昨日平成26年8月30日の夜8時頃、夕飯も済ませリビングで24時間テレビを見ていると『お父さん、久しぶりにショコラ(犬の名前)と3人で散歩行こうか?』どういう風の吹き回しかと『そう言えばショコラの散歩は今日は未だやったな。食後の運動も兼ねて行くか。』次女は『いってらっしゃーい♪』夏休みも終りに近づきノンビリテレビを見て言った。やっぱり犬って生き物は散歩が大好きなのでしょう・・散歩と聞くと急にハシャギ出し玄関口まで走って行きました。リードを付け私は杖を持って玄関扉に手をかけると『私がリード持つよ♪』妻がリードを持って自宅の前に出るとハシャギ方も半端なく異常に喜んでいるのです。どうやら私の歩く速さがショコラには物足りなかったのでしょう・・『お父さん、今日は涼しいね。3年前・・時々、A香とショコラ連れて散歩に行っててんで。お父さん、仕事やから知らないと思うけど・・』住宅地をテクテク歩きながら私は黙って聞いてました。犬はむじゃきに地面に鼻を近づけクンクンしながら歩いています。『あの頃、A香、ジャージ姿で、いつもマスクしてた・・あんなに服が好きで化粧も覚え始めて・・アクセサリーとか大好きやったけど拒食症になり始めたころからジャージにクロックス・・化粧もやめて・・マスク・・母親として・・いや同じ女として寂しかったぁ。』私は黙って聞いているだけでしたが・・『マスク取ったら法令線が深くシワになって頬骨が浮き上がって顔も青白くて・・一緒に散歩するたびに”死にたい”って』左手に公園が見えてくると『ここのブランコで小学生のころA香、落ちて頭打って・・大変やったね?覚えてる?』突然、妻が聞いてきた。『覚えてるよ。お母さん、すぐ車で病院に連れていってくれたんやったな。』妻は犬のリードを手繰り寄せ向かってくる車から犬をかばうようにしながら『もっと、あの子と話をしておくんやった・・でも昨日は良い買い物できたね』昨日、妻とA香と私で車を買ったのです。拒食症だった長女が免許を取り軽自動車ですが娘に買ってあげたのです。妻が『本当に・・笑って、お金使ったの何年振りやろ・・』そう言えば、笑ってお金使ったのは、いつであったのか・・大学とか成人式の着物とか、そんな行事ごとでなく・・長女の笑顔そして私達夫婦にとって何よりも嬉しいお金の使い方ができたような想いでもありました。長女は軽自動車と言ってもグレードも高く巷では人気の車種で特別使用車を欲しがっていました。妻は言いました『免許取ったんやから、すぐにでも車、欲しいやん?今までA香には我慢させてきた・・だから拒食症になった原因やったかも知れない・・私が節約ばかりしてたから・・でもクルマはピカピカの新車で、あの子が欲しいっていうクルマ買ってあげたかってん』住宅地から幹線道路に出て、いつもの犬の散歩コースをそのまま歩いていました。夏も終わりを迎え涼しくなったせいかマラソンをする人もチラホラ見かけます。『お母さんが、ええ思ったんやから、ええやんA香も喜んでたやん俺も、あんな笑顔見るの久しぶりや』そう言うと『”死にたい”って言ってたA香・・どんな気持ちやってんやろ・・私が悪かってん・・車・・罪滅ぼしもある。』娘の車の代金は妻が一生懸命に働いて貯めた貯金からの購入です。妻が言うには今では娘の体重も戻り女性として生理も戻ったようです。何が原因で拒食症を脱したのか私達はいまだに、わかりません。でも以前のハツラツとしてオシャレにも気を使い洋服が大好きな娘に戻ったのも事実です。まだ米・牛肉・揚げ物は食べることが出来ません。それでも良いんです。女性として生きる楽しさを取り戻してくれれば。また過去を思い出しエピソードは書きますが本日は急に現在のことも書いてみたくなったのでした。
