「世直し太郎」の政局斜め読み

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改めて「TVタックル」に観る原発議論の不毛性を考える

2012年04月24日 | 原子力発電問題
昨日放映されたTVタックルは、現在の原発問題を考える上で、とても反面教師として参考になりました。

まず言えることは、「既存の原発行政のやり方が良かった」などと評価する人は誰もいないはずです。

ところが「脱原発派」の方々は、「原発再稼働容認派」に、既存の原子力行政側の責任をすべて負わせようとしますね。とても奇異な現象です。

なぜなら、猪瀬東京都副知事が言っていたように、政治の不備、ガバナンスが不在である問題が存在しているにもかかわらず、原子力発電の必要性の問題、さらには安全性確保に向けた技術的検証の問題をごった煮のように進める討論では、所詮結論があいまいになりますね。

民主党の原口一博議員や自民党の河野太郎議員も、どちらも「口先番長」系列です。国会審議を通じて、有言実行でお願いしたいですね。

番組制作スタッフが喧々諤々の口から泡を吹くような議論を「番組演出として期待している」のはわかりますが、これでは消化不良も良いところです。

特にビートたけし氏が最後に上げていた「原子力技術が必要かどうか」などという問題提起そのものが、日本を三流国に堕落させてしまう危険性をはらむ認識です。

なぜなら「速やかに廃炉にする技術」であったとしても当然高度な原子力技術だからです。

自国で責任を持って処理する独自技術がない段階ですでに二流国ですし、まして原子力技術そのものがないような国が、これから原発を開発し、稼働させようとしている新興国以下になると言うことを意味することがわからないのでしょうか。下山思考もいいところです。

ましてや海外に原子力技術を売り込み、国策として輸出している日本の外交戦略の根本が問われ、国際社会から信用を失うことは間違いありません。

また、「脱原発の大合掌は、集団ヒステリーである」という見解も封印していましたね。おそらく番組を見ている人からのクレームが怖いのでしょうね。

さらに「高度なウラン濃縮技術の保有の延長線上に核兵器開発があり、核抑止力になる」というような主権国家として当たり前の正当な議論など望むべくもありません。

とにかく、スポンサーCMで成り立っている民放番組で、まともな原子力安全保障の話など出来ないということだけは分かります。  

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