朝日新聞で夏目漱石「こころ」の再連載が始まっていて、それを受けて、姜尚中が舞台となった鎌倉を歩く企画を同時に紙上でやっていた。
姜尚中は漱石の生きた明治時代以降、つまり近代以降を「人が塵芥(ちりあくた)のように扱われ、人間が人間でない時代になりました」と語る。「文明開化」がもたらしたものだ。漱石はそういう近代の到来に反問し(煩悶し?)、「こころ」を書いた。
このまえ、NHKの「72時間」という番組でスカイツリーを下から見上げる人々を追っていた。そこで、今しがたスカイツリーから降りて来た一人の男性が、「上から見ると人間ってちっぽけだなあと思った」と語り、さらに、そう思ったら少し元気が出てきたと言っていた。
技術の発展により、人間はどんどん神の視点を手に入れようとしている。そして自らのちっぽけさを上から見下ろす。神の視点で見下ろす時には元気が出るが、地上に降りて、一匹の蟻となって働くとき、漱石のような思いに駆られないか・・・。
高層ビルの上から地上の景色を見下ろすことは、そうした空しさをしばし忘れる為に、一瞬だけ神の視点を手に入れることのように思えて来た。
もっと考えることはあるが、仕事中なので、ふと思ったことだけメモしておく。