造設計を今ひとつ理解していない国交省の担当者が、ほかにも危ない物件があると思い込み、これははやく世の中に知らせねば!とあわてて発表したとしか考えられない。

「国交省の役人さえ、構造設計というものには精通していない。ましてや地方の建築主事などひどいものだ。」
こうした話は構造の専門家の間では定説であるそうだ。ある取材の中で聞いたことだが、小さいが実力のある構造設計の事務所がある地方の物件の構造設計を請け負った時、確認検査で、こちらの高度な設計を、担当の役人が全く理解できず、そのせいで許可が降りない。で、業を煮やして、東京から大手ゼネコンの構造担当者をつれてきて説明をしてもらうと、すぐに許可のハンコをついてくれたそうだ。

結局ここら辺に、今回の問題の核心はあると思う。
上記の偽装に関わる一連の仮定が正しかったとしたら(姉歯の偽装をほかの3者は知らなかったとしたら)、検査機関が書類の偽造を見逃さなかったらこの問題は起こらなかったのだ。なのにただイーホームズだけが廃業したのみで、ほかの日本ERIなど偽装を見逃した検査機関は何の制裁も受けずのうのうと営業を続けている上に、その監督機関である国交省の責任もあいまいだ。
私が、古館伊知郎のコメントに憤りを憶えたのは、「業界と政界の関係」と「被害者保護」にしか触れず、諸悪の根源の行政の責任に言及しなかったからだ。それを言うなら「政官業の癒着」だ。

被害がこれだけ大きかったことに現れているように、この耐震偽装の根は深いはずなのだ。
これで終わっていいはずが無い。ここに書ききれなかった疑問点もある。
これはまた回を改めて書こうと思う。

横井調査設計は今後の裁判での暴露に期待と書いているが、闇はもっと深いかもしれない。
この横井さんは、マスコミと検察は信用するなと書いているが、この耐震偽装問題に関しては反論ができない。
とりあえず、このブログ読んだ方は、横井調査設計のページを見てみてください。

さいごに、今回の耐震偽装報道は「きっこの日記」のことを抜きには語れない。
今回はこのことに触れなかったが、これは別で書く。
これの功罪があまりに語られなさすぎな気がする。

長くなってしまったので、今回はこの辺で。
あーあサッカー負けちゃった。









0か1か。デジタルな世の中

2006-06-23 01:08:34 | Weblog
てっくさんという人のブログを読んでいたら、次のような記述に出会った。
『改革を止めるな?アホですか?あなたたちはなんですぐに0か1かのデジタルになる』

私が反応したのは、なんですぐに0か1のデジタルになるという部分。
ああ、デジタル社会ってこういうことかと、あらためてうなずいてしまった。

なんだか最近いろんなことが2者択一みたいなことになっていて、イライラすることが多いが、
身の回りのいろんな電気製品がデジタルに変わって行ったのに連れて、
実は人間の思考も0か1かの2者選択なデジタルと化していたのかもしれない。

てっくさんが指摘してたのは、最近の新人議員の傾向について。
いわゆる抵抗勢力が旧態依然とした公共事業バラマキを復活させようとしていることに対する反発が
「改革を止めるな!」の小泉節だけなのかよ、という突っ込みである。

5年が過ぎて、これだけ小泉改革に批判の声が上がっているのには、やはりどこかに不備があったからと考えるのが普通だろう。私だって行政改革はすべきだと思うし、悪しき利権構造はなくすべきだと思う。しかし、いくら公共事業バラマキに反対だからといって、これだけ四方八方から聞こえてくる小泉批判の声を検証もせず、ただ抵抗勢力と切り捨て、バカの一つ覚えのように「改革を止めるな!」と叫ぶのはホントのバカである。

このところずっと注目の、六本木ヒルズがらみ金融騒動、ライブドアとか村上ファンド騒動とかで起こってくる議論も、市場原理主義批判と、そうでなければ、昔ながらの談合資本主義かという思われるような主張だ。
なぜ、臨機応変、是々非々でこれからの日本に本当に必要な思想やシステムについて考えられないのかと歯がゆくなる。

そこにはメディアの責任もあるのかもしれない。メディアが「わかりやすく」とか「面白く」伝えるという名目で、とり上げようとする状況に対抗軸を作ることばかりに腐心してきた結果なのかも。
対立してぶつかって派手になればなるほど視聴者は関心を持ってくれる、そんな思いがこんなデジタルな世の中を作ってしまったのかもしれない。

世の中には、白と黒があれば赤も青もある。0か1のどちらかを選び続けてたら、永遠に進歩は無いということに気がつかないのだろうか。今ある選択肢を現状肯定して、「しょうがないよね」なんてどちらかを選んでたら、結局笑うのは既得権益だ。
0側の既得権益と1側の既得権益。いわゆる抵抗勢力が0側の既得権益だとすれば、ライブドアや村上ファンドはいってみれば1側の既得権益になりかけてた人たちかもしれない。彼らがつまづいたのは、彼らが真の挑戦者ではなく、旧既得権益を羨ましく思って、それ以上になるために、もっとエラいアメリカの既得権益様にすがっただけだったからではないかと思うのである。

ああ、日本はどうすればいいのかなあ。

そういう時、是々非々という言葉を多様していた田中康夫は、どんなに批判されてもやっぱり正しいのではないかと思うのである。そういえば、今日長野県知事選出馬表明したらしい。