変な画像で恐縮ですが、先日の熊本出張に行ったときにホテルの部屋から撮った熊本城です。(遠くに見えるのが)
こんな事を書いたら熊本の方たちに怒られるかもしれませんが、熊本は私が想像してた以上に大都市でした。加藤清正が熊本城を築城したのが1607年。清正というと武将のイメージが強いですが、現在の熊本を見てもわかるように卓越した行政手腕の持ち主だったようですね。治山治水などのインフラ整備と南蛮貿易などによる財政の強化で国はどんどん豊かになり、熊本は人が集まる魅力的な国に変貌していったのだそうです。何百年も前のそうした取り組みが今日の熊本繁栄の礎なのでしょうね。
清正亡き後、加藤家は改易され加藤家の熊本統治は約40年で終わりを迎えますが、加藤家の後に肥後熊本藩を統治した細川家(細川元首相のご先祖)は歴史を重んじ民衆の気持ちを尊重した政治を行ったとのことです。これもなかなかできることではありません。
「歴史に学ぶ」とは一般的によくいわれることですが、本当にそう思わされる事柄で政治も経営もトップダウンではなくボトムアップだと痛感いたしました。
最後に余談になりますが、清正の娘の゛あま姫゛は紀州徳川家の徳川頼宣の正室でその二人の間に生まれた子の子、ですから゛あま姫゛の孫即ち清正のひ孫が徳川8代将軍の吉宗(暴れん坊将軍)なのだそうです。歴史って面白いですね。
こんな事を書いたら熊本の方たちに怒られるかもしれませんが、熊本は私が想像してた以上に大都市でした。加藤清正が熊本城を築城したのが1607年。清正というと武将のイメージが強いですが、現在の熊本を見てもわかるように卓越した行政手腕の持ち主だったようですね。治山治水などのインフラ整備と南蛮貿易などによる財政の強化で国はどんどん豊かになり、熊本は人が集まる魅力的な国に変貌していったのだそうです。何百年も前のそうした取り組みが今日の熊本繁栄の礎なのでしょうね。
清正亡き後、加藤家は改易され加藤家の熊本統治は約40年で終わりを迎えますが、加藤家の後に肥後熊本藩を統治した細川家(細川元首相のご先祖)は歴史を重んじ民衆の気持ちを尊重した政治を行ったとのことです。これもなかなかできることではありません。
「歴史に学ぶ」とは一般的によくいわれることですが、本当にそう思わされる事柄で政治も経営もトップダウンではなくボトムアップだと痛感いたしました。
最後に余談になりますが、清正の娘の゛あま姫゛は紀州徳川家の徳川頼宣の正室でその二人の間に生まれた子の子、ですから゛あま姫゛の孫即ち清正のひ孫が徳川8代将軍の吉宗(暴れん坊将軍)なのだそうです。歴史って面白いですね。