資本主義が国民国家を凌駕するとは思わなかった。
TPPというのはまさしくグローバル企業が国家に変わって主導権を握る時代の到来の象徴だろう。考えてみれば、主権は国民にあるとする国民国家においては、その国民の暮らしを牛耳るものが国家をも規定するということなど、とうの昔に気づいていいことだったのかもしれない。人は生きるための収入を得る場所に服従する。
私はもうひとつ「出島計画」というブログを作っている。http://www.dejima2010.com/
3年前、世の中がグローバル化していく中、今こそ再び出島を作るべきと考え、自分の中の日本を知る作業を出島プロジェクトと名付けた。当初は、地方の特産や手仕事を収集し、地方の良さ、日本の伝統技術の素晴らしさを紹介して、絶滅の危機から救おうと考えていた。さらにはそれが世界へのアピールとなるとも。まさに政府が提唱するクールジャパンの考えだ。実際に地方でいくばくかの手仕事を見、零細規模ながら一部はイベントなどで紹介することもした。しかし、私のやるべきことはそういうことだろうかとも思いながら今に至る。
3年ほど前、FTAやEPAなどという言葉に変わって突然表れたTPP。これは明らかに、かつてのオレンジ牛肉などの貿易交渉とは異質なものだ。日本の農家が立ち向かおうとしているのは、相手の国を介した個別の農家や協同組合ではなく、世界をまたにかけるグローバル企業だ。それは、アメリカという国家さえも太刀打ちできない巨大企業。そんな巨大なものを前に、どうすれば飲み込まれないかを考えねばならないと焦る。
以前は、世界へ打って出る手段として、日本の良さを抽出するための出島が必要だと考えていた。しかし、今は少し違う。世界へなど打って出なくてもいい。グローバル企業の進出によって、このままでは消されてしまいかねない日本の風土や文化を残すためにはどうすればよいかを考える場所。そう考えている。その結果、世界にアピールできるならそれもいいが。
幕末の開国から150年。日本の歴史からすれば、たった150年やそこらで、日本はこれまで培って来た美しい伝統文化を捨て去ろうとしている。一部金持ちの趣味の世界に追いやろうとしている。それも諸行無常であるというならばそれまで。いや、法隆寺だって東大寺だってあるじゃあないか、他にも世界遺産が…というかもしれないが、今の勢いで社内公用語を英語にするだの、グローバル人材だの言っていたら、それらはただの遺跡となり、建立時の精神を知る人は誰もいなくなるに違いない。いや、私とてそんなもの知りはしない。知りはしないが、まだ自分たちの祖先が作ったものだという実感はある。自分の感性がそうした古い建物に繋がっているのを感じることが出来る。
そんな自分は、大儲けはできなくとも、日本の手仕事が好きで、農業を愛し、ほそぼそながらやっている人の手からその仕事を奪いたくないし、そこで生まれる素敵な品々を失いたくはない。仕事は儲けばかりではないと考えて仕事をしている人はまだ少なからずいる。
資本主義という言葉は、まさに世の中のすべてをお金によって換算するという考え方のことだ。今頃になってそんなことが明確に見えて来た。今や家計から企業、国家経営まですべての営みが今や金勘定だ。誰にも理解されるように世の中をデータによって分析する。データとは数字であり、数字とは金額のことである。私たちはもはやそれ以外の物差しを持てなくなっているようだ。
そして、そんな世の中でもっともお金を持っているグローバル企業が、国家に変わって世界を支配しようとしている。つまりお金が人間を支配しようとしている。
国境で区切られた気候風土に規定された国という単位が統治の基本である間は、人々の生活においても、その土地の風土が重んじられる。しかし、国境がなくなり世界が流動化すれば、自分たちを規定するのは世界中で流通する資本(金)となり、それぞれの土地の気候風土は重んじられなくなるのかもしれない。そんな均質な世界が果たして楽しいだろうか?
世界の文化の中のかくれ里といわれる日本。そんな貴重なものを捨て去っていいのか…。
「出島計画」とは、そんなこれからの日本や世界のあり方を考える場だ。
グローバル化の荒波にさらされない避難地としての出島を作って、ゆっくり考える時間を持たねばならない。今まさに来ようとしているグローバル化の波と闘うためにも。
というわけで、これから、「出島計画」でいろんなことを考え、こちらのブログでも共有して行こうと思います。いっそこっちのブログタイトルも出島計画出張所としてもいいかもしれない。
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