桜和尚ブログ

下記に引越しました
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◆グーグル社のマインドフルネス

2015年07月05日 | マインドフルネス

グーグール社員の10人に1人が実践していると言います。

それも会社からの命令でもなく、各自が自発的に行っているというのです。

確かに最初は、アメリカ式のなんでも目的をもって、会社の利益や自己の目標達成のための

メソッドなのかと思って読み始めました。

しかし、思いやり、自己観察、信頼などの気付きが向上し、結果的には

社員の連帯感、最終的に会社の繁栄、さらには人々の平和や幸福、環境保護などにも

発展していくのだと、読み取ることが出来ました。

そして宗教色を取り払ったことが、普及の最大の原因です。

仏教側からすれば、「マインドフルネスも元の始まりはお釈迦様なのですよ」

と、主張したいのですが、仏教も宗教も取り払うことによって、

広く人の垣根を超えて、イスラムにもキリスト教にも、世界中に広がる要因になっています。

なおかつ、無宗教のマインドフルネスから、興味があれば仏教へ入るのもやぶさかでない、

ともいいます。

そこは個人の問題で、仏教的マインドフルネスの指導者に教えを受ければ良いことと

本の中に書いています。

 

何も求めない、目的を求めない、ただひたすらに・・という、禅や仏教の教えは、

高尚で深遠な宗教の枠組みなので、次のステップで、個人的にどうぞ、ということなのかと思います。

なんでも利益追求の、アメリカ式メッソドとしてのマインドフルネスか?という先入観がありましたが、

慈悲、思いやりという言葉もあり、思い込みを少し方向修正しなくてはいけません。

 

それにしても、日本的な日本人向けのマインドフルネスがあっていいと思います。

試行錯誤が必要です。

 

 


◆震災と介護職員の心のケア2「臨床宗教とマインドフルネス」

2015年07月04日 | 終末ケア

岩手日報(7月4日)に、介護施設におけるセミナーの内容が掲載されました。

 

・なぜ、生活から死が隠されるようになってしまったか?

・それによって、死への準備や、死に直面した時の心情はどのように変わってきたか?

・国はこれから病院のベッド数を15万も減らすというが、それによって地域や施設はどうなるか?

・年間130万人が死にゆく多死社会で、死に対する考え方を今後どのように捉えていくか?

・臨床宗教的には「あの世の存在」を肯定したほうが、死に逝く人も、生きる人も安らかになれるのではないか?

・震災で突然大切な人を亡くした場合、あの人は今どうしているかと聞かれたらどのように答えるか?

・民族宗教や民間信仰が、突然の死に対し、心を穏やかにしてくれる(グリーフケア的効果)場合がある。

・仏教のあの世の世界が、今を生きることに役立つのではないか?

・死は異常な現象、わからない世界、非日常だろうか(医学的死と仏教的死)

・世界的に確認されているお迎え現象は、安らかな死を迎える導きである。

・ビハーラ(仏教的ホスピス)の大切さ。死を前提にした、穏やかな医療と宗教的看取り。

これらが、震災後、感じたり考えていることです。

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宗教者が、これらの問題に係わる一番大きな点は「あの世」のことです。

この分野は、医療や精神科医なども踏み込めない領域でしょう。

この方々があの世のことを説いたら、霊能者かオカルトになってしまいますので(笑)

死後の仏教の世界観があることで、日本人は昔から悲しみ苦しみを乗り越え、深く豊かな生活を築き上げてきました。

 

臨床宗教師は宗旨宗派にとらわれず、布教もしません。

ですから、公共の施設や病院などの受け入れも可能なのです。

そして、臨床宗教と組み合わせると良いと思うのが「マインドフルネス」です。

もともとはブッダの瞑想法から発達したものですが、宗教色を取り去っていますので、

企業教育や学校教育、精神医療にも活用されています。

 

マインドフルネスを実践すると、ストレスを低減し、穏やかになります。

そして、心の奥の何か尊いもの、暖かなエネルギーのようなものが感じられるようになります。

私はマインドフルネスを、座禅とヨーガを取り入れながらエクササイズしていきます。

 

実は一番ストレスを貯めこんでいるのは、介護の職員さんであったり、震災に係わる

自治体の職員であったりします。

そのような方々に、マインドフスネスを体験して頂きたいと思っています。

 

 

 


◆介護職員の心のケアセミナー「臨床宗教とマインドフルネス」

2015年07月03日 | 終末ケア

先日、近くの高齢者介護施設で、臨床宗教師とマインドフルネスに関わる話をする機会がありました。

というのも、そこの園長さんから

「最近若い職員が、入所者の死をどのように受け止めていいか悩んでいるようだ。

死について話してほしい」というものでした。

 

医学的な「死」は病院の管轄ですが、介護に携わる方々の死に対する接し方は少し違うようです。

医学的に見れば死は敗北であり、死という一時点でしか見ることができません。死はそこで終わりなのです。

生◯---------------------●死

でも、宗教的な死は、生と一体のものであり、死という一時点の前後と、その先の世界もあると考えます。

紙の表裏のようなもので、表と裏をノリで貼り付けるとオモテが裏になり、また表になります(メビウスの輪)

 

昔、昭和30年ころは自宅で亡くなる人は8割でした。

ところが今、病院で亡くなるのが8割になってしまいました。

それだけ死は、生活から隠されてしまったのです。

死に接する機会がなくなってしまいました。

だから若い職員の方々が施設で、入所者の死に接すると、どうして良いかわからない様になってしまうのだと思います。

生が死へ変化することは知識ではわかっていても、感情が伴わない、受け入れられない、そのアンバランスが

精神的なストレスや不調になって、「こんな仕事もう辞める」ということになってしまうようです。

それもそのはず、介護福祉を教える学校では、亡くなった時の対処法など何一つ教えてはくれないのですから。

今までは介護施設で死と接することはあまり考えなくてよかったのですが、

いま国は、全国の病院のベット数を2025年時点で15万減らすと言っています。6.16新聞報道

岩手では今より2割減らされるのです。

その分、地域や家庭で病気・介護を診なければなりません。

当然、施設や家庭で、死と接する事になり、

今後、死への拒否反応がどんどん拡大するのは、間違いのないことです。

 

日本人は昔から生活の中に死が同居していると考えていました。

仏壇はあの世との交信の箱。

あの世の魂がこの世と行ったり来たりする期間。彼岸や盆。

あの世からのお迎え

などなど。

 

死は終わりではなく、ストーリーを持っていました。

それによって悲しみを低減させ、豊かな情緒を育んだのです。

 

臨床宗教師は、あの世の存在を「ある」と肯定したほうが、安らかに逝くことができると考えます。

さらに私は、マインドフルネスをこの現場に取り入れることはできないかと考えます。

死を知識だけでなく、深い心の世界に触れたり、新たな自分に気づく為のエクササイズとして、マインドフルネスによって感じることができるのではないかと。

それを初めて実際に実践体験したのが、今回のセミナーでした。

 

臨床宗教とマインドフルネスを組み合わせることによって

心のケアや震災関連うつ、など

それから自殺対策(岩手は秋田を抜いてワーストワンになってしまいました)にも有効ではないかと思います。