脳出血で無職になった親父のブログ

株式投資に腕時計が好きなオッサンのブログです。年齢を重ねスピリチュアルにも興味を持ったお蔭で人生感も変わりました。

心の葛藤・・義理姉の腫瘍

2015年11月30日 08時59分50秒 | 日記
今月の上旬のことです。義母から妻に連絡があった時の事・・『A美ちゃん、ふくらはぎに腫瘍ができてんて・・』義母が妻に言ったのです。A美ちゃんとは義兄の妻。義兄宅と私達家族は残念ながら、あるキッカケで不仲になっています。その、あるキッカケとは義母が救急搬送、初めてされた2年前のことでした。当時、大学1年生の長女が、たまたま義母宅に行っていたとき突然の体調不良で救急車を長女が呼び病院へと行ったのです。当然、長女は義兄宅へ連絡し義兄の妻であるA美さんが病院に駆け付けてくれたのです。そこまでは・・良かったのですが・・義母が退院して2~3日後、もう何年も義母宅に顔を出していなかった義兄の妻がいきなり、やってきては2階でくつろいでいた義母を尋ね『遺言書を書いて!お義母さん!』と言われたそうです。正月ですら近寄って来なかった義兄の妻。『救急車で病院行ったから、もう・・これから何があるやもわからへんし・・』自宅や預貯金の相続を具体的に書けと言われ義母が私の妻に相談してきたことがあるのです。遺言書の件は私が義母に説明し法定相続というのがあるので書かなくてもいいことを伝え一応、収めましたが、このときの義母のストレスは相当なものでした。まだ認知症かどうか・・わかっていない2年前の出来事です。その後、認知症と診断され私達夫婦は義兄夫婦に義母の件で話し合いを求めましたが全く受け入れず・・もう義兄夫婦に対し憤りだけが心に残っていたのです。そんな気持ちの中・・義兄の妻が病気に・・私の妻は『ふ~ん、そう・・』電話の向こうで義母が息子の嫁の病状を説明していても無表情で返すだけでした。腫瘍の大きさはメンタイコ程・・結構、大きい腫瘍です。ネットで調べると5センチほどの腫瘍は悪性の場合も多い・・妻に、そのことを言うと『ふ~ん・・』とだけ話したかと思うと妻は私の知らない義兄や義兄の妻の、これまでの言動や行動をポツリポツリと話し始めたのです。『お父さんには、これまで言わなかったけど・・私・・A美ちゃん、良く思ってへんしアニキのことも決して好きじゃないんよ。だってな・・』話は、かれもれ2時間ほど私は聞いていたのですが、それはそれは信じがたいことだったのです。決して妻が嘘や話を大きくして言ってるわけではないと信じています。妻は、これまで義兄や義兄の嫁の悪口は言ったことはありません。でも・・・溜っていたヘドロを吐き出すかのように一気に言ってきたのです。それを聞いた私は・・・義兄の嫁の病気について心の中で、(ほれみたことか!ざまぁ見ろ!)義兄の家族の不幸を喜んでしまったのです・・でも片一方で、そんな気持ちになってはいけない・・優しい思いを伝えないといけない・・人の不幸を喜んでい居る自分に嫌気もさしました。少し妻と私の間に小さな間があいたあと『お父さんが脳出血で倒れた時私、アニキに電話して知らせてた・・その時・・その時・・アニキは、こんな事、言ってン!』妻は少し涙を浮かべ・・『なったもん、しゃーないやんけ。』私は・・複雑な思いになりました。そう言えば入院中、義兄夫婦は見舞いにきてくれたのですが未だ寝たきりの私のベッドの横で義兄は『リハビリ、地獄ですわ!』この一言は私達だけでなく同室の他の入院患者の人たちも後で私に『見舞いに来て、えらいこと、言わはるなぁ・』と言ってくるほどの言い方であり、その言葉そのものだったのです。だから妻も今回の義理姉の病気に対して『ふ~ん』としか反応しないのでしょう。もちろん・・見舞いなど行く気もありません。人の不幸を望むと、やがて、その不幸は自分自身に跳ね返る・・この因果を最近になり、やっとわかったはず。そう自分で思っていたのですがネットでふくらはぎの腫瘍について調べている自分の心を覗くと・・この心の葛藤は人として自然であるかも知れません。天使でも神様でもない、ただの人間です。11月27日 手術を終えた義理姉は・・本当は、もう1か所腫瘍があるそうです。義母の認知症に無関心な義兄夫婦は自分達の病気を義母に訴えている。義母は何が出来るわけでもなく・・義母に心配事だけを知らせている・・そう思うと再び無性に腹立たしさがこみあげてきた今日このごろです。
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守られている実感

