同室の男性・・何かとストレスなのは以前も書きましたが・・これも結構ストレスでした。本人が言うには飲み屋で知り合った彼女がいるようですが一度も病院には来てないようで・・ある日のこと『会えますよね?』と突然、カーテン越しに話しかけてくるのですが何の事か・・主語のない問いかけに対し思わず『はぁ?』と返すと『会えますよね?会えると言ってください!』と要求付き?ま、とにかく『はいはい。会えると思いますよ。』と返すと『思います・・じゃなくて会えると言ってください!!』と・・こちらも訳がわからないので『もしかして彼女のことですか?』と言うと『そんなん、そうにきまってますやろ?お・・おれ・・ね・・』と知り合った経緯を聞かされ挙句には『お・・おれ・・が入院し・・してること知らないだけですよね?』と・・(おいおい普通、彼氏が事故して入院したら心配で来るやろ??)と思っていると『電話もメールも・・ないん・・ですよ。携帯・・わからんかったら俺・・の親・・に聞きます・・よね?』と(その女の人は貴方を彼氏と思ってなくない?)と思ったのですが、ややこしくなるのも嫌なので『そうですね。』と答えると・・『また聞いてくだ・・さい・・すみません・・』と・・やっと終わったと思ったら、その2~3時間後『会えますよね?』と勝手にカーテンを開けて話しかけてくるので『会えますよ』と答えてあげると・・『俺が入院してること知らないだけですよね?』と・・(そんなに気になるんやったら自分から電話したら?)と言いかけましたが、ややこしくなると思ったので『そうですね』と返すと『何度も・・す・・すみません。』と謝るのです。こんな事が1日何度もあって・・でも腕から背中には入れ墨もあるし・・怖くなくても、ややこしくなったら困るし・・(あ! これかな?作業療法の先生が言ってた問題児の原因・・)そう思い作業療法の時間に聞いてみたのです『先生?あのIさんって東病棟で問題あったみたいで・・ここの病院の常連って言ってたけど・・』と言うと『うんうん♪ちょっと変わってる人みたい♪』と言うので毎日毎日『会えますよね?』って彼女が来ないことを私に言ってくると言うと『あ~・・なんか聞いたことあるけど・・彼女さんいてるんや。でも彼女・・やったら来るよね病院に・・勝手に思ってるだけちがう?』と軽く流され・・『○○さんも聞くの大変やったら聞こえへん振りして無視ししたらどう?』と笑いながらいうので『先生、冗談ちゃいますよ・・1日に何度も同じこと言われて、ええ加減ストレスなんです。』と言っても先生としても、明暗が浮かばず・・とにかく・・Iさんが退院することを待ちわびることしかなかったのでした。
脳出血で倒れ左半身麻痺に痺れ・・麻痺状態は半端じゃなく、とにかく重いのです((+_+))足と腕の筋肉が肉ではなく鉄?鉛?に変化したのでは??とそれに感覚が無いので腕は、ベッドの端のパイプに挟んだり自分の身体の下敷きにしたり・・初めてのリハビリの日・・理学療法士の先生が『必ず歩けるようになりますヨ♪でも本人の気持ち次第です。私は、そのお手伝いをするだけです。私が歩けるようにするのではありません。歩くための方法を誘導するだけですから・・』と言われ、いきなり私自身の考えが間違っていたのを恥ずかしくなりました。なぜなら私は受け身に(歩けるようにしてもらえる)と思いこんでいたからです。とにかく座ることも出来ず、先生が私の向こう脛をトントンとしながら『ここに意識して足首を上に・・指先を上に・・』私の足はウンともスンとも動きません。平行棒に行き立つ練習をしようとしますが膝にチカラが入らず立つこともできません。
理学でこれですから作業療法も手は開かず肘も自然と緊張状態でした。言語も、まるで酔っ払いが話すような話し方で食物も流動食ですら飲み込みが困難でした・・自分の身体の状態を思うと将来の不安も入り混じり『鬱』になりかけたこともありました。とにかく理学療法の先生が言った言葉・・『本人次第で必ず歩けるようになる』を信じて辛いリハビリを頑張りました・・少しの変化・・例えば手が開くようになった・・流動食から普通の御飯・・車椅子ですわってられるようになった・・とにかく小さな事が出来るようになれる度に『やった!!』自分に自分で褒めてあげるのでした。そんな、ある日のリハビリ中、突然、大阪で一人暮らししている長女が『お父さん!!頑張ってる?』とリハ室に来てくれて、ずっとリハビリ中の私に付き添ってくれたのです。何よりも励みになりました。以後、時々・・果物を持って長女は来てくれるようになり(自分一人で頑張ってるんじゃない・・毎日、身の回りの世話に来てくれる妻・・)とにかく家族に、これ以上の迷惑をかけられない!!