橋本治とナンシー関のいない世界で

「上野駅から夜汽車に乗って」改題
とうとう橋本治までなくなってしまった。
平成終わりの年にさらに改題してリスタート。

はたらく蟻んこ

2010-08-05 23:26:49 | 日々のつぶやき
昨日、ツイッターを見ていたら、作家の高橋源一郎氏@takagengen のこんなつぶやきを見つけた。

<つぶやきここから>
夕方、まだまだ暑い。なのに、ベランダに出ていったしんちゃんが戻って来ない。出てみると、(ちっちゃな)庭に(ぼくの)サンダルをはいたしんちゃんが座って地面を凝視している。「なにみてるの?」「ありづか」。なにがおもしろいのか、ありづかに出入りするありたちに視線は釘付けだ。
2010年8月4日 15:15:05:JST webから

そんな風に、子どもは、なにかをじっと食い入るように見つめる。たいての場合、なにも考えずに。おとなにはもう真似できない(おとなが見つめる時にははっきりした意図があるのから)。いやたぶん、世界というものが、そこにあるだけで驚異だからだろうと思う。子どもの目には何でも映っている。
2010年8月4日 15:17:51:JST webから
<つぶやきここまで>

今年のゴールデンウイーク明け。
仕事を辞めて実家に帰省し、お墓掃除に行った
(「参り」じゃないんだよね。落ち葉や雑草がすごくて)。
すると、石と石の隙間に蟻の巣があるのか、
アリンコがいっぱいその隙間に向かっていろんなものを運んでいる。
たくさんの蟻で協力して大きな獲物を運ぶもの、
一匹で自分の体以上のものを運ぶもの、
獲物を一度は巣穴に突っ込みながら、再び出てきて向きを変え、
みんなでワッセワッセといろんなものを運び込む。
あまりに面白くて、おもわず持っていたiphoneで撮影した。

はたらく蟻んこ


Iphoneで撮影してる時点で、既に大人なんだが、
これを見ながら私は何を考えていただろうか。
高橋氏が言う「はっきりした意図」はあっただろうか。

自分の体の何倍も大きい獲物を運ぶ姿に「すげー」と思ったのは憶えている。
人間もピラミッドを造った時はあんな感じだったのだろう、とか。
ああ、あと、穴の奥はどうなってんだろうとかも考えた。
だってお墓だし。

「働くとは何か」とかも考えていた気もするが、
ただただ、ありんこの動きの面白さに釘付けだった気もする。

そうか・・・、
神の視点を疑似体験していたのか。オモロいはずだ。

明日は「蜘蛛の糸」でも読み返してみるとするか。

こんな私はいつになったら大人になれるのだろう。
夜、気温が下がって少しほっとすると、
こんないらんことを考えてしまう。

追記:
「そうか・・、」なんて書いたけど、
神の視点の疑似体験なんていう
一見もっともらしいことだけじゃないかもしれないな。







最新の画像もっと見る

コメントを投稿