大阪メトロの大改装、ダサい。老朽化対策は必要だから全く改装するなとは言わないが、これはダサいので反対したい。
大阪万博を見越しての大改装なのだろうけど、改装後のイメージが、前回の大阪万博が行われた1970年代の未来イメージからちっとも進化していないのが悲しい。とくに「近未来の大阪」がコンセプトの新大阪駅とか、70年代の小学生が未来都市として描いていた絵のようで、新しさのかけらもない。子供の絵の方が空中に魚が浮かんでいたり、まだ想像力に富んでいる(はい、私のことです)。科学がまだ万能だと信じられていた時代の近未来の姿。阪神淡路大震災、東日本大震災を経た日本において、いまだこれが個性的と考えられているとは・・・。
地下鉄という生活に密着したインフラをも「テーマパーク」化したい人々の思惑だけが暴走したようなデザインである。すべて観光目的で、変にテンション高く、変にわかりやすく地元の文化を表現すれば、それはハリボテの安っぽい一時しのぎになるのはお決まりで、だからこそ「テーマパーク」は頻繁に更新されるのである。地下鉄みたいな基本インフラがそういう頻繁に更新されるようなものであっていいわけがない。
「個性的なデザインに大改装」として紹介されている15駅のビジュアルイメージはすべてハリウッドのSF映画にありがちな、こぎれいだけれど、人間が生き生きしてない未来の管理社会の一場面のようだ。概して世の中はこういうイメージに引っ張られてインフラを変化させてきた。
2022年完成予定の弁財天駅のイメージ画。無味乾燥なコンクリートの駅舎の壁いっぱいに描かれた巨大な弁財天などを見ると、天変地異だか最終戦争だか宇宙人の侵略だかでもののみごとに崩れ去り、弁天様の頭の部分が瓦礫の中で悲しく転がっている姿しか思い浮かばない。
上記の話はまだデザインの問題ってことだけで片付けられるけど、コンセプトが「歴史」とされた淀屋橋駅は、公共の場とは思えない危険と隣り合わせのデザインだ。ホーム上の天井にいろんな形の古めかしいランプがザラザラとたくさんぶら下がっている。こんなの地震がおこって落ちてきたらどうすんの?それとも、ランプはホログラムで表現しているとでもいうのだろうか?スポンジみたいな新素材で作られているのか??美しさがないだけでなく、機能もダメだ・・・。
駅の改装にそもそも「コンセプト」とかって必要なのか??
ちゃんとした機能のある、使い勝手の良い、安全なものを最先端の技術と、現代の良きデザイナーの手で作るというのではダメなのか?おのずとそこには「今の大阪」が立ち現れてはこないのか?
そう思って、あらためて「コンセプト」という言葉をウェブの辞書で見てみたら、ものごとの方針を表す抽象概念であり思想ということである。企画などの場合は「切り口」か・・。
そうか、、みんな使い方を間違っているのだ。
コンセプトとは「心斎橋はファッションの街だからテキスタイルのイメージ」とかそのまんまを提示するとか単純なことではない。
公開された15の駅の改装イメージはどれもこれも「切り口」にまで至っていない。心斎橋だからテキスタイルの柄、淀屋橋だから歴史で古いランプ、弁天町だから弁天様を描く・・・まんまやないかい!こういうのはコンセプトを建てたとは言えないのだ。
こういう企画遂行における基本的な理解もないから、あまりに安易なアイディアが現実化してしまうのだなあ・・。
もはや日本経済は、コンセプトの壁紙を次々剥がしては張り替えることでお金を使っていかないと立ちいかないカンフル経済になってしまっているから、こういう一時しのぎを連発するほうが、ある意味都合が良いのかもしれないと多くの人が無意識に思っているのだろうか??
でもそれは退廃をもたらすだけではないのか。
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