その思いで頑張りました・・そして急性期→回復期へ転院・・急性期では理学・作業・言語と其々30分から回復期は理学・作業が60分、言語が30分・・途中、作業療法の先生が『○○さん、順調だし90分にしますね♪』となり退院時には何とか自宅内での日常生活は自分で出来るまでになれました。とにかく諦めないこと。良くなることを信じること。悲観的にならない事。私と同じような病気や事故などで身体に後遺症を持たれた人、その御家族が、このブログを読んでいただき少しでも前に進めれれば・・そう思いスタートさせたブログです。脳疾患は脳疾患になった人にしか分からない心がありますし後遺症の程度も個々様々です。でも前進するしかないのです。本人次第で大きく変化していきます。とにかく同じ病気で悩んでおられる方が、おられたら自分一人じゃない。同じ苦しみを持っている人達は大勢おられます。とにかく今を大切に生きることに気持ちを持ってください。
理学でこれですから作業療法も手は開かず肘も自然と緊張状態でした。言語も、まるで酔っ払いが話すような話し方で食物も流動食ですら飲み込みが困難でした・・自分の身体の状態を思うと将来の不安も入り混じり『鬱』になりかけたこともありました。とにかく理学療法の先生が言った言葉・・『本人次第で必ず歩けるようになる』を信じて辛いリハビリを頑張りました・・少しの変化・・例えば手が開くようになった・・流動食から普通の御飯・・車椅子ですわってられるようになった・・とにかく小さな事が出来るようになれる度に『やった!!』自分に自分で褒めてあげるのでした。そんな、ある日のリハビリ中、突然、大阪で一人暮らししている長女が『お父さん!!頑張ってる?』とリハ室に来てくれて、ずっとリハビリ中の私に付き添ってくれたのです。何よりも励みになりました。以後、時々・・果物を持って長女は来てくれるようになり(自分一人で頑張ってるんじゃない・・毎日、身の回りの世話に来てくれる妻・・)とにかく家族に、これ以上の迷惑をかけられない!!その思いで頑張りました・・そして急性期→回復期へ転院・・急性期では理学・作業・言語と其々30分から回復期は理学・作業が60分、言語が30分・・途中、作業療法の先生が『○○さん、順調だし90分にしますね♪』となり退院時には何とか自宅内での日常生活は自分で出来るまでになれました。とにかく諦めないこと。良くなることを信じること。悲観的にならない事。私と同じような病気や事故などで身体に後遺症を持たれた人、その御家族が、このブログを読んでいただき少しでも前に進めれれば・・そう思いスタートさせたブログです。脳疾患は脳疾患になった人にしか分からない心がありますし後遺症の程度も個々様々です。でも前進するしかないのです。本人次第で大きく変化していきます。とにかく同じ病気で悩んでおられる方が、おられたら自分一人じゃない。同じ苦しみを持っている人達は大勢おられます。とにかく今を大切に生きることに気持ちを持ってください。
土曜日:外出のため病院を出て、自宅の駐車場には5社の買い取り業者さん達が我が愛車を見ています・・改造なしの『ノーマル』のステップワゴン・・カラーはパールホワイト・・走行35000キロで事故歴なし・・バンパーと左ドアに多少の傷・・ナビとETCは装備。5社のうちY社の担当さんが『ご主人、相談があります。』とのことで聞くと5社で【セリ】にかけるのは?どうか?と、その方が値段も上がるし時間も短縮できると言うので快諾(●^o^●)他4社さんたちも同意し自宅の前で一斉に【セリ】にかかりました・・まずはA社が『ご主人!先日メールで45万と出しましたのでウチは45万!』と言うと、その横でH社が『48万!!』このH社はTVでも宣伝している大手の中古車販売業者さん・・すると一番最初に来てくれたA社の二人が『50万!!』その光景は小学生の時に社会見学でいった青果市場のセリを思い出しました。(え?50万?そんなエエ値段で?)妻も私の顔を見て思わずニンマリ(*^_^*)すると【セリ】を提案してきたY社が『52万!!』と・・(ウホホ(●^o^●))すると他4社が一斉に携帯を取り出し何やら本部へ電話・・『Y社が52万って言ってきました・・・あ・・はい。』と言い耳から携帯を外し『ウチは54万!!』とA社・・とこんな感じで値段がスルスルと上昇↑と同時に私と妻のテンションもアップ・・58万を超えたところでY社とH社の一騎打ち・・Y社もTVで宣伝する大手の買い取り業者・・58万を超えると流石に千円単位の攻防・・となりH社が60万を提示・・(うは♪スゴ♪60万??)Y社の担当さん・・再度携帯を取り出し本部へ電話『はい!