あるおばあさんからの電話で考えさせられました。
お墓は守ってくれる人がいるから、代々続いていくもので、
誰かが葬儀をして墓に入れてくれるから安心なのだと。
葬儀をしてくれる人もない、墓もないでは、あの世の不安は増すばかりです。
都会に目を向けると同じことが言えます。
シングルやお一人様が多い世の中。そしてだんだんと自分が年老いていけば
親しい人達も少なくなっていく。
迫りくる死の恐怖。せめて入る墓や、誰かが葬儀を執り行ってくれるのなら、安らぎを感じられると思うのですが・・。
震災によって墓がない、自分が亡くなったら誰が葬儀をあげると言う問題は、
被災地も都会も、同じ悩みを抱えているということに気付かされます。
ちょうど日本は2005年から死亡数が出生数を上まわる、人口減少社会に突入しました。
今では年間100万人も亡くなっています。(仙台規模の人口の街が1年間にすっぽり姿を消すという数です)
震災がなければ、人口減も自然減で、死の問題や墓や後継者の問題など、見逃されていたはず。
震災によって開けてはならない「パンドラの箱」を開けてしまったのです。
なかから不幸な出来事が、うじゃうじゃ這い出してきました。
少し前まで日本は、死ねる墓があり、誰かが弔ってくれたから、死への恐怖は少なかったのです。
しかし今の現状は前述したとおり。
安心して死ねない社会。そして、死の恐怖は誰にでもやってきます。
おひとりさまでも最期は金があればなんとかなる。だから蓄財する。
ですが、これがさらに自分を苦しめる原因になります。
ではどうしたら、安心して死ねるか?
ひとつのカギは墓にあります。
続く