高卒😅
学歴から言えば、底辺でいるしかない。
かも知れません。
頑張ったら這い上がれるのです。
『時代が良かったんじゃないの?』
それはあるかも。ですが。
今でも高卒の方でも成功者はいるわけです。
高卒だから。終わってる。と思った瞬間から運は遠のきます。
運は自分で切り開くもの。
学歴がないからこそ
人とは違う生き方をしないと
お金も人脈もついてきません。
昭和50年代。私は16歳から27歳。
当時でも大学卒が当たり前の時代でしたよ。
マクドナルドにアルバイトしてた時も同じ年齢の人達の全てが大学生でした。
今で言うFランもいれば
関関同立もいました。🤓🤓🤓
そして20代となると
高卒の厳しさを知る事に。
ホント
もっと勉強しておくんだった。
後悔と反省の繰り返し😨😨
でも。もう戻れない過去にしがみついても仕方なく。
前に向いて
どうしたら
稼げるか?
給与の高い会社に入れるか?
そんな事を考え始めたのが
喫茶店のアルバイトを辞めようと思った頃です。
このまま。喫茶店のアルバイトで良いのか?
いいわけないですよね。
でも
その喫茶店に27歳で雇われている男性がいました。
喫茶店のオーナーの息子の友達。
オーナーの息子さんは徳間音工というレコード会社で営業をしていたそうですが
父の自営のお手伝い😳
その2人を見て
『こんな風にはならないように。』
結婚もしてなく。
なんの安定もなく。
起業するわけでもなく。
高卒の私が偉そうにも
そんな事を20歳そこそこで思ったのです。
無意識でした。
資格も学歴もない自分に必要なのは
履歴書のキャリアを少しでも
『まともな形』にすること。
やっぱ『株式会社○○入社』という一行がいると思って。
それも、なるべく大きな会社。
ラジカセ訪問販売の会社に入社したときそう思って。
大手の靴チェーン店
チ○ダ靴に入社しました。
この会社、いまでは東証1部上場してます。
靴屋の店員。小さな靴屋なら何のバリューもありません。
また、少々、偏見も持たれていたのも後々、知りましたが
私には無関係。
当時のチ○ダ靴は従業員1000人以上。店舗数300以上。資本金3億で中堅規模でした。
ここで頑張って店長になったら給与も上がるかな?と思ったのですが。
昭和55年12月に退社しました。
冬のボーナスが10万もありません。
私は即座に転職活動。
大手消費者金融
ア○ムへ面接に。当時は面接試験のみ。
面接の時点で
『貴方の初任給は○○です。!』と提示。
ほぼ採用合格でしたが一応、後日連絡しますから。と。面接担当の方は当時のマネージャー。支店統括者でした。
2、3日後、採用の連絡を受けて翌年の1月から勤務を確定となり靴屋さんの店長に退職願いを提出。
そして。その後
源泉徴収票を見て
109万円が税込年収😨😨😨
店長になったとて😨😨😨
辞めて良かった。と。
ア○ムの初任給は基本給15万に諸手当と残業が付きました。
靴チェーン店は手取り85000円でしたから。
私としては大いに嬉しかったのを今でも覚えています。
昭和56年1月に入社し、その年の夏のボーナスは寸志でしたが冬のボーナスは手取りで30万を超えてましたから🤗🤗🤗
他人から
サラ金とかいろいろ言われましたが
他人から、どう思われようが全く気にしてませんでしたね。
当時のア○ムの規模は資本金5億円
従業員数600名
全国店舗数70店舗ほどでした。
今で東証1部上場、三菱フィナンシャルグループと一員ですもんね。
やっと。
ネクタイを締めて
スーツで仕事に行けて日曜日、祝日が休みで給与も高い会社に入ったのです。
これが私のスタートとなりました。
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