昨日、私を担当して下さるケアマネージャーが来られました。事前に義母の認知症のこともあり、特別養護老人ホームのことを説明して頂けるようにお願いしていたのです。またセニアカーという電動車椅子を少しカッコよくした乗り物が介護保健を適用すると月々2500円でリース出来るらしく、その説明も兼ねての来訪でした。特別養護老人ホームは年間のランニングコストも低く抑えられ入所一時金もなく人気で3年くらい待たないといけないようです。今年に入り要介護3以上でなければ入所は無理なようですが身寄りの無い方や、やむ得ない事情を抱えておられる方は例外的に優先されるようです。第一は認知症になっている本人の生命や生活を守ること。特別養護老人ホームがここ2年で2箇所ほど私の住むエリアに新設されてるようで月間は約15万円ほどで終身いられるようです。ただ医療的に対応が出来ないので胃ろうとか必要になると出なければならないようです。私個人的には胃ろうはしたくありません。話しは逸れましたか義母は集団生活が苦手です。合わせることなどは勿論、出来ますし話することも出来ますが気を使うことが大変、疲れるようです。そのため、今後、認知症が進行してデイサービスやショートステイに連れていくことは難しいのが悩みなのです。看護師や主治医からは認知症の改善にはデイサービスは良いとは聞いているので複雑です。
平成27年9月27日義母の自宅へ二泊三日の予定で泊まりに行きました。目的は28日に豊中市内にある大阪府が認知症認定している病院への診察です。義母は大の犬好きなのでウチの家族でもあるトイプードルも一緒に連れて行くと予めに連絡をした時は、それはそれは大変な喜びようでした。27日は近くのスーパーで買い物をし義母と妻と私で夕食をしたのですが義母も久しぶりの賑やかな食卓に終始、笑顔で沢山の話もしてくれて、本当に嬉しそうな笑顔は何よりも私達にとっても幸せを感じる時間でもあったと思います。私達の愛犬も義母宅に着いた当初は落ち着きませんでしたが慣れるまでには、そう時間も必要なく、義母に抱かれ満足そうでした。そして翌日、病院での診察。義母は最近、特に頭、後頭部が重く、何とも言えない不快感が多いと訴えるのですが薬は飲んでいるか?くらいの問診でケアマネージャーを通じて訪問介護やデイサービスの利用を促すくらい。薬はアリセプトを処方されてるので確実に飲む事!だそうです。処方はまだ始めたばかり、現在、アリセプト3mgですが副作用の有無によって5mgになるそうです。また、あるサイトでアリセプトはレビー認知症には良くなく進行を早めるとあったので医師に相談すると、昨年、アリセプトはレビー認知症にも有効と判断されているとのこと。ひとまず、今後はアリセプトの処方と一人暮らしが、どこまで可能か?そこのところです。
脳出血、右視床に出血したので左側上下肢体マヒと体幹障害に高次脳障害を残しています。マヒに加え、やはり痺れもあり、漸く慣れはしたものの左目周辺と左側唇周辺に強く残り、また食べ物を咀嚼すると左側のホッペの内側をよく噛んでしまうのです。ホッペの内側?と思われるかもしれませんが、とにかく噛んでしまうのです。指先も痺れがありながら左手はパーキンソン病のように緊張が走るとユラユラと意識なく震えますので左手が固定しないので摘む、添える、押さえるなどできません。あと何年、生きるかは分かりませんが後遺症とは死ぬまで、付き合っていかなければならないのです。
昨夜、妻が泣きました。『お母さん・・引き取るの怖いねん・・でも小さい頃かえあかわいがってくれたし・・お母さんやし・・引き取りたい気持ちはある!!でも・・』妻はセキを切ったように泣きながら話をし始めました。ただただ私は黙って聞いているしかありませんでした。これまでの人生、本当に真面目に生きてきた妻そして義母も・・偶然にしては本当に偶然なのだろうか?本当に、そう思える、その境遇。義母と亡くなった義父の年の差は6歳。私と妻の年の差も6歳。義父が脳梗塞で倒れた年齢が52~3歳 その時の妻の年齢が19歳。私が脳出血で倒れたのが52歳。その時の長女の年齢が19歳・・・妻が幼い頃より義父は働き、義父が倒れた頃は昼夜を問わず働き妻もそのかたわら義母を支えていました。そして妻が母親となって・・長女が拒食症となり義母の自宅に長女が居候していたとき・・長女は義母に対する度重なる暴力・・それを止めたくても止められない・・妻が長女を叱れば更に長女は義母へ激しい暴力を振るうからです。義母の支えで長女は少しづつ拒食症から立ち直り・・その後、私が脳出血。妻は毎日、働き、そして病院へ欠かさず来てくれました。そんな妻を娘たちは、ただただ横目でみているだけでした・・いや、むしろ次女は思春期・・リストカットを始めたころです。妻の精神的な負担は極限まで来ていました。何とか私が退院したら長女も次女も学校を辞めてしまいましたが・・今、長女は宅建主任者の勉強を始め次女は通信制高校から化粧品会社への就職に向けて活動し少し・・安堵の兆しが見え始めた頃、義母の認知症です。義兄は全くと言ってよいほど関心を示さず私達との話し合いを拒否。認知症は進行する病気です。テレビや本でしか私達の知識がなく不安でいっぱいです。そんな中、昨夜・・『私は・・これまで真面目に生きてきた!!お父さん(私)が倒れても一生懸命してきた!!娘たちは何も協力してない・・これからお母さんを引き取って・・』心の葛藤。義母を引き取っても結局、介護のすべては妻にのしかかってきます。本当に辛いです。
