桜和尚ブログ

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◆震災と介護職員の心のケア2「臨床宗教とマインドフルネス」

2015年07月04日 | 終末ケア

岩手日報(7月4日)に、介護施設におけるセミナーの内容が掲載されました。

 

・なぜ、生活から死が隠されるようになってしまったか?

・それによって、死への準備や、死に直面した時の心情はどのように変わってきたか?

・国はこれから病院のベッド数を15万も減らすというが、それによって地域や施設はどうなるか?

・年間130万人が死にゆく多死社会で、死に対する考え方を今後どのように捉えていくか?

・臨床宗教的には「あの世の存在」を肯定したほうが、死に逝く人も、生きる人も安らかになれるのではないか?

・震災で突然大切な人を亡くした場合、あの人は今どうしているかと聞かれたらどのように答えるか?

・民族宗教や民間信仰が、突然の死に対し、心を穏やかにしてくれる(グリーフケア的効果)場合がある。

・仏教のあの世の世界が、今を生きることに役立つのではないか?

・死は異常な現象、わからない世界、非日常だろうか(医学的死と仏教的死)

・世界的に確認されているお迎え現象は、安らかな死を迎える導きである。

・ビハーラ(仏教的ホスピス)の大切さ。死を前提にした、穏やかな医療と宗教的看取り。

これらが、震災後、感じたり考えていることです。

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宗教者が、これらの問題に係わる一番大きな点は「あの世」のことです。

この分野は、医療や精神科医なども踏み込めない領域でしょう。

この方々があの世のことを説いたら、霊能者かオカルトになってしまいますので(笑)

死後の仏教の世界観があることで、日本人は昔から悲しみ苦しみを乗り越え、深く豊かな生活を築き上げてきました。

 

臨床宗教師は宗旨宗派にとらわれず、布教もしません。

ですから、公共の施設や病院などの受け入れも可能なのです。

そして、臨床宗教と組み合わせると良いと思うのが「マインドフルネス」です。

もともとはブッダの瞑想法から発達したものですが、宗教色を取り去っていますので、

企業教育や学校教育、精神医療にも活用されています。

 

マインドフルネスを実践すると、ストレスを低減し、穏やかになります。

そして、心の奥の何か尊いもの、暖かなエネルギーのようなものが感じられるようになります。

私はマインドフルネスを、座禅とヨーガを取り入れながらエクササイズしていきます。

 

実は一番ストレスを貯めこんでいるのは、介護の職員さんであったり、震災に係わる

自治体の職員であったりします。

そのような方々に、マインドフスネスを体験して頂きたいと思っています。

 

 

 


◆介護職員の心のケアセミナー「臨床宗教とマインドフルネス」

2015年07月03日 | 終末ケア

先日、近くの高齢者介護施設で、臨床宗教師とマインドフルネスに関わる話をする機会がありました。

というのも、そこの園長さんから

「最近若い職員が、入所者の死をどのように受け止めていいか悩んでいるようだ。

死について話してほしい」というものでした。

 

医学的な「死」は病院の管轄ですが、介護に携わる方々の死に対する接し方は少し違うようです。

医学的に見れば死は敗北であり、死という一時点でしか見ることができません。死はそこで終わりなのです。

生◯---------------------●死

でも、宗教的な死は、生と一体のものであり、死という一時点の前後と、その先の世界もあると考えます。

紙の表裏のようなもので、表と裏をノリで貼り付けるとオモテが裏になり、また表になります(メビウスの輪)

 

昔、昭和30年ころは自宅で亡くなる人は8割でした。

ところが今、病院で亡くなるのが8割になってしまいました。

それだけ死は、生活から隠されてしまったのです。

死に接する機会がなくなってしまいました。

だから若い職員の方々が施設で、入所者の死に接すると、どうして良いかわからない様になってしまうのだと思います。

生が死へ変化することは知識ではわかっていても、感情が伴わない、受け入れられない、そのアンバランスが

精神的なストレスや不調になって、「こんな仕事もう辞める」ということになってしまうようです。

それもそのはず、介護福祉を教える学校では、亡くなった時の対処法など何一つ教えてはくれないのですから。

今までは介護施設で死と接することはあまり考えなくてよかったのですが、

いま国は、全国の病院のベット数を2025年時点で15万減らすと言っています。6.16新聞報道

岩手では今より2割減らされるのです。

その分、地域や家庭で病気・介護を診なければなりません。

当然、施設や家庭で、死と接する事になり、

今後、死への拒否反応がどんどん拡大するのは、間違いのないことです。

 