8月28日 私は見舞いに行きたいと友の携帯へ送信した。予め友よりメールで見舞いは辞退したいとありましたが、そのメールの中には『連絡しないでおこう・・と思ったけどメールしちゃいました。』この1行が私の心に残っていたのです。(本当は見舞いに来て欲しいんや・・)それが伝わってきていたので私自身も脳出血で倒れ入院した時、この友にメールすることは複雑な気持ちでした・・しかし心の奥底では来てほしい!!そんな気持ちもあったのです。見舞いは行く人の気持ちです。入院している本人が来てくれとは言えません。だから『癌になった』ことを私にメールしてきたのです。しかし・・癌になったとメールを貰い”イザ”励まし?労り!心配り?返信しようとしたら言葉が思い浮かびません・・ただただ心が痛く涙しか出てこないのです。携帯を片手に黙って座っていた私に妻が『Kさんの家に電話したら?』妻の言葉に一瞬、驚いた私でした。メールの返信が出来ないのに自宅へ電話?絶句してる私に更に妻は『奥さんやったら何とか入院先、教えてくれるんちゃう?』友はメールで病院名は勿論、記されていませんでした。『でも主人から止められてる・・とか・・』言いかけた私に『一生後悔するよ。アカンかったら、それはそれで仕方ないやん!!お父さんとして・・あの時、電話するんやった・・って、きっと後悔する。Kさん(友)が治ればええけど・・万一の時があったらKさんも後悔すると思う。』そう妻に言われ気持ちを落ち着かせ携帯のメールボックスを閉じ電話のアイコンをタップした。自宅の電話06・・・・人差し指でタップするたびに心臓の鼓動が大きくなるのが感じたprrr♪pruuuu♪『ハイKです。』年配の女性の声が聞こえた・・もしかしたら私自身、付き添い看護に行ってることを、どこか心の片隅に願っていたかも知れない。『お世話になっています○○と申します・・先日、ご主人からメールを頂き・・』そこまで言うと『○○さん?一度、お会いしましたよね?確か・・』30年来の友といってもなぜか、奥さんとは1度・・それも御長女が誕生しての、お祝で自宅に伺っていらいなのです。『ハイ。永らくご無沙汰しております。御主人の、お加減はいかがですか?』そう聞くのが精一杯で・・この言葉以外、思い浮かばず会話が途切れることの方が怖かったのです。『昨日から抗がん剤治療を受けています。』想いのほか奥様の声は、しっかりとしていました・・いや、あえて気丈に振る舞っている声と言った方が良いかもしれません。私も他に言葉がなくストレートに『どちらの病院に入院4されていますでしょうか?是非、お見舞いに伺いたいのですが・・』私は、すぐにでも病院名を言ってくれることを期待しましたが、あっさりと裏切られました『せっかくのお心使いは恐縮ですが主人から、お見舞いを辞退するよう言われておりますので・・お気持ちだけ、お受けさせてください』と言われ、ここで素直に電話w切ろうとも思いましたが『少しだけいいですか?』と断り私自身が脳出血で倒れたとき・・やはり同じように知らせることをためらったこと・・いらぬ心配をかけたくない・・その気持ちと、もう片方でKさんには自分の事を知ってほしい気持ちとが入り交ざって結果、脳出血で倒れたことをメールしたこと・・奥様に伝えたのですが『○○さんの事、聞いてます。その後、お身体はいかがですか?どうぞご慈愛くださいね』奥様から労りの言葉を貰ってしまい、とにかく私のことなどいいので・・病院を教えてくれるよう頼んだのですが無理でした。ガックリと肩を電話を切ると『お父さん・・ええやん。KさんにはKさんの想いがあるしお父さんの想いとは違って普通やん。また、きっと連絡あると信じよ!!』暫く。愕然となるつつも妻にK氏との、これまでの出来事とか・・・大喧嘩したこと・・友達になったキッカケを知らず知らず話していました・・すると突然、私の携帯が音をたてたのです。『お父さん、Kさんかも?』そう言われiPhoneの画面に目をむけると・・まさにKさんからでした。受話器のボタンをタップし耳にあれると、その向こうから元気なK氏の声が飛び込んできました『御心配をかけて・・嫁さんから連絡がありました。』Kさんの声はとても癌を患っているとは思えないほど軽快に語り掛けてくるのです。抗がん剤治療も始まったばかりで、ひとまず28日間の治療で薬の状況に応じ次の治療方針が医師より告げられるようでした。数分の雑談のあと思い切って病院名を聞いたのです・・すると自宅から車で10分ほどの病院であることを教えてくれました。とても嬉しく、たぶん奥様が説得してくれたのでしょう。電話を終え『お見舞い・・私も行っていい?』妻が言うのです『30年、前の会社で、ずっと仲良しなんやろ?私より長いやん?Kさんと飲みにいくって言ってたお父さん、いつも嬉しそうやったし私も会ってみたい。』もちろん。そう答えたと同時に胸の中の何かが晴れて行くのを感じました。
