臨床宗教師として生と死にどう向き合うか
河北新報の松田記者が、わざわざ仙台から一関に取材に来ていただき、記事にして下さったのが下記の文章です。
松田さんはマインドフルネスという心のエクササイズにとても詳しく、マインドフルネスを単なる「心のケア」
とは表現しないほうが良いとの考えを持っています。
これには私も同感です。
ただ、マインドフルネスがまだまだ知名度が低く、どのようなものか読者に伝える場合、
「心のケア」と表現したほうが一般にはわかりやすいので、メディアなどでは仕方がないこともあります。
記事は松田さんが、心のケア的表現を用いない絶妙な工夫がなされていて、とても好感を持ちました。
ところで、
私は昨年から、臨床宗教師がマインドフルネスによって終末の緩和ケアができるのではないかと考えていました。
ところが、この考えで既に以前から実践している方がいらっしゃったのです。
その方はジョアン・ハリファックスさん。(著作に死にゆく人と共にあること--マインドフルネスによる終末ケア)
藤田一照老師(曹洞宗国際センター所長)から、この本をご紹介頂きました。詳しくは、また後述します。
とりあえず河北新報の記事を以下引用掲載します。
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<祈りと震災>臨床宗教師、社会的使命を模索
死と生にどう向き合うか。僧侶と臨床宗教師として語り掛ける後藤さん=7月13日、一関市川崎町
◎介護施設で仏教セミナー/心の平穏へ瞑想導入
東日本大震災をきっかけに東北で生まれた臨床宗教師が、社会的役割をより広げようと模索している。
一関市川崎町の常堅寺住職、後藤泰彦さん(55)は地元の介護施設で仏教セミナーを始めた。
忍び寄る死の気配や大切な人を失った悲嘆に伴う根源的な苦悩を受け止め、宗教者としてそばにいるという臨床宗教の考え方に、瞑想(めいそう)などを取り入れている。
川崎町の特別養護老人ホーム寿松苑で7月中旬、「みとりセミナー」があった。講師に招かれた後藤さんは参加したホームのスタッフら約20人に語り掛けた。
「震災は不条理にたくさんの命を奪った。『なぜ人は突然死ぬのか』『どうして災いが自分にばかり降り掛かってくるのか』…」
震災が人々に突き付けた深い苦悩にいかに寄り添うかは、臨床宗教師の大きなテーマである。
後藤さんは続いて、宗教色を抜いた瞑想の時を設けた。参加者の呼吸を整えながら穏やかにつぶやいて瞑想に導く。
マイナス的な感情の改善などに役立つ「マインドフルネス」と呼ばれる手法だ。
後藤さんは震災後に東北大が開設した臨床宗教師研修に参加。臨床宗教のアプローチから死と生を考えた。一方で、マインドフルネスを仏教的視座から深めることは安定的な心の平穏につながると考え、学びを重ねている。
臨床宗教師の存在はまだ一般に浸透しているとは言えず、関係者は認知度を向上させ実践の場を確立していこうと、手探りの日々だ。マインドフルネスと合わせることで、新たな可能性が広がるかもしれない。
「みとりに関わることがある介護施設の若い職員らが、死に向き合う際の心の持ちようをそれぞれに考える場にもなる」と後藤さん。臨床宗教師がこれからの社会で担う使命を思う。
以上