桜和尚ブログ

下記に引越しました
https://enden.amebaownd.com/

◆祈りと供養のしるべ建設始まる

2014年10月01日 | あの世この世

 

9月27日の地域紙「石巻かほく」に、カラーで大きめに掲載していただきました。

いよいよモニュメント「祈りと供養の標(しるべ)」が着工しました。

全国の支援者の方々の協力を頂いて、11月11日震災より3年8ヶ月を経て

完成予定です。

過去への祈りは供養に通じます。

未来への祈りは、希望や夢、幸せを祈ることにつながります。

この施設は震災のど真ん中(石巻市皿貝地区の鎮魂の森)から被災地全方向に祈りを伝えることができます。

鎮魂の場所というと、津波襲来の海岸を連想するかもしれませが、ここは

被災3県の南北400キロのちょうど真ん中に当たります。

角度としては210°。

この地に立って、北は久慈市、南はいわき市に手を合わせ祈りを送ることができるのです。

また、納骨堂も兼ねていますが、ここには震災で犠牲になったお骨を入れるのではなく、

震災であと取りをなくしたり、お墓を用意することができない方などのためのもの、

生活困窮者には無料で納骨できるように配慮したお墓です。

もちろん条件(檀家になっていない方なら)さえ了解頂ければ、普通の方でも、都会の方でも

納骨することができます。

(社)てあわせ、の目的は少子高齢化と震災復興です。

震災によって人生が狂った方少なくありません。

そして時代は超高齢化の大波が襲ってきます。

お墓が用意できない、入れないという人も今後予想されます。

お墓がないことで心配でたまらない。

これは震災の二次被害ではないかと思うのです。

そんな方々のためにも、生活が大変な高齢者のためにも、安穏な終の住処と思って頂ければいいと思います。

----------

 

 


◆最終回--手作り絵本『鉄砲と釣り鐘』---

2014年08月10日 | あの世この世

ゴーン

これでまた大好きな野球もできる。ホームランやストライクという言葉も使える。

もうひとつ、ゴーン

ブリキのおもちゃやボタンは帰ってこないけど、この音であの日の悔しさも忘れられそうな気がする。

最後に、ゴーン

これから俺ががんばって、母ちゃんやじいちゃん、家族を守っていくんだ。

そんな心が、ケンジに芽生えたのでした。

 

1ヵ月後、ケンジの前に、大きなリュックを背負い、包帯をぐるぐる巻いた片目の兵隊が現れました。

ケンジは兵隊を見て、一瞬後ずさりしました。

金属供出の嫌な思い出が、今でも頭から離れないからです。

しかし、兵隊の目には見覚えがあります。

「ケ、ケンジ!俺だ、父ちゃんだ!今帰ったぞ!」

兵隊はしゃがれた声で言いました。

父ちゃんは大きな怪我をしたものの、九死に一生を得て、戦争から戻ってこられたのです。

「と、父ちゃん、ほんとに父ちゃんか!?」

ケンジは父ちゃんのボロボロの懐に飛び込みました。

そして、泣きました。いつまでも泣きました。

 

ゴーン

 

世の中が変わる。

新しい時代が訪れる。

戦争のない、平和の鐘がなっている。

ケンジの耳には、そう聞こえたような気がしました。

(完)

このブログを評価していただいた場合は、下記登録ブログジャンルを押して下さい。

 

 にほんブログ村 その他生活ブログ 東日本大震災・震災復興へ

 

  にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へ
 
 

---------------------



 

 

 

 

 


◆平和について--手作り絵本『鉄砲と釣り鐘』--4

2014年08月10日 | あの世この世

 

「じいちゃん、この鐘どうした?どこの鐘や?供出で持っていかれたはずだべ?溶かされたんでねがったのか?」

ケンジは矢継ぎ早にたずねました。

「なぁケンジ、2年前、お前のおもちゃやボタンを持っていかれて泣いてたべ。

 あん時、じいちゃんも悔しかったんだ。必ずこの鐘も持っていかれると思って、

 次の夜、オラと若頭4・5人で、松明灯しながらこの700キロある釣鐘を、こっそり外して隠したんだ。」

ケンジはじいちゃんの話に驚きました。

「…日本中から金属を集めたのに、結局役には立たなかった。

 東磐井の寺や神社の釣鐘も、根こそぎ持っていかれたけども、武器にされる前に日本は負けてしまった。

 だけんども、供出したものは戻ってなんかこねぇんだよ。

 それを予想して、オラ達は常堅寺の釣鐘をこっそり隠したのさ。

 あん時は悪いことだと思ったけど、今となっては正しいことだったのかもしれねぇ。

 戦争は正義が悪に、悪が正義に、全てをひっくり返ってしまうほど、人の心を狂わせる恐ろしく愚かなことなんだ。

 もう二度とこんな時代を繰り返してはだめだ。

 釣鐘を隠したことは悪いことさ。だけんど、門崎の誇りを守ったことのほうが正しいと、

 この釣鐘の音を聞いて誰もが納得してくれるはずだ。

 これから時代は変わるぞ、ケンジ!平和な世の中になるんだ!

