「世直し太郎」の政局斜め読み

偏向マスメディア報道の本質を直観力で読み解き、内外の話題を大胆に斬っていきます。とりわけ大中華帝国主義許すまじ!です。

「民間企業の過失のない事業活動に政治処分を科す」ことの可否を国民的議論にせよ

2011年05月08日 | 原子力発電問題
現在日本に起きているのは、「原発の危機」と言うより、「政治介入の危機」であることを、多くの日本国民と理解を共有したいと思います。言い換えれば日本憲政史上最大の「政権交代リスク」だったかもしれないということです。

今般の中部電力への原発停止要請をどうみるか。

ズバリ私の見解は、平時においていきなり「民間企業の過失のない事業活動に政治処分を科す」ことの可否を国民的議論にせよということです。

多くのマスコミもまだ指摘できていないが、こういうトップダウンの政治の意思決定のやり方こそ、中央集権どころか、もっとも恐ろしい国家社会主義、いわゆるファッショな政治の意思決定なのだということです。

いま日本国民は、菅内閣によるファッショ政治を見ていると言う自覚を持つべきであると思います。おそらく後世の歴史が評価するのは、「菅内閣のファッショ政治」という総括になるであろうことをお伝えしたい。

民間企業の事業活動は、すべての利害関係者との利害の調整のもとに信頼関係を築くことが大前提にあります。だからこそ、年1回の株主総会も存在意義があります。株主や電力利用者の地域住民の理解なくしてどうやって事業活動ができるでしょうか。

ところが今回の政治介入は、その調整の責任は日本政府は一切取らないわけです。「中部電力の責任においてやれ」というだけです。

まず問題なのは、経済産業省管轄の原子力安全・保安院並びに内閣府にある原子力安全委員会の答申を受け、閣議決定した上での中部電力のへの要請という手順を踏んでいないことです。おそらく過日の中央防災会議の中で出てきた話で危機感を持ったのでしょう。それにそても、どこが民主的な手続きなのでしょうか。

あれだけ東日本大震災に関する数多くの会議体を作り、何も結論を出していない中で、稼働中の原発、それも中部電力の浜岡原発だけに運転停止処分を下した政治的意思決定の在り方に対して、疑問を持たない方が不思議だという事です。

さっそく仙石副官房長官が「運転停止は浜岡原発だけだ」との弁明をテレビ報道でしていますが、だったら中央防災会議の答申に基づいて要請したとはっきりと責任の所在を明らかにすべきです。

とにかく「統治能力がない」と言われると、すぐに調整なしにズバッと決めればよいと政治主導の意味を勘違いしているあたりがすでに能力の限界です。

【記事】

【浜岡原発停止】

「浜岡停止要請」戸惑う御前崎市 「再開困難」経済に打撃
5.8 02:48

http://sankei.jp.msn.com/life/topics/life-15490-t1.htm

 菅直人首相が中部電力浜岡原発の全面停止を唐突に要請してから一夜明けた7日、地元の御前崎市の石原茂雄市長は記者会見を開き、「もう少し地元の意見を聞いてほしかった」などと改めて反発してみせた。

ただ、「国が、総理が決定したことは重く受け止めなくてはならないと思う」とも話した。

中部電はこの日、要請を受け入れるかどうかの結論を持ち越したが、同市にとって財政や雇用面でも原発に依存する部分は大きく、市民からも不安の声が出ており、波紋が広がっている。



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