オリンピック開催にあたって色々な意見が出ています。
それぞれの立場で問題点が違い、一概に正しいとか間違ってるとか言うのは難しいです。
その色々な意見の中で・・・
「緊急事態宣言になれば無観客で・・」と言う意見が有ります。
これは逆ですね。
緩い規制の状態で観客を入れれば、いくら「直行直帰」を叫んでも、その効果は怪しい。
逆に緊急事態宣言下で、より厳しい規制をかければ飲食店は閉店し、感染した客は帰らざるを得なくなります。
こんな事を言うと、今までも苦しい思いをさせた飲食業界に悪いと、その人たちの気持ちを汲む意見が必ず出ます。
これは残酷なようですが無視しても良いと思います。
何故なら、それは気持ちの問題で、本元の感染防止に実質的にはさほど影響しません。
このコロナ禍で、何か+精神的に苦しんでいる人は飲食業の人達だけではありません
なかには感染拡大にほとんど関係ない業種でも、感染防止対策のあおりを食っている業種や個人は全国で見られます。
感染に大きく影響するのは、そこを訪れる人たちの社会常識の差です
野球・サッカー・相撲などで解る様に
それらを訪れる人々と、飲食店で酒を飲んで大声で話をする人々では社会常識が違いますね。
この「社会常識の違い」が一番難しいんです。
法律なら違反のラインが比較的明確で、そこを超えると何かのペナルティーが科せられますが、マナー(常識)はダメと良いの境界が人によったり、地域によって違うしペナルティーも無い。
そして自制心の少ない若い人や、間違った知識を持つ中高年のアホは「良い」の範囲が極端に広いんです
テレビなどの報道で、私が一番「情けなく」感じるのは、路上や公園に仲間が集まって酒を飲んでいる姿です。
都会に住む田舎者が寂しいのは理解できるが、あの姿は余りにも情けない。そしてテレビで大人が問題にすれば、今まで酒を飲まなかった若者まで「参加」してるんです。まるで流行を追ってるように・・・
判官贔屓(ほうがん・はんがんびいき) と言う言葉かあります。
ザックリと・・・相対的に弱い立場の方に味方することです。
車と人がぶつかれば・・・車が悪い。 昔は車と自転車がぶつかっても車が悪いとなり、その原因は問わなかった。
国や自治体と個人・業界なら国や自治体が悪い。
業界と個人なら業界が悪い。
オリンピックと〇〇ならオリンピックが悪い。
この傾向はコロナ禍になってから顕著になっています。自分を何かの被害者にして、立場の優位な人や組織を批判する。
弱い立場の人達の事をおろそかにするのは良くない
これは大前提ですが、余りにも弱い立場を主張しすぎるのはどうなんだろう?
そこに、それほどでもない人達が混ざり込んでいるのが多くみられるのは人として情けない。
弱者と言う衣をまとった人たちを責めると総スカンをくらうので、有名人やマスコミは口にすることは無い。
しかし、それを逆手にとって自己の許される行動範囲を広げている輩が増えている。
勇気をもって似非弱者はしっかりと叩かないと、感染拡大を防げないし、元の生活を取り戻す事も出来ない
もう少し「自己責任」を人々に求める必要を感じます。