債権回収とは結構、大変ですが行方不明の債務者が見つかった時は本当に『やったぁ~!!』という気分になります。私は1年近くも支払いせず”逃げている?”債務者の追跡調査をしておりました。当時は子供の借金は親が支払う・・日本人ならではの責任感??の強い民族意識もあって本人が居所わからない債権も親に言えば結構、解決もついていた時代です。また親も借金に追われる子供を匿うことも少なくありません。しかし、私が持っていた債権は親の居所がつかめなかったのです。戸籍謄本も今では絶対といえる程、第三者は取得は無理ですが当時は借用証のコピーを送れば簡単に取得もできていたので・・本人の本籍地・・親の戸籍から夫の戸籍に入る記録から親の戸籍がわかり・・親の戸籍の附票を取れば親の居所がわかります・・が・・この債権は親の居所がわからず・・附票も上がりませんでした。おそらく親は本籍を移したのであろうと・・困りました・・そこで新規融資の申し込みで預かった保険証の記号を社会保険事務所へ電話したのです。『天王寺区の○○病院ですが・・保険の確認をお願いします。えっと記号は大手前あいろ・・○○です。』そう伝えると暫く待たされ代わって若い男性が出てきました。『もう一度、該当者の氏名と生年月日、勤務先を教えてください。』私は質問に答えると『あーー・・その方でしたら・・えっと○○生命保険会社の組合保険に変わられてますネ』は??私は驚きました。こうも簡単に転職先が判明するとは・・病院の事務員になりすまし電話をしたのは保険の資格切れの確認・・退職後、保険証を返さず病院で治療を受ける人も時々いるそうで診療費を徴求できなくなるリスクを回避すべく確認・・そんなイメージで電話したところ思わず○○生命の保険組合に変わっていたとは。○○生命は業界でも大手。私は○○生命の人事へ連絡しました。『あ・・お忙しいところ申訳ございません。そちらの従業員で○○さん。。おられると思いますが・・その方の知り合いより保険に入るなら・・その方に言えば?と言われたのですが、どちらの営業所かは存じ上げないとのことで問い合わせしました。』今の時代では考えられないことかもしれませんが・・『○○でございますね?少々、お待ちください・・』暫く待たされたあと『○○は確かに在籍しております。保険の事でしたら○○より直接、電話をさせますのでご連絡先をおっしゃってください・。』私は・・(やった!在籍してた)心の中で大きな笑みを浮かべつつ・・『わかりましたでは06-××-××××へお電話願います。』私は自分の氏名を名乗り電話番号は会社の別の電話番号・・通称回収電話番号を伝えたのです。この回収電話番号は支店の代表電話以外で延滞債務者からの折り返し専用ダイヤルでもあります。なので・・かかってくると社名はいきなり名乗りません。個人名で出る番号です。15分くらいだったと思います・・RRRRR♪♪回収電話が鳴りました。『ハイ。○○です。』私が出ると女性の声が聞こえました。『○○生命の田中(仮名)ですがYさん・・いらっしゃいますでしょうか?』来た・・・1年間も未払いで延滞債務者が受話器の向こうに存在しているのです。私はこみあげる興奮を抑え冷静に、ゆっくりと言葉を発しました。『田中さん(仮名)ですね。確か以前東成区○○町にお住まいの・・えっとK食品会社でしたっけ?おられましたよネ?』私は本人の特定をするように質問すると『ハイ・・確かに東成区の、その住所にすんでいましたけど?あの・・どちらのYさんですか?』弱弱しい声になって聞く債務者に対し『実はね・・レ○クのYです・・1年間も支払いなく・・事情もあったんでしょうが困りますねぇ。』私は網にかかったネズミを取り押さえた気分になりました。すると・・『な・・なんで?わかったんですか?』は?私は耳を疑いました。『いきなりですか・・その前にご迷惑をおかけし申訳ございません・・ではないですか?』延々30分、債務者の連絡先、実家すべてを聞き出し即日、支店へ来るよう依頼しました。女性は翌日、まずは1万円を持参し今後の返済計画を支店長を交え話し合いをしました。1万円の入金によって貸し倒れにならずに済んだのですが・・この債権で私の運命が大きく変わったのは事実です。そして数日後、支店長より『Y君、明日から二か月管理センターへ研修に行ってくれるかな?』管理センターとは延滞し支店では未回収であった債権を管理する部署です。もちろん・・行くことに承諾し大阪市中央区の本町にある、その部署へと翌日、足を運びました。