順天堂大学医学部の小林医師が書いた”自律神経を整える”「あきらめる健康法」という本がとても面白かったので引用します。
(青字が引用部分です)
スキップしながら暗い事は考えられない。怒ったときは握った拳を開いてやるだけで、すっと怒りがおさまると言う事です。
以上、まるまる引用でしたが、まとめます。
順天堂大学医学部の小林医師が書いた”自律神経を整える”「あきらめる健康法」という本がとても面白かったので引用します。
(青字が引用部分です)
岩手県一関市地方の花見の名所
今年は家族がインフルエンザのため、外出することもできなかったのですが、25日ころから近場の桜名所を訪ねてみました。
まず、下の写真(一関市の磐井川の桜並木)
河川改修のため、この風景は今年限りです。
7~80年の桜の大木の並木道ですが、とても残念です。
桜もさぞ名残惜しいのでしょうか。ちょうど、花吹雪が舞っていました。
その夜、夜桜に出かけました。
一関市の釣山公園です。
10年前に来た事がありますが、本当に久々です。
提灯が灯り、それを伝っていくと、登り切ったところに神社があります。
北東方向には一関新幹線駅が正面に見えます。絶景絶景!
↓26日は朝花見。自宅を朝早く出かけ、北上市の桜名所展勝地へ。
8時前だというのに、すでに駐車場はかなりの混みよう。
さすが東北三大名所。今が一番の見頃です。
さて、27日は一関市室根町の蟻塚公園。
室根山の登山入り口の公園です。
子どもの中学校のPTA行事で、室根山登山をしたことがありました。
それ以来の室根山ですが、昔から信仰の山。
頂上からは気仙沼の海も見渡すことができます。
桜も見事ですが、お寺の本堂と見間違えるほどの、瓦葺きの立派な公衆トイレ!
こんなトイレ見たことない。記念に用を足させていただきました。(笑)
その後、一関市千厩町の館山公園。↓
ここは初めてです。近くにこんな花見の名所があったんですね。
かなり散っています。地面は花びらで雪が降ったようです。
遠くに出かけなくても、花見はできるもの。
散るタイミングの日程と天気が合えば、近場でも素晴らしい情景を見ることができます。
今年は開花以来、低温だったことや、天候にも恵まれ花持ちが良いようです。
期間の前半、インフルで出かけられませんでしたが、終盤花に恵まれました。
今後、桜前線は北へ北へと早足で駆け上がります。
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てあわせ桜の今春の開花状況ご報告します。
上記写真は、石巻市大川地区の墓地です。
震災の年の秋に、被災の皆さんと植えた場所です。
右奥に見えるのが流出墓石を集めた集合墓。
そこを中央として両側に6本ずつの計12本植えました。その桜が大きくなっています。
左に見えるのは、元の墓地区画に土盛りして、新しくお墓を建てた新墓地区画です。
これは、大川小学校から海岸へ3キロほどのところの龍谷院に植えた桜です。
1本1本にオーナーのお名前と番号を書いて植樹したのですが、2年半の間に紐が切れて名札が取れてしまいました。
同じく龍谷院の桜。
コチラは埼玉県の男衾(おぶすま)桜の会
さんが、一緒に協力し植えた桜です。
カモシカが出没し、新芽を食べるということで、龍谷院のご住職が、防護ネットを張って下さいました。
幹も太く、花もたくさんつけています。
この寺は、津波で本堂と庫裏が全壊。方丈さんは、庫裏の2階部分で波に押され戻され、庫裏自体が波に漂いながら、一昼夜一人で守られたそうです。
作家の玄侑宗久師を私が案内したことがきっかけで、玄侑さんはこのことを小説にしています。
このお地蔵さんは石巻市北上地区のニッコリパークの入口に鎮座しています。
このお地蔵さんを代々守る佐々木さんという女性の方から電話をいただき、植樹のご縁を頂きました。
写真ではわかりませんが、2mもあるお地蔵さんが45度傾いています。
津波のチカラで向きが変わってしまったのです。
このお地蔵さんの傾いた目線の延長方向から1週間後、旦那様がご遺体で発見されました。
12年の5月に植えた枝垂れも大きくなり花が咲いています。
石巻鎮魂の桜の森 ↓
上記2枚の写真と、左の写真は石巻鎮魂の桜の森の桜の様子です。
幹周り60センチものオオヤマザクラが花をつけています。
植えるときには、本当に苦労しました。本当に危険を伴いました。
300~500キロもの苗(成木)をユンボで吊って下し、それをひきづり下ろしながら、先に掘ってある1.5mの穴に転がしながらスポット根を入れます。