2015年11月29日 09時42分40秒 | わが半生
私は13歳の中学1年生から新聞配達をし自分の欲しい物や免許取得など全てバイトのお金で賄ってきました。いろいろなバイトの経験は今となっては決して、お金では買えない貴重な経験と数多くの人たちとお会いでき話もでき中には苦楽を共に過ごせる友人なども多くできました。でも私は知らず知らずに傲慢な言動や態度から人が離れてしまっていました。これも今、思うと、私にとって大変、良いお灸をすえられていたような気がします。当時は、そのお灸の熱さが全く感じられないほどの鈍感な感性だったのでしょう。これまでの56年、私は真面目に働いてきました。そりゃ人間ですからセコイ事もしたり愚痴も言ったり・・時には他人を責めたり大いに反省すべきところも少なくありません。そうやって振り返り今は反省と感謝の繰り返しです。2013年6月 脳出血で倒れたこと自体は健康上の不幸な出来事なのは確かです。しかし、倒れた場所が職場であったこと。すぐに救急車が来てくれ受け入れた病院が会社より10分ほどの場所にあったこと。そして長時間労働が原因とした脳疾患は労災の認定を受けられたこと。障害厚生年金も30年以上納付し前職の給与が高かった、おかげで相応の年金受給額を受けられた。もし職場で倒れてなく自宅であったなら労災申請は行っていなかったと思います。病気を発症してから今日までは本当に恵まれた状態であることを心から実感しているのですが、何となく・・何となくですが脳出血で神様がお灸をすえてくれた・・その後は経済的な心配は、もうなくなりました。私も妻も真面目に人生を歩んできて・・でも私がリストラにあってからというもの試練の数・大きさは怒涛の如くやってきました。その波から逃げず嵐の中の難破船のようになってしまった私達家族の船は何とか沈没せずにいます。神様は試練というものを与えながら片方の手には、いつでも私達を支えようとしてくださっている・・そうやって私達家族の魂の成長を願っているのかな??昨日、妻が『今のパート、来年2月で契約切れるし・・切れたあと少し、ノンビリしようかな?お父さんと、もう何年も旅行もしてないし♪』労災と障害厚生年金の両方の受給も決まり妻も、漸く気持ちが楽になったのでしょう。『それに・・おばあちゃんの事もあるし・・』そうなんです。義母の認知症・・この介護を私達は心して受ける決心をしているのです。ただ私も身体障害者ですので妻が義母の介護に疲れる前に特別養護老人ホームを確保することも考えています。義兄は息子でありながら母親の認知症も知っていながら無関心を装い関わりを持とうとしません。もちろん経済的な支援もしないと思っています。妻は『A香が拒食症のとき・・ホンマ、おばあちゃんに迷惑ばかりかけたし・・私が償わなければ・・A香と、おばあちゃんに償う・・だから認知症が・・』妻は涙目になりました。未だ義母も軽度のアルツハイマーで一人暮らしはできています。薬の処方を受け進行を遅らせるようにしてますが・・一人暮らしに限界が来たとき・・妻は・・だから、それまでの期間は少しでも穏やかに、そして旅行や観劇・・何か楽しみを作っていきながら暮らしていきたいと。私は会社に対し長時間労働により脳出血が発症。会社の安全配慮義務違反を理由に損害賠償請求を、いよいよ来年、申し立てるつもりです。現在は別件で割増賃金請求の訴訟中でもあり、この2件の係争は、今、働いている会社の人たち・・私の部下や同僚が少しでも職場環境が良くなれば・・また適正な残業代を貰えたら・・管理職は権限と責任を行使しリーダーとしての仕事のやりがいを持てれば・・そんな願いで考えています。なので決して和解せず判決をもらうつもりで闘い勝訴した時は労働基準監督署へ行くつもりでいます。少しでも多くの人たちに、希望や夢・・働き甲斐のある職場に・・小さな小石でも一石を投じることができれば・・そして私の在籍している会社も何年も連続で増収増益、銀行借り入れもありません。営業キャッシュフローも楽に10億円を超えています。従業員200名ほどの中小企業で、この状態は超優良企業。でも従業員はコンプライアンス違反の固定残業代で超過分は支給されおらず管理職は全て名ばかり同族企業で親子だけが潤う・・タイムカードの打刻を忘れると1回あたり100円の罰金・・社員旅行を休んでも積立金を返さない・・宅建主任者でない社員が重要事項説明を過去に行い大きな問題に・・こんな会社・・私が病気発症後、なんとなく守られているのは、もしかしたら・・今、過労死・長時間労働でのブラック問題が社会では注目されています。最近、とある外食チェーンが訴えられてます。昨年は大手家電量販店での過労死がメディアに流され、その家電量販店はその後、あいつぐ店舗閉鎖。居酒屋チェーンのWも過労死が出てから赤字転落・系列会社(介護事業)を売却など・・人を大切にしない企業が、どのような末路になるのか?天は決して許さないのです。私の勤務する会社は中小企業ですが地元では有名であり誰もが知っています。毎年多くの学生が就活のため説明会や面接にエントリーもしてきています。これから入社してくる人たちが幸せを感じて働けるようになれば。その思いは日々、強くなっていくのは私自身が周囲の人たち・環境は勿論ですが何か目に見えないチカラで守られているような気がしてならない・・と思う今日この頃です。
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労基署からのお知らせが来ました。