日本人は昔から生活の中に死が同居していると考えていました。

仏壇はあの世との交信の箱。

あの世の魂がこの世と行ったり来たりする期間。彼岸や盆。

あの世からのお迎え

などなど。

 

死は終わりではなく、ストーリーを持っていました。

それによって悲しみを低減させ、豊かな情緒を育んだのです。

 

臨床宗教師は、あの世の存在を「ある」と肯定したほうが、安らかに逝くことができると考えます。

さらに私は、マインドフルネスをこの現場に取り入れることはできないかと考えます。

死を知識だけでなく、深い心の世界に触れたり、新たな自分に気づく為のエクササイズとして、マインドフルネスによって感じることができるのではないかと。

それを初めて実際に実践体験したのが、今回のセミナーでした。

 

臨床宗教とマインドフルネスを組み合わせることによって

心のケアや震災関連うつ、など

それから自殺対策(岩手は秋田を抜いてワーストワンになってしまいました)にも有効ではないかと思います。

 

 

 

 


◆制度疲労した墓石と、今求められているもの

2015年03月29日 | 終末ケア

石の代々墓が制度疲労起こしているのは前回の通り歴然とした事実です。

そうであるならば、これからの時代どんな墓が必要とされているのでしょうか。

そのひとつが樹木葬です。

日本で初めての樹木葬は、一関の智勝院さんによって始まりました。

その樹木葬のコンセプトを一段進めたのが、みちのく樹木葬です。

樹木葬を希望する人達は、最期は自然に還りたいという思いが強くあります。

その意味では、何千年と日本人が受け継いできた土葬文化と共通します。

土に帰るという土葬の文化を継承しているのです。

それから、いつまでも忘れて欲しくない。生きた証を残したいという思いもあります。

今、家族(後継者)がいてもいなくても、墓を継承するには難しい時代になっています。

一代墓という継承しないお墓が求められているのです。

忘れてほしくないという問題を解決する手段。それには、永代供養という、寺院が後々の人にかわって供養し続けるということが望まれます。

つまり、今求められる2つの大切なお墓の条件として、

樹木葬は仏教的文化に沿った、寺院でなければできない葬法とも言えると思います。

 

つづく

 

 

 


◆妖怪ウォッチと吉祥天黒闇天

2014年12月31日 | 終末ケア

 

今日の大晦日の紅白歌合戦に、妖怪ウォッチが出演するそうです。

このアニメは知っていましたが、どんなストーリー?と娘に聞いたところ

例えば、ドンヨリーナとホノボーノという妖怪がいて、片方は人の心を悪に向かわせ、

片方は明るい心にする妖怪だといいます。

しかも、一匹だけでは存在せず、二匹でひとつの夫婦妖怪なのだそうです。

これを聞いて、仏教説話にもそんなのがあったと思いだしました。

 

吉祥天と黒闇天(こくあんてん)。福の神と貧乏神のようなものです。

しかも姉が吉祥天に対し、妹が黒闇天で、姉妹はいつも一緒なのです。

説話では、裕福な家にある日黒闇天がやってきました。

家主は不吉な貧乏神はお断りと玄関で追い出したところ、

その家はどんどん没落していったのだとか。

実はその家には長年、吉祥天が住み着いていたのですが、この神様は黒闇天の姉で、

二人はいつも一緒の間柄。片方を嫌って追い出すと、福の神まで去ってしまうという喩え話です。

妖怪ウォッチの作者は、こんなことも知ってキャラを作ったのかもしれません。

 

つらく苦しいことがあっても、必ず明るい時が来ます。

今は順風満帆であっても、いつまた嵐になるかわかりません。

楽あれば苦あり。苦あれば楽あり。

禍福はあざなえる縄のごとし・・と昔から言うではありませんか。

 

それにつけても、新しい年を迎える皆様が

今年も一年良い年でありますよう、祈り申し上げます。