 確かに今は苦しいけども、一生懸命働けば必ず暮らしが良くなる。

 そんな時代が来る。

 間違いねぇ、さぁ、ケンジ、お前も鐘をついてみろ!」

ケンジは、じいちゃんに言われるまま、平和な時代が来る、努力が報われる時代がやってくる、もうビクビクしなくていいんだ、

そう思って鐘をついたのでした。


◆平和について--手作り絵本『鉄砲と釣り鐘』②

2014年08月09日 | あの世この世

ある日、ケンジが学校から帰ると、玄関先に、鉄瓶、火鉢、じいちゃんのクワが積まれたリヤカーがありました。

それを見たケンジは、前にじいちゃんが言っていた「金属供出」だと、ぴんときました。

金属供出とは、あらゆる金属製品を、戦争で使う鉄砲や武器に作り変える為に、各家庭から集めることです。

同時にケンジは、リヤカーの中にブリキのおもちゃがあることに気づきました。

そのおもちゃは、ケンジの父ちゃんが戦争に行く前に買ってくれた、とても大切なものです。

「そのおもちゃ、持って行かないでけろ!!」

ケンジは叫びました。

すると兵隊らしき人が、

「何だ貴様。日本国がアメリカと戦っているときに、協力しないのか!

 お前の父親も、歯を食いしばって戦っているんだ。

 鍋、釜はもちろん、針一本だって、戦争の役に立てるんだ、

 協力しない者は法律違反の罰則があるぞ!」

と、ケンジに向かって怒鳴りつけました。

 

 

ケンジは母ちゃんに向かって、

「母ちゃん、あのおもちゃ、父ちゃんからもらった宝物なんだ!持っていかねぇように頼んでけろ!!」

と言いましたが、母ちゃんはうつむいたまま、何も言えませんでした。

兵隊はケンジに近づき、

「その学生服のボタンも金属だな。それも供出しろ!」

と言い、ケンジのボタンを、ブツブツッと引きちぎっていきました。

 

 その夜、ケンジはその出来事が悔しくて悔しくて、布団に顔を埋めて泣きました。

その姿を見たじいちゃんは、ケンジに語りました。

「なぁケンジ。困った次時代になったなぁ。

 兵隊さん達は、金属となれば何でも持っていく気だ。

 常堅寺のつり鐘が持っていかれるのも、時間の問題だべなぁ。

 300年前、4代目のエンイツ和尚の時代、日照りが続いて米が取れず悪い病気が流行って、

 災いの無い幸福な世になってほしいと祈り、門崎の人たちが作ったそうだ。

 

 

 

 


◆三途の川と濡れ衣--手をあわせて彼岸を渡る

2014年03月21日 | あの世この世

今日はお彼岸の中日です。

今朝のやじうまテレビで「いまでしょ!」の林先生がお彼岸のことについて色々と解説していました。

ちょっと面白かったので、お伝えしたいと思います。

お彼岸は太陽が真東から昇り、真西に沈む年に2回だけの自然現象です。
真西に沈む夕日に西方浄土を重ね、極楽浄土に生まれま変わりたいという仏教の教えと結びつきました。

それではなぜ彼岸と言うのか?

彼岸は向こう岸のこと。それに対してこちら側の岸のことを此岸(しがん)と言います。
それではこの川はどんな川かというと、あの有名な三途の川だと言うのです。

川を渡るとあの世で、川を渡る手前の世界がこの世です。

(世界的な宗教は、必ず生と死の境目には川があるようです)

三途の川のサンズというのは、いろんな説がありますが、

3つの渡り方があるという意味でサンズなのです。

善人は橋を、普通の人は浅瀬を、悪人は深い急流を渡らなければなりません。

悪いことをすると、あの世でも大変な目にあうことになります。

いいコトすれば良い結果、悪いことには悪業の報いを教えているのですね。
まだまだその先があります。

その川を渡るとおじいさんとおばあさんがいて、着ていた着物を全部はぎとられてしまいます。

その着物を樹の枝にかけると、枝がしなりますが、その分だけ罪が重いということです。

このデータは閻魔大王様にすぐさま伝えられ、裁判の資料となるのです。

善人は濡れてないのですが、悪人の濡れている着物を善人にかけてやることを”濡れ衣”と言うのだそうです。へー初めて知った!

この濡れ衣という言葉の言われもこれまた様々諸説があリますが、この三途の川で使ったほうが物語に面白さが加わります。

シッタカブッタして多くの人に教えましょう(笑)

でも、こんな話を視聴率の高い朝の番組でやっていただくと、なぜ今日がお休みで、なぜ彼岸と言うのか、仏教とどう関係があって、どんな物語なのか知識として身に付き、日本文化を知る上でも大切なことです。

三途の川からちょっと話は外れますが、

彼岸は理想の世界という意味もあります。

仏の世界、浄土と解してもいいでしょう。

そして、此岸は我々が住んでいるこの世界のこと。

コチラがわから、あちらの彼岸にみんなで渡りましょうよ!

船に乗って、みんなで力を合わせれば必ず渡れるよ!

その時のお唱えがギャーテイ ギャーテイ ハーラーギャーテイ。

般若心経の終わりの方に出てくる言葉ですね。

いこうよ いこうよ みんなで行こう。そして、渡りましょう。

のような意味ですね。

 辛いこの世も、手を合わせ、みんなで渡れば怖くない。

さあさ、みんなで踏みだしましょう。

輝く光に向かって。暑さ寒さも彼岸まで。

春がそこまで来ています。

 

-----

 

このブログを評価していただいた場合は、下記登録ブログジャンルを押して下さい。
 
 

 

-------------------------------