今朝7:17私の携帯が鳴った・・着信メール・・開くと送信者は先日、癌になったと連絡のあった友人からでした。眠気は吹っ飛びベッドから起きると、すぐさまメールを開きました。そこには・・いよいよ戦闘開始。待ちに待った瞬間だ。早く開始してほしい。薬が自分の身体に合うことを願うばかり・・抗がん剤治療で平均余命13か月・・勿論、それ以上もそれ以下もありえる。可能性は低いけど5年以上生存もある・・例え、その可能性が1%未満でも決して『ゼロ』でないのであれば信じて頑張りたい昨日、妻と70歳まで生きると約束したし絶対に負けないので応援して欲しい・・文面は勢いをつけてるけど本人も奥様も想像を超える悲しみであると思います。入院先は書かれていませんでした。余命13か月、もし私も宣告されたとすれば・・想像がつきませんが心の落ち込みは半端ではありません。以前の職場で共に激動の時代を生き、平社員から互いに切磋琢磨し励ましあい目標でもあったのです。とにかく『人』を大切にする・・お金には細かくもなく出世の計算もしない・・部下からの人望も厚く上からは信頼される・・そんな友の姿を見て、たくさんんの事を教えてくれた・・その友の余命が13か月と宣告されたことは私にとっても大きなショックです。齢53歳の友・・必ず病に勝って共に昔話を語れることを信じて祈っています。がんばれ!!がんばれ!!まだまだ・・お嬢さんの花嫁姿を見てご子息の社会人デビューも見て孫に囲まれて好きな焼酎で、ほんのり赤い幸せな思いの顔を御家族に見せないと・・同じ京都の職場から君は沖縄へ転勤・・ははは!!って笑った俺も翌年に札幌へ転勤・・そして再び関西で仕事をして本町・梅田・難波・京橋・・飲み歩いて・・たわいもない話をしてましたね。あ・・私が東京に転勤になった時、もう、一人の友と3人で・・渋谷の安い居酒屋でも飲みました。3人とも『不思議やなぁ~・・この3人が渋谷で酒飲んでるなんて・・』君は、そんな事、言ってたよ。3人ともペイペイの頃から仲良かったな~。ウマが合う・・いや、それ以上やと。また3人で飲もうや。そやから絶対に死んだらアカン!!絶対に!!
ある夜のこと。リビングで妻と私が長女の拒食のことで口論をしていたのです。『9月1日・・救急車で運ばれたときからA香は体調が悪化したんや!!お父さんが叩いて首が痛いって・・あの日から急にや!!』妻はゲッソリ痩せて体重も30キロ前半まで落ち込み学校も休みがち・・日頃のストレスもあって、かなり爆発していました。私は私で仕事に長女のことで余裕もなく妻の言葉に怒りをぶつけ・・『俺だけの責任か?お前・・A香が中学の時、何て言った?”私、この子を愛せないって言ったん忘れたんか?あれで、どんだけA香が傷ついたか知ってるんか?』大人げなくも大きな声を知らず知らずのうちに張り上げていたのでした・・今、思えば娘の摂食障害は妻に全てを、なすりおつけ私は無関係であることを言っていたにすぎません。『そうや!!確かに・・私は言った!!けど、お父さんが叩いた9月1日以前はバイクに乗って学校もバイトも行ってたやん・・あの日の後から急に・・急に・・A香は・・お父さん大好きやねん・・そやから無茶苦茶ショックやったんと思う。』妻が言う通り小さい頃から長女は私から離れない子でした。その分、次女が妻に離れない子になっていき妻は次女を可愛がっていたのも事実です。二人の娘・・平等に『愛』を注ぐのが当然でしょう。しかし私達夫婦は頭ではわかっていたのですが行動は違っていました・・突然、妻が『聞いてる・・・』そう言い、リビングのドアを開けると、そこには無表情の長女が黙って立っていました。