演芸見ブんログ

寄席・野球観戦等に行った備忘録を残しています

09/06/06 浪曲定席(木馬亭・途中入場)

2009-06-06 | 日本浪曲協会
===途中入場===

一龍斎貞橘(講談)…『伊賀の水月』

木村若友…『仙台の鬼夫婦』(曲師:玉川みね子)

《お仲入り》

春日井梅光…『越後獅子祭り』(曲師:伊丹明)
(富士琴路休演)

五月一朗…『誉れの三百石』(曲師:加藤歌絵)


木村若友先生と五月一朗先生が同じ日に出演!
既に先月の木馬亭で確認して以来、この日が来るのが怖かった・・・(『さらばハイセイコー』か!)
いや、マジで楽しみにしていました。
東京メトロ浅草駅から“雷門通り”をテクテク歩き、“すしや通り”を経て「浅草演芸ホール」前へ。ここでまっすぐ歩けば「浅草ロック座」、右の“奥山おまいり道”に入れば「木馬亭」。
一瞬、逡巡・・・するわけもなく「木馬亭」へ!

《寄席演芸年鑑 2009年度版》より
木村若友…1911(明治44)年4月17日生まれ・1937(昭和12)年入門
五月一朗…1919(大正8)年7月7日生まれ・1934(昭和9)年入門

98歳90歳の“共演”ですよ!
間に挟まれた梅光先生(64歳・46年目)が『若手』に見えましたもん!

若友先生
失礼ながら、「“板付き”で登場するのかな?」なんて思っていましたが、とんでもない!!
矍鑠として登場した上に、声が素晴しい!!
こんなに伸びのある声、張りのある声でいらっしゃったとは!?
『仙台の鬼夫婦』という講談でもおなじみの外題で、井伊直人が女房に向こう脛を打たれた痛さを、
「孫の可愛いのと、向こう脛の痛いのは忘れられない!」
という“名言”で笑わせていましたが、その他の場面も感動しながら聴き入ってしまいました

梅光先生
98歳のパワーに圧倒されたご様子。
梅光先生は先週の『浪曲乙女組!』を客席で楽しんでいらっしゃいましたが、舞台の上ではキリッとしてまるで別人。(あたり前田のクラッカー)
「瞼の母」のように親子生き別れになり、ふとしたことで再会(息子は実父と知らない)した父親の、息子の幸せを願う心情に胸が熱くなりました。

一朗先生
関西には天龍三郎先生が94歳の今も舞台に立っているそうですが、一朗先生はその後に続く90歳。
「私もちょうど…50、いや、60…、いや、70…」
「それでは“十八番”の『越後獅子祭り』を…」(楽屋から「出ました」の声)
90歳にしてこのユーモアのセンスは素敵です。
この『誉れの三百石』、講談では「赤穂義士外伝 荒川十太夫」として読まれているようですが、なかなか聴く機会がないだけにこちらもじっくりと聴き入りました。

貞橘さん
先週のNHKテレビ『日本の話芸』は貞水先生の「伊賀の水月」。
貞橘さんが今日読んだのは「伊賀の水月」の『焼餅坂』の場面。
それにしても貞橘さんは貞水先生に口跡が似ていますね。
メリハリや強弱などはそっくりです。
どのような場でも落ち着いて読む姿は、まさに好感な好漢。良かったです!

梅光先生もおっしゃっていましたが、
腹の底から大きな声を出す
ことが長寿の秘訣なんでしょうねぇ
コメント
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