ちょっと手を緩めたところ、数百キロの苗木が下までゴロゴロ転がってしまい、それをまた引き上げるという難作業でした。
そんなことを思い出します。
でも皆、枯れることなく、根付いたようです。
高い山から見下ろす里の風景と、お寺の本堂に、桜はまたピッタリ絵になります。
最後は、この桜の森の本拠地である、観音寺の桜。
手前が60年にはなる枝垂れ。
奥が60~70年のソメイヨシノ2本。
枝垂れが桜のトンネルを作っています。
この日は4/23日。友引。
曹洞宗宗務庁から来ていただいた近藤さんをご案内しながら、植樹の活動や、桜の様子など見て回ることが出来ました。
活動当初、桜オーナーになっていただいた方々に、この写真で、少しでも桜の成長がご報告できればと思います。
この日見て回りましたところ、津波による塩害で枯れた苗や、カモシカによる被害もありました。
大川小学校の先の龍谷院地区は、人の住まない集落となったため、カモシカなどの野生の動物が出没するようになったそうです。
このような状況の中、桜オーナーの皆様の桜の管理をこのまま徹底することは不可能ということが、震災2年後からわかってきました。
これをきっかけに、桜オーナーを休止し、活動を桜の森を整備することに移行した次第です。
桜の森は、一本一本に支援者のお名前を明示致しません。
それは、桜の森全体を皆さんが育てていくと感じてほしいからです。
その意味で、お名前はモニュメントに表示します。
鎮魂のモニュメントがあと数ヶ月で着工しますので、完成した時にはご支援者のお名前をそこに列記したいと考えています。
どうかご理解の程、お願い致します。
短い命の桜の花めぐりは、この後ももう少し続きます。
手合わせ桜プロジェクトが今年1月法人化して、(社)てあわせ
となりました。
これを機会に、約2年半の手あわせ桜の活動報告と、
(社)てあわせの今後の方針の説明を
東京・四谷のホテルで、セミナーを開催することにしました。
テーマは
輝く終活のために---「震災と命と花の旅支度」です。
ゲストに行政書士で「いいお坊さん・ひどいお坊さん」の著者、勝桂子さんをお招きしました。
勝さんからは、エンディングノートの書き方など30分ほどお話しをいただき、花を添えて頂きました。
(勝さんは、曹洞宗の将来像の分化委員として、今年4月号の宗報p161に対談が掲載されています)
最後に、石巻に建設予定の鎮魂の森慰霊モニュメントと納骨供養塔の説明をして閉会。
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震災の突然の死を、我ことのように感じる。
死の立場にたって今の自分を見る。
それが終活の原点ではないか?
そんな問題提起をした次第です。
そして、花のように生きる人生。毎日毎日が旅支度。
人生は旅のようなもの。
♪月日は百代の過客にして、行きかう人もまた旅人なり。♪
この世の旅は帰ってくる家があるから楽しいツアーになるけれど、
あの世の旅は一方通行の、戻ることのできない旅路です。
ですから、忘れ物しないように、旅の準備をしないといけません。
花のように、散るがごとく・・・
東北を桜前線が駆け登ります。
先日、宮城県のご夫婦が「花の樹木園」の景色が気に入ったので、
終の棲家にしたいのだがと、相談に来られました。
正式名称「みちのく花の樹木墓園」は
樹木葬と桜葬の特徴を持った墓苑で5年前に開園しました。
特徴は
1.継承者(跡継ぎ)を必要としない。夫婦一代の墓。
2.コンクリートや石の墓でなく、土に直接埋骨する。桜の根元にお骨ごと埋骨するので
自然に帰る。花に生まれ変わることができます。
3.石を用いないので費用が安価。でも、葬儀をしないお骨は納骨できません。お寺の墓地管理下にあるので、単なる安いからと言っての受け入れは致しません。
信仰心のある方で、事前審査して許可します。
4.管理を必要としません。草取りなども不要です。
これからの時代、子どもに迷惑をかけたくないと考える老夫婦は、多くなる傾向にあります。
今回来ていただいたご夫婦も、子供もいないし、頼める親族も多くはない。
数年前からいろいろ探していたが、ようやく納得できるお墓を見つけた、と言います。
あの景色に魅せられましたと・・・
そうです。この場所は、眼下に北上川。西に奥羽山脈の須川岳。
その残雪に沈む夕日は絶景だと私も感じます。
ちょうど、桜がそろそろ満開のころです。
「本当に安心しました」と何度も繰り返しお礼を言われると、
やっぱり、あの墓園をつくってよかったと感じます。
生きているときに仏縁を結んで、安心して旅立つ。
これが本当の理想の終活ではないでしょうか。