瞬間、私達3人の周りに異様な・・思い空気が包み込み『ウチにこと・・なんも・・わかってへん・・』そう静かに呟くと・・ゆら~っとした足取りでキッチンに向かうのです。妻も私も茫然としていましたが妻がハタッと我に返った時、既に長女は包丁を手にしていました。『殺して・・・』そう小さな声で呟く長女に妻は愕然と地べたに、へたり込んでしまいました・・そして『私が悪かったんや===!!』と叫ぶなり大声で泣き崩れたのです。長女は微動だもせず小さな声で『お父さんも、お母さんもウチが死にさえせぇへんかったらええんやろ?』ゲッソリ痩せ頬骨も浮かび法令線も出て、とても高校生には見えません・・いや、むしろ中年の生活疲れした女性のようでした。『愛してくれてへん・・のやったら、殺して・・その方が楽やし・・』今度は包丁の刃を自分にむけながら私の方に近寄ってきました。『早く・・はよう・・ウチを刺したらええやん』包丁を持つ手・腕は枯れ木のようで手は指先1本1本まで骨が浮かびシワは老婆のようで水分もなく骸骨を思わせるようでした。(以前は手の甲にエクボが出来るくらいやったのに)長女の手を見ているうちに目から涙が・・『お父さんが悪かった・・ごめん・・A香・・生きてほしい!!』精いっぱいでした『ウチの気持ち・・わかってへんくせに・・死にたいねん!!でも自分では死なれへんから殺してッ!!』声を荒げて叫ぶ長女に思わず抱き寄せようと思ったのですが手元に包丁を自分自身に向けている長女。抱き寄せれば包丁は、そのまま長女の身体に入りこみます。咄嗟の判断で抱き寄せることをやめました。『お父さんはA香に死んでほしくない。お母さんも同じや。今まで、お父さんとお母さんの考えだけをA香に押し付けてただけやった。ごめんな。』それ以上もそれ以下もない・・ただ、それだけ言うのがやっとでした。妻は泣き崩れ床に座り込んだままです・・長女見ると、その目から一粒の大きな涙が落ち自身の手の上を濡らしました黙って包丁をリビングのテーブルに置き何も言わず1階の客間へ戻るのでした。妻は長女の後を追うのですが振り向きもせず襖をピシャリと閉められると『ごめん・・・ごめんね・・ごめんね・・』ただただ襖の横で泣きながら謝っていました。
脳出血で倒れ現在、自宅療養中のせいか余り人と話すことがなく私自身も引きこもり状態で家族以外との会話が殆どありません。そんな時は友人へのメールを時々しております。そんな先月の、ある日、友人へメールした返信があり受信ボックスを開くと数か月、咳が止まらないとのこと。タバコを吸わないと調子が戻るけど・・やはり、つい1本と口にくわえるそうでタバコを吸うと途端に咳が出るそうで、私も血圧コントロールが出来ず脳出血で倒れたので友人には、なるべく早く病院に行くようすすめました。そして今月20日にメールが・・8月6日に休みを取り病院に行ったそうです。何度か検査を行い結果が出たのが『肺がん』でした・・・他臓器に転移しているため手術は無理・・化学療法(抗がん剤)を1ヶ月するとのことでした。文面からは初期の癌でないことが伺われました・・気が付いたらiPhoneの画面に一滴の涙のあとが・・友人とは以前の会社で互いに励ましあい頑張ってきた30年来のつきあいになります。良く遊び良く働き・・友人は部下思いの熱い管理職者でした・・1度だけ友人の部下のことを指摘したことがあり大喧嘩の口論となったこともありました。友人のメールには『連絡しないでおこう・・と思ったけど連絡しちゃった・・返信はいらない。見舞いも辞退する・・』そんな内容のメールでした。でも返信しようと・・携帯を片手に・・そこから指が動かなくなりました。頭は真っ白・・言葉が思い浮かばないのです。頑張れ?大変やけど?良い薬もあるから・・?大丈夫?いろいろ言葉を選んでも・・全てが配慮のない無責任な励ましでしかないように思え結局、返信はしませんでした。せめて元気になることを祈るくらいしか出来ないのです。とにかく元気に・・また昔話に花を咲かせて・・きっと乾杯出来る。そう信じて祈っています。