わかりました・・ウチは605000円!!』と言うとH社の担当さん・・『もう無理ですワ↓』ということになり当初40万前後かと思っていた愛車が60万を超えました・・【セリ】が終了した後、5社の担当さんが『このワゴンRは売らないんですか?これも高くいけますけど?』と妻の車を指さすのですが『それは売りませんッ!!』と妻。めでたく商談成立し愛車ステップワゴンはすぐさま業者が持って帰り数日後、私の口座に振り込みがありました。なんと3ヶ月もしないうち所有者が決まったとの通知が・・じっと通知書を見ていると『お父さん、やっぱり寂しいんとちがう?長いこと乗ってたし・・綺麗にしてたもんね。』確かに少し寂しい気持ちになりました。思い出がいっぱい詰まった愛車を手放すのは・・やっぱり寂しいもんです。そんな感傷にひたっている横で妻は『私も乗り換えるときは下取りに出さないで業者呼んで【セリ】にかけようかなぁ~♪』と・・さらに『予定より高く売れたし車検も出さずに済んで良かったぁ(●^o^●)』と嬉しそう・・・確かに下取りで出すより、この方法がベストかなと確信するのでありました。
リハビリの効果あってか外出許可も出始めた10月のある日・・(今年、そういえば車検やなぁ~)勿論、退院したら車に乗るつもりではいたのですが・・・目の調整機能がやられててピントを合わせづらく左側に顔を動かす先には物が二重に見えるのが治らず・・倒れた直後2週間くらいは正面に人がいると分身の術を使われたように2人~3人同じ人が見えていたのでドクターに聞くと日にち薬によるねぇ・・今より良くなる可能性はあるとのことでした。確かにマシにはなりましたが左側の視界は見えるには見えてますが、どうも、あきません。それに頭もフラフラしてるし左手をハンドルに添えたりATレバーを持つことが大変・・(もう売ってしまおう・・)と決断しました。9年落ちのステップワゴン走行は35000キロと少ないので値段は付くかな?と思いながらiPhone片手にネット検索すると30万~40万と査定額が出ました(ほーっ10年近い車検も短いのに・・結構、値段が付くんや)意外な結果に売却の決意を固め、その日の夕方、病院に来た妻に・・『12月車検やし車、売ろうかなって思う。』と言うと『なんで?退院したら乗るって言ってたのに・・車検も通したらええやんか?』と私のまさかの意思に驚く妻に『こんな身体になってしもうたし目が・・とにかくアカンねん。だから売る!!』と言うと『ホンマにええのん?お父さんの車やから好きにしたらええけど後悔しないでね。』と言い身の回りを整えてくれて、差し入れの『おやつ』を置いていってくれました。翌日、ネットで車の買い取りナビで査定申し込みをすると早速、3社メールが届きました・・そのうち1社からは最低45万円で買い取ると未だ見てない現物でありながら値段を提示してきたのです。(45万・・ええやん(●^o^●))翌日、さらに2社から査定するとのメール・・日程の調整をすぐさま考えました。妻に連絡すると『私は車のこと、わからへんし・・今度の外出許可の日やったら、ええのんちゃう?』とのことで5社とも11月の第一土曜日に我が家へ来てくれることに・・勿論、競合させるため時間も同じにしたのです。妻からメールで『9年落ちやのに45万ってラッキーやね♪売れたら美味しいモン食べに行こうね♪』と・・(そっちか!?)さてさて査定当日、約束時間の15分前にA社が・・二人で来られました『すみません!あと4社さん来られますので少し待ってもらえます?』と言うと『そうですか。でも出来たら先に、お車を拝見させていただけますか?』と2人のうちの眼鏡をかけた中年の男性が言いましたので『ええ、別にいいですよ。』とKeyを渡すと若い方の男性が受け取りエンジンをかけようとするのですが・・うんともスンともいいません。『すみません!!長く入院していたので・・』と言うと『いえいえ、かまいません。』自分たちの車のトランクからブースターケーブルを出し再びKeyを回すと・・ブルルンッ軽快にエンジン音が・・そうこうしているうちに次から次と買い取り業者さん達がきました。名刺を受け軽く挨拶をした後、その中のY社の担当さんが『ご主人、ちょっと提案がありますが・・宜しいですか?』と・・私は、その提案に応じることにしたのです。
脳出血という病気になって怒りの感情が殆どなくなりました。『怒り』や『腹立たしさ』が心のどこかに出たら勿論ですが言葉で出すと首筋から頭のてっぺん迄・・何とも言えん・・そう血液が急に逆流するような感じとともに気が遠くなっていくんです。そうなると呼吸困難になってベッドに数時間寝ていないとけない事が何度かあってから『