江戸の妖怪、怪奇、怪談、奇談

江戸時代を中心とした、面白い話を、探して、紹介します。

鬼女   諸国里人談

2024-05-23 21:59:50 | 諸国里人談

鬼女   諸国里人談

           2024.5

享保のはじめ、三河国保飯郡舞木村新七と言うものが女房(原注:いわと言う、年ニ十五)を京都よりつれて来た。しかし、彼女は、常に心が尖っていて、ただ狂人のようであるので、夫は、これを嫌って逃げて出ていった。
女は、逃げた夫を慕って、遠州の新井まで追って来たが、関所を通ることが出来なかった。もどって、もとの所に住んで、ますます怒りの焔をさかんにして、乱心のごとくなった。
その折節、隣家に死んだものがあった。田舎の習慣として、あたり近くの林の中に、火葬した。
彼女は、そこに行って、半焼けであった死人を引き出し、腹を裂いて臓腑をつかみ出し、飯子のような器に入れて、素麺(そうめん)などを喰くように喰べている所へ、喪主の者が、火のありさまを見に来た。そして、この様子を見て大いに驚ろいた。そのことを聞いた村中の者が、棒を持って、その女を追いかけてきた。女は大いに怒り、「これほど美味いものはない。お前たちも、食え。」と言って躍り狂って、蝶や鳥のように飛ぶように走って、行方しれずになった。
その夜、近い所の山寺に入って、持って来た器より肉を出して、前のように喰べた。
僧侶は驚ろいて、早鐘で、里へ危急を知らせると、村民がかけあつまってきた。彼女は、この様子を見て、また、ここもうるさいと、寺の後ろの山の道もない所を、普通の平地の道を行くように駆け登って、姿が見えなく
なった。
生れながら鬼女となった事を、代官へ訴えた。
すると、役所より、件の事を文書にして村々へ知らせた、との事である。

諸国里人談巻之二 妖異部 より


河童の歌 諸国里人談

2024-05-22 21:57:53 | 諸国里人談

河童の歌    諸国里人談

              2024.5

肥前の国の諫早(いさはや)の辺(あたり)に河童が、多くいて、人々を取り殺していた。

    ひやうすべに 川たちせしを忘れなよ 川たち男 我も菅原

この歌を書いて海や河に流せば、河童は害をなさないと言う。
ひやううすべは兵揃(ひょうすべ)であって地名である。
この村に天満宮のやしろがある。それで、菅原(天満宮は菅原の道真を祭っている)と言ったのであろう。

○又、長崎の近くに渋江文太夫という者がいた。河童を避ける符(おまもり)を出していた。
この符(おまもり)を懐にいれておけば、河童はその人に、あえて害をなさないと言う。
或る時、長崎の番士が海辺で石を投げて、賭をすることがはやった。遠くまで投げた者を勝ちとした。

ある夜、渋江の家に、河童が来て、言った。
「このほど、我がすみかに、毎日毎日、石を投げられて、おどろかされている。これを止めないと、災をしてやろう。」と言った。
渋江は、驚いて、「ひょうすべに・・・」を書いた符(おまもり)を、河童に見せた。
人々は皆、不思議なことだと言った。

諸国里人談巻之二 妖異部 より


幻術で釈迦の説法を見せる  原題「成大会」  諸国里人談巻之二 妖異部

2024-05-11 21:37:27 | 諸国里人談

幻術で釈迦の説法を見せる

原題は、「成大会(大会をなす=有り難い光景を見せる)」

                       2024.5

永承(1046~1053)の頃、西塔の僧が京に出て、帰って来た時のことである。東北院の北の大路にて子供達が集まり、古鳶が縛りからめられて、杖で打ったりなどしていた。この僧は、慈悲を起して、扇などを子供達に与えて、鳶をもらい受けて放してやった。
その飛んで行った先の藪の中から、異形の法師が出てきた。
「先ほどは、御憐(あわ)れみを以って、命を助けていただきました。お礼をしたく思います。」
僧は、思い当たることがなくて
「そんな事は、思い当たりません。人違いでしょう。」
「そう、思われるのはもっともでしょう。私は、東北院の大路にて、ひどい目にあっていた古鳶です。私は、神通を得たので、大変嬉しいことです。お礼に、此よろこびに何ななりともお望みに任すべしとなり。」
さては、ただの鳶ではなかった事をさとった。
「私は、出家の身なので、世俗的な望みはない。しかし釈迦如来、霊山にて説法をされた様子を見せてください。」と言った。
すると、「それは、たやすい事です。」
と言って、下松の上の山に連れて行って登った。
「ここで目を閉じていて下さい。お釈迦様の説法の声が聞こえて来たら、目を開いてください。かならずしも、貴いと思っては、いけません。信仰心を起こされたら、私のためには、悪い事が起こるでしょう。」
と言って去った。

しばらくすると、御法の声(お釈迦様が話をする声)が聞えてきた。それで、目を開けると、山はたちまち霊山となり、地は血瑠璃、草木は七重宝樹となった。
お釈迦様は、獅子の座にいらっしゃって、文殊、普賢が左右に座り、菩薩や聖衆は雲霞のごとく、空より四種類の花が降ってきて、かぐわしい匂いの風が吹いて来て、天人は雲の上につらなって、すばらしい音楽を奏でて、如来は、大変に深い法門を演説されている有様であった。僧は、そのありがたさに感激し、随喜の涙を浮かべ、渇仰の思いが骨に徹り、思わず掌をあわせ、帰命頂礼すると、山が鳴動して、今まで見えていた光景は、かき消すように失せて、ただ草深い山中であった。僧は、これはどうしたことかと、寺院に帰り、水を飲んでいると、先ほどの法師が来た。

「あのように、信仰心を発してはいけないと約束したのに、その約束に反してしまいましたね。それで、護法天童が、地上に下り給い、このように信者を誑かしてはいけないと言って、われらを債めました。それで、私に従っていた小法師達も逃げていきました。私も、ひどい目にあいまして、どうしようもありません。」と言って、去って行った。(本朝語園)

注:この文の原文通りに現代文に訳しました。
  どうにも、理解しにくい内容です。
  小法師は、命を救ってもらった事のお礼として、幻術を使って、釈迦の説法の場面を見せた。しかし、それは真実ではなく、小法師が作った見せた芝居のような物である。
僧は、感動して、手を合わせて帰命頂礼した(信仰心を強く起こした)。その情報が、天上界に伝わった。そして、鳶=小法師が、幻術を使って、それらしい説法場面(真実でない、偽りの)を見せたことも、露見した。
それで、鳶=小法師は、罰を受けることになった。
始めに信仰心を起こさないで欲しい、と言ったのは、そのためでしょう。信仰心を起こすことは、良いことですが、嘘偽りの場面を見せるのは、良くないと、天上界の考えでしょう。しかも、お釈迦様などの姿を使ってでは、特に重罪という事でしょう。

諸国里人談巻之二 妖異部 より