昭和57年 1982年ころまで😅
拡大路線を続け法人所得ランキングでも上位へと進んだ大手4社。
当時は中小零細の金融会社も含め業界には2万社ほどありました。
市場を占有していく大手。
その反面、社会からは
過酷な取立て
高金利
過剰融資というサラ金三悪と言われた時代
そのため
昭和58年 1983年11月
貸金業規制法が国会で成立🤓
その翌年
波乱の業界となりました。
出資法上限金利が年109%から73%へ
取立て規制が厳しくなり
朝は8時以前、夜9以降の取立ては禁止。
当時は夜討ち朝駆けが常識。
金利は10万円借りると月9000円で中小零細サラ金は営業していたのが出来なくなったわけです。
当時、大手4社は年利47.45%
10万円借りると月3900円の利息。
今の時代で考えると
それでも高金利😱
消費者金融が成長した理由は
直ぐに、その場で融資を受けられる。
家族や会社に内緒て借りられる。
担保不要。
なので高金利でもお客様は減るどころか
増える一方でした。
でも?
貸金業規制法が制定されてから
中小零細のサラ金が
ドンドン倒産。
そして
準大手と言われた
ローンズエサカの倒産は新聞紙上にも報道されるまで。
続いて『ローンズマルカワ』も倒産。
大手も
プロミスやレイクも危機に。
銀行からの資金引き上げに合ったのです。
昭和59年 1984年の事でした。
大手消費者金融も支店統廃合を行い
固定費など圧縮。
レイクはリストラはしませんでした。
全国に500支店あったのが360支店へ。
同業大手も支店減少しました。
とにかく儲けまくっていた消費者金融も資金を引き上げられると
もろいもんです。
資金融通のため
大手には銀行や当時の大蔵省から役員に招いたり。
必死の資金調達をしていた時代です。
月末になると
支店の資金を殆ど本社へ送金していました。
余分なお金を支店に置いておくと
借入の金利負担もあるからです。
ATMのお金も最小限に。
この数年後、ATMは還流式に変更。
嵐が去ったのは昭和60年後半になっての事でした。