桜和尚ブログ

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◆NHKあさイチ・夫の墓に入らない妻たちPart2

2014年01月29日 | お墓と終活

夫の墓に入りたくない理由(以下番組から)

1=知らない先祖代々と一緒はいや39.9

2=遠いゆかりのない土地にある32.3

3=夫の家族が嫌い30.7

4=は家をつの人がいないを共に面倒かけたくない25.1

5=墓にはいたくない22.2

7=自分の両親と入りたい20.0

8=夫が嫌い13.9

9=実家の墓を継ぐ人がいない11.4

10=ペットと一緒に入りたい3.0

(夫の墓に入りたくない既婚女性880中)NHK調べ複数回答

質問:夫婦は同じ墓に入るべきか?

これに対して夫の考えは

そう思う34.4% どちらかと言うとそう想う28.5%(2つ合計62.9%)

とちらとも言えない23.0

とかと言えばそう思わない3.6

そう思わない10.6

以上128NHKあさイチ調べです。

 

とても興味深いことなので、テレビの放送内容をメモを取って箇条書きにしました。----------------------------------------

死亡離婚とは?

生きているときに離婚しないで、あの世で離婚する(同じ墓にはいらない)これは非常に日本的。相手が嫌いでも、生きているときは夫婦を装い、死んだら離婚してやると言うようなもの。(旦那が先に亡くなるということが前提。妻が先に死んだら、旦那と一緒の可能性もあり。さあどうする)

入りたくない理由

嫁・姑の関係。墓に入ってからも、嫁姑の関係は嫌だ。

東洋大の井上先生コメント

夫側の墓に入るということは、日本の脈々とした伝統。かつては民法で決まっていたが、今は慣習として残っている。

ゲストの意見

自分の人生は自分のもの。自分の骨も自分のものという考えが、夫であろうと「一緒に入りたくない」という考えになるのだろうか。理想や思いを優先させたいという気持ち。海に散骨したいとするのは、ひとつの憧れか

話は変わって、後継者が不要な墓のこと。

1人や他人など誰でも入れる墓が人気。

供養する人がいなくなっても寺が供養してくれる新潟県安穏廟の小川住職(この墓の購入者の6割以上は後継者がいない)

以前このような悩みの声があった

・離婚したが実家兄夫婦に迷惑がかかる

・自分には後継者がいないので、墓が作れない

墓がなないと、安心して死ねない。墓は安心を与えるものなのに、不安や心配の原因になってしまう。寺が不安を提供しているともいえる。これは大変なこと。

 

この墓に申し込みのあった800件のアンケート調査結果

・子供が娘だけ-262

・男子はいるが頼れない頼りたくない-126=15.6

・子供がいない-115=14.2

・シングルの女性44

・離婚した女性29

・夫とは別の墓にしたい17

・夫の実家から拒否された妻11

女性の話を聞くと切実な問題があった。

・望まれない結婚をした女性

・夫に暴力を振るわれた女性

  夫の墓に入れられない女性たちがこの墓を求めているという

小川住職は「墓は一時の気持ちで決めないで、長い目で納得して決めること」

が大切だと言っている。

 続く

 


◆NHKあさイチ・夫の墓に入らない妻たち

2014年01月27日 | お墓と終活

偶然見た朝の人気番組NHKあさイチで「夫の墓にはいらない妻たち」をテーマを取り上げていました。

番組の中で、「夫を信頼し愛してはいるが、夫の実家の墓には入りたくない」という女性。

それに対して夫の言い分は「自分の先祖の墓に入るのは当然。それは伝統や家系を重んじること」だと。

放送はされていないが、多分女性の言い分は、夫と一緒の二人きりの墓なら入ってもいいが、夫の両親と一緒にあの世までと言うのは、納得出来ないのではないかと思います。

一般的に夫(男)はこのような時、伝統や風習などを大切にしたいと考えます。実家の墓に夫婦一緒に入ることが、次の時代の子供にとって、も親(先祖)を思うことにつながるのだと。

当然のことだと考えるのが、今までの日本的な考え方です。

 

ところが近年、妻(女性)たちにとって、お墓に関する考えの変化が現れているようです。

お墓というより、あの世の感覚かもしれません。

女性は男性より、あの世(死後の世界)を想像する力が強いのです。

夫の両親は嫌いではないけれど、今まで生活が一緒というわけではない。

けれど、自分が死んでから、永遠に墓の中で一緒というのは耐え難い苦痛になるのでは、ということだと思います。

親だけではない、そのご先祖さんも一緒なのですから。

地方から都会に人口が移動し、大家族が核家族に、先祖代々が一代限りに・・という社会の変化が女性の考え方を変えて来ているのかもしれません。

 

それから、男にとって耳が痛いのは、ダンナと一緒のお墓はイヤ!

というものです。

今でさえ、夫には悩まされ、苦労しているのに、なんで墓まで一緒なのよッ

というご意見の方もいました。

これを“死後離婚”と言います。

生きているときは仕方ないけど、死んだら一人の墓に入る。ダンナと一緒には入らない。という、石のように硬い意志をお持ちの方は意外と多いと思います。

これは夫側に原因があるというパターンです。夫の問題です。

 

次に、夫側と妻側の両方の墓を一緒にする両家墓というのもありました。

お互いのお父さん・お母さんご先祖さん、私達も一緒に入りましょう、というものです。

確かに理想のカタチにも見えますが、自分たちの子供が結婚する代になると、また同じ問題が出てきます。

それから、両家が何かのきっかけで仲違いしてしまった時は、取り返しがつきません。

ほんとに本当に両家話し合って、長いスパンで考えていかなければなりません。

 

あさイチの放送の間に2382通のFAXが入ったそうで、お墓の関心の高さが伺われます。

ところで、ゲストの東洋大学の井上先生は、5年前仙台にお越しいただき、お墓のテーマで公演をして頂きました。

2年前には被災地宮城石巻にもお越しいただき、現地を案内しました。

井上先生は、これから女性があの世のことをどうするか、真剣に考えていかなければならない時代のさきがけの研究者・実践者です。

誰とどのようなカタチでということが非常に大切になってきます。

私も僧侶として、10年前からこの問題に取り組んできました。

伝統的な考え方をベースにして、その上でこれからの時代に相応しいお墓のあり方を考えていきたいと思います。

この問題シリーズで続けていこうかと思います。(続く)

 


◆仏教的終活道宣言!?

2014年01月21日 | 震災関連

ある人のブログで

「最近はやりの終活という言葉に疑問?」

という記事がありました。

確かにその通りです。

一般的に終活とは、お墓や葬儀をどのように安く、遺産をどれだけ多く争いなく残すか?という

お金に関する活動と捉えられがちです。

だから、葬儀社、寺、霊園関係が後ろで囃し立てていると思われても、仕方ないでしょう。

社)てあわせの活動の説明も、終活という言葉を使った方が、相手によく伝わる場合があり、

文章で使用してしまう時があります。

気を付けなければと思います。

誤解されないように、説明するとすれば、

震災で失った多くの命。その生命の大切さに気づき、今を活きるために何をしなければいけないか?

ということになります。

私は、これを”仏教的終活道”と呼びたいと思います。

表現が硬いのなら、生と終を活きる!

というのもわかりやすいでしょうか?

震災で命はこんなにもはかないものなのか、と感じた人は多いはず。

でも世の中を見渡すと、突然の死は見えなくなり、

じわじわと死に向かう高齢者ばかりが増えていくという現実。

近い将来、大きな震災が来るかもしれないというのに。

でも、前向きで明るく行きましょう。

エンディングよりも、終活という言葉には、どことなくポジティブが感じられます。

だから、受け入れられるのかもしれません。

あれからもう3年。

3.11が近づいてきます。

 


◆(社)てあわせのコンセプト

2014年01月12日 | てあわせ

「被災地に復興と希望の手あわせ桜を植えるよう」

“手あわせ”とは、皆で手をあわせて協力し、手あわせて祈ること

活動はここから始まりました

そして

被災地と都会と手あわせ

老人と子供とてあわせ

生老病死に手あわせ

 

手あわせとは、二つのものが一つになることです

強いも 弱いも

損も 得も 

好きも嫌いも

生も 死も 

 

そして、時は今

多くの人が不安を抱え おひとり様で死にゆく時代の大波が

我々めがけて近づいてきます

お金があれば安心な老後を過ごせますか?

人とのかかわりが煩わしいですか?

 

芸能人や有名人が亡くなるとTVで報道されますが、

死は他人のこと、自分には関係ない・・

そんな錯覚していませんか?

 

人間は歴史上、不老不死の夢を追い求めてきました。

現在、医療や生命科学の発達で、その夢に限りなく近づいているのです。

「自分には関係ない」と錯覚するのも無理はありません。

 

でも死は100%平等に老若男女、時と場合かまわず、突然やってきます

 

不老不死による錯覚で死が曖昧になり、霞んでいるように感じられます。

長生きすることって、本当に幸せなのでしょうか?

 

明治時代、乳幼児の死亡率も高く、日本の平均寿命は50歳前後でした。

成人にとっては、心筋梗塞や脳卒中が最も多い死因でしたので、

家庭を築き、仕事も今が一番という時に、突然死を迎える人が多かったようです

 

つまり、死は身近で、はっきりとした輪郭を持っていたのです

死が、ありありとした存在感があるということは、

生もいきいきしていたということではないでしょうか

 

明治・大正・昭和を生きた人たちは

自分の死期を50歳前後とイメージ出来て、

その短い間に自分たちの成すべきことを成し、

魂を込めて生きて来たのだと思います。

 

今、私達は長生きできるがゆえに、生きることの本質が見えにくくなってしまいました

だからこそ、死を意識することが、生の充実を取り戻すことなのだと感じます。

この一つの転機が、東日本大震災と言えるのではないでしょうか。

 

とは言え、よほどダイナミックな無常観で目覚めた人でないと

“今・ここを輝かせて生ききる”ということは難しいことと思います。

 

でも間違いなく言えることは、

日本が世界一のスピードで老人大国に突入していくことは

疑いようのない確実です。

ただその世界は、社会保障の行き詰まりにも見られるように

福祉とはかけ離れた、アエギ苦しみの老人世界になりそうです。

 

この間違いなく到来する大波を、乗り越えていかねばなりません。

 

老人達個々の自立・自覚も必要でありますが、

周囲によって、互いに共有しながら支え合う(シェアサポート)

という考えが大事になってくるように思います。

 

オリンピックやアベノミクスで、イケイケドンドンの風潮が漂っていますが、

その影には進まぬ東北の復興と原子力問題があることを忘れてはなりません。

オリンピックが終了した2020年には、崖から転がり落ちるような

高齢化の問題が現実となっていることでしょう。

 

一人ひとり意識と尊厳を持ちながら、互いにシェアサポートする。

 

それは、桜の花が中心で支え合いながら、花びらは接し互いに共有するように

一輪一輪の花が一本の桜の木になるように

一本一本の桜が集まって桜の森になるように

一人だけど独りじゃない

共有し支えあって行きたい

それが“てあわせ”のコンセプトです。


◆写経と写仏

2014年01月11日 | 震災関連

 

先日、今年初めての写経教室を、仙台青葉カルチャーで開催しました。

受講生の皆さんには、『今回の写経は書き初めですよ』と申し上げました。

年の初めに、気持ちを新ため筆をとることは、リンとして気が引き締まるものです。

また、昨年秋から、実験的に写仏をやってみたところ、何人かの方に受け入れて頂いて、

今でも続いています。

2月にカルチャーのチラシが新聞折り込みになるという事で、

上記写真のような、講座PR用の写経写仏を書いてみました。

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この写仏の原画は、曹洞宗宗務庁から取り寄せたものですが、思えばもう30年ほど前

ちょっとした写経ブームでした。

その頃写仏に関心があり、本を買って取り寄せ、書いてみた事がありました。

本棚をゴソゴソ探したら2冊出てきましたので、来月受講生の方にご紹介しようかなと思います。

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写経写仏は供養のため、または祈願の為に願いを込めて書き写します。

この講座を始めたのは、震災供養がきっかけでした。

参加の皆さんも、震災で大切な方を亡くされたり、

誰かの病気平癒を祈願されたり、様々です。

誰かを想う事は、尊い事ですね。

なんとか受講生の方々も、退会されたり、入会されたり、足して引いて10名すれすれで

教室をやっていますが、

続けられること自体、有り難い事だと感謝です。

2月から写経写仏講座としてバージョンUPしていきますので、

仙台周辺にお住まいの方で、ご興味ある方はまずは、ご体験されてはいかがでしょうか。

月第一火曜日、午後3時から4時15分まで

仙台カルチャーセンター7Fです。