2015年11月28日 08時57分30秒 | 裁判
昨日の夕方18:00過ぎ、書留で労基署より年金・一時金の支給決定通知が届きました。玄関まで妻が出ていき郵便局の方から受け取り青いA4版封筒を私の前に見せた妻の表情が明るく、私達は開封したのです。中には年金証書と、その受領書フォーマットに返信用封筒。そして通知書。●●労働基準監督署長の印鑑が押印されてあり内容を見ると・・『あれ??お父さん、等級って、どこに書いてる??』小さな文字で何やら書いているのです。異議がある場合は60日以内・・『ふんふn・・で?』その文言の下段には基礎日額×●●日文×0.73・・年間の金額が表示され『あれ・・賞与に該当する分は0.73を掛けないんや!やった!』そうなんです。私は障害厚生年金も受給しますので労災年金は調整減額され労災年金満額の73%が受給額になるのですが賞与分は73%でなく満額支給だったのです。『そうなんや。勝手に思い込んでた。』そう呟くと妻が『よかったね♪』基礎日額に例えば5級であれば188日を掛けた金額が年間受給額なのです。そして私の日数は・・『これって●級やんな。』予めスマートフォンで検索しておいた基礎日額×日数を見ると等級がわかるのですが肝心な等級の記載が見当たりません。ま、通知が来た時点で弁護士に連絡するよう言われていたので私は弁護士へ連絡しました。18:40分・RRRR♪1コール後『弁護士法人W事務所です。』若い女性の声が心地いい。担当の弁護士を呼んでもらうも他の電話中とのこと。折り返し依頼し私は通知書をスキャナーにかけ弁護士へ送信する準備をしていると私の携帯が鳴りました。画面には勿論、弁護士からです。通知内容を伝えると『ひとまず通知書をメールで送信してください。』と淡々と言われる。この弁護士は、いつも冷静と言うかクールというか・・メール送信し約10分後、私の携帯が鳴りました。『Yさん!●級です。等級は・・』弁護士の説明する場所に目をやると・・ありました!!『●級です!』いつもクールな弁護士が初めて感情を露わに言ったのです。『これは●級の3号ですから身体的に加え神経的疾患による後遺症として認定されてます。早速、代表のWに相談し賠償額の算出にあたります。それと残業代請求の第三回口頭弁論の準備書面を来週早々に送るので確認してください。Yさん現在の会社に入社した当時から源泉や給与明細など保管されてますか?』と聞かれ『はい。ありますよ。』どうやら裁判所への証拠書類は原本が必要らしく全て送ってほしいとのことでした。電話を切り妻に『なんでも保管しとくもんやなぁ・・お母さんの、おかげや!』そうなんです。妻はは私の前職から今の会社の源泉・給与明細・名刺・給与辞令・昇進辞令など全てを保管していてくれてたのです。『だって、お父さんの頑張ってきた証やん♪』笑顔で応える妻にホッとした自分が感じられた今日この頃でした。
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義母の認知症

2015年11月27日 09時46分17秒 | 義母の認知症
昨夜、いや正確には本日の明け方4時ころ次女から妻に連絡があったらしく義母が目眩で救急搬送されたとのこと。今から大阪の病院に向かうのですが、私は無性に苛立ちを覚えたのです。これまで何度も救急搬送されたり認知症のこともケアマネさんのことも義兄は何の関わりも持とうとせず自分は義母が認知症と知っていながら知らないふりをし日曜日には娘を連れて昼御飯を食べに帰るくらい。嫁は義母には近づこうともせず何やら無性に苛立ちが出ました。でも、天の目は、ちゃんと見てくれていることを信じ私も妻も義母のサポートをさしています。最終的には私達が面倒をみるか、仮に施設に入居となった場合の費用も負担するつもりです。妻は義兄にも相応の責任を果たしてもらう!と言ってますが、私達の憤りを義兄にぶつけてみたところで解決どころか反対に事態は余計にややこしくなるのも想定できます。経済的は勿論、何よりも妻の精神的負担が気になる今日この頃です。
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労災一時金が、やっと・・

2015年11月26日 09時02分37秒 | 日記
昨日、いつもの定期健診といっても薬の処方を受けに脳外科へ妻の車で行きました。先生と一通りの問診を終えると『Yさん・・先日、労基署から通知が来てアフター手帳で薬の処方は該当しないと・・いや、私も申し開き書は郵送してるんやけどね・・ま、この胃薬やデパスは理解できるけど血圧の薬は必要やとね。』少し困惑した表情で先生が言うのです。『わかりました。アフター手帳は今後、使用しません。これからは健康保険でします。』私は身体障碍2級のため行政から医療費補助を受けており健康保険でも一旦、自費で負担しますが2か月後に市より私の口座に支払いされます。『そうですか・・そうして貰えれば助かります。』少し、ホッとした表情になり『では、今日の診察と処方箋は、これで、お願いします。』私は鞄から行政より発行されている保険証と会社の社会保険証を看護師に渡しました。丁重に先生へお礼を言い病院を出て薬局へ・・処方箋代金が7900円。(うわ!保険使って7900円?ってことは26000円が実質の薬代??)あらためて日本の保険制度に感謝しました。そして近所のスーパーへ妻と買い物に向かいました。いつものようにスーパーの車いすを使おうと腰かけたとき。。『ちょっとATMに寄るから・・』私はスーパーのATMコーナーの入り口付近で待つことに。数分後・・『お父さん!ビックリポンや!!ほら・・』そう言って通帳を見せる妻の指先に目をやると・・『うわ!●●万円ロウドウキジュン・・』と振込があったのです。未だ、労基署からなんの通知もなく現金が振込されていたため。『これ・・一時金や。年金は偶数月やから来月やし。先週、労基署に電話したら今週中には通知送付すると聞いてたから・・』スマホを取り出し【労災障害等級】と検索。一時金から認定等級の確認でした。『●級や。』妻に言うと『ホンマ?・・一時金って有難いね。でも贅沢はせぇへんよ。今日は、ここでオカズ買って御飯作るからね♪』そうなんです。私の奥さんは質素倹約を地で行く性格。『一時金は定期預金にGo!やで。娘たちで、また幾ら必要になるかわからへんし!!』そう言いながら私の車いすを押す妻でした。買い物を終え、さて帰ろうとスーパーの出口に向かうと・・『こんばんは♪』親し気に声をかけてくる中年女性『あれ!久しぶり!』答える妻。出会ったのは次女の同級生のお母さん。いや、それだけでなく私が脳出血で倒れ救急搬送された病院で看護師として働いていた方だったのです。入院中・・お風呂に入れてもらった・・あの時は恥ずかしかった・・娘の同級生のお母さんに身体を洗ってもらってるので私の大切な場所も、よくご存じ(#^.^#)なのであります。数分、妻と雑談・・あれから病院を変わって別の病院で働いてるとのこと。雑談を終えて駐車場へ向かう道々『あれから、もう2年半くらいやね・・早いなぁ。M子ちゃん大学行くねんて・・でも、あのお母さん、穏やかで、いい人!だから看護師っていう仕事も出来るんやろね。私には無理・・』妻は私に言いながら車のロックを開けるのでした。労災一時金・・昨日は私達にとって本当に久しぶりのゴキゲンな1日でした。
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