桜和尚ブログ

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◆日本とニュージーランドの桜の架け橋

2016年02月18日 | てあわせ

 

2011年2.22に発生したニュージーランド地震によって、多くの日本人留学生が犠牲になりました。

奇しくも同時期に発生した東日本大震災のために、NZ地震はあまり記憶に残っていないかもしれません。

しかし、希望ある未来を背負った28名を忘れることはできません。

桜は鎮魂を祈る花であり、いつまでも忘れないという意味があります。犠牲者の鎮魂のため、NZに桜植樹したいと発願します。

また桜はラグビー日本代表エンブレムでもあり、勇気と希望のシンボルです。

3年後ラグビー世界大会が日本で開催されますが、東北で唯一会場となるのは、かつて「北の鉄人」と呼ばれ全国大会7連覇を成し遂げた新日鉄釜石のホームです。

釜石も東日本大震災で大きな被害を受け、多くの犠牲者を出しています。現在、ラグビーを復興の原動力として、再建途中の岩手釜石に希望と勇気の桜を植樹したいと思います。

もし可能ならば、お互いの国の桜を交換して植樹できればいいと思います。

悲しみを乗り越え、ニュージーランドと日本が桜によって結ばれる。

「桜の架け橋」によって、被災した互いの国の復興と、ラグビーによる希望や勇気の花が咲くことでしょう。

ニュージーランドと日本の「桜の架け橋」を一緒に渡っていきましょう。


◆仏教と日本の400年サイクル説--大変革の時

2015年01月21日 | てあわせ

日本は400年周期で、歴史的な変動をしているといいます。

今から400年前--1600年天下分け目から江戸時代へ

その400年前--1200年は1192つくろう鎌倉幕府で武家社会に突入

その前の800年は794うぐいす平安京。京都中心の平安時代は日本の歴史上以上に長い時代です。

さらに遡ること400年は古墳時代。大和朝廷の支配が広まった頃になります。

 

この400年周期説を仏教史に当てはめると、

紀元前50年大乗仏教起こる

400年頃、鳩摩羅什が長安にて経論の翻訳。『般若経』』『阿弥陀経』『弥勒経』『妙法華経』406『中論』『大智度論』など

800年ころは空海・最澄が活躍した時代

1200年は仏教ルネッサンス鎌倉仏教が勃興

1600年江戸時代に檀家制度確立

そして2000年頃から檀家制度の崩壊と墓の変化の兆し。

2005には初めて日本の人口が減少した元年です。

昨今、さらに加速度がついてきたようにも感じられます。

日本の歴史的にも仏教史的にも、大きな変革の時が訪れようとしています。

 

 


◆フランスから届いた手あわせの桜

2014年02月27日 | てあわせ

フランスの植樹団体で活躍する

日本人の漫画家 かわかみじゅんこ さん

という方が送ってくれました。

パリ在住だそうです。

海外でも、てあわせ桜が有名のようです。

暖かなタッチで、人柄がにじんでいます。ありがとうございました。

いつかフランスにも、桜を植樹できるといいですね。

そういえば、フランスにも禅の修行道場がありますので、頼んでみましょうか?!。

 

 


◆(社)てあわせのコンセプト

2014年01月12日 | てあわせ

「被災地に復興と希望の手あわせ桜を植えるよう」

“手あわせ”とは、皆で手をあわせて協力し、手あわせて祈ること

活動はここから始まりました

そして

被災地と都会と手あわせ

老人と子供とてあわせ

生老病死に手あわせ

 

手あわせとは、二つのものが一つになることです

強いも 弱いも

損も 得も 

好きも嫌いも

生も 死も 

 

そして、時は今

多くの人が不安を抱え おひとり様で死にゆく時代の大波が

我々めがけて近づいてきます

お金があれば安心な老後を過ごせますか?

人とのかかわりが煩わしいですか?

 

芸能人や有名人が亡くなるとTVで報道されますが、

死は他人のこと、自分には関係ない・・

そんな錯覚していませんか?

 

人間は歴史上、不老不死の夢を追い求めてきました。

現在、医療や生命科学の発達で、その夢に限りなく近づいているのです。

「自分には関係ない」と錯覚するのも無理はありません。

 

でも死は100%平等に老若男女、時と場合かまわず、突然やってきます

 

不老不死による錯覚で死が曖昧になり、霞んでいるように感じられます。

長生きすることって、本当に幸せなのでしょうか?

 

明治時代、乳幼児の死亡率も高く、日本の平均寿命は50歳前後でした。

成人にとっては、心筋梗塞や脳卒中が最も多い死因でしたので、

家庭を築き、仕事も今が一番という時に、突然死を迎える人が多かったようです

 

つまり、死は身近で、はっきりとした輪郭を持っていたのです

死が、ありありとした存在感があるということは、

生もいきいきしていたということではないでしょうか

 

明治・大正・昭和を生きた人たちは

自分の死期を50歳前後とイメージ出来て、

その短い間に自分たちの成すべきことを成し、

魂を込めて生きて来たのだと思います。

 

今、私達は長生きできるがゆえに、生きることの本質が見えにくくなってしまいました

だからこそ、死を意識することが、生の充実を取り戻すことなのだと感じます。

この一つの転機が、東日本大震災と言えるのではないでしょうか。

 

とは言え、よほどダイナミックな無常観で目覚めた人でないと

“今・ここを輝かせて生ききる”ということは難しいことと思います。

 

でも間違いなく言えることは、

日本が世界一のスピードで老人大国に突入していくことは

疑いようのない確実です。

ただその世界は、社会保障の行き詰まりにも見られるように

福祉とはかけ離れた、アエギ苦しみの老人世界になりそうです。

 

この間違いなく到来する大波を、乗り越えていかねばなりません。

 

老人達個々の自立・自覚も必要でありますが、

周囲によって、互いに共有しながら支え合う(シェアサポート)

という考えが大事になってくるように思います。

 

オリンピックやアベノミクスで、イケイケドンドンの風潮が漂っていますが、

その影には進まぬ東北の復興と原子力問題があることを忘れてはなりません。

オリンピックが終了した2020年には、崖から転がり落ちるような

高齢化の問題が現実となっていることでしょう。

 

一人ひとり意識と尊厳を持ちながら、互いにシェアサポートする。

 

それは、桜の花が中心で支え合いながら、花びらは接し互いに共有するように

一輪一輪の花が一本の桜の木になるように

一本一本の桜が集まって桜の森になるように

一人だけど独りじゃない

共有し支えあって行きたい

それが“てあわせ”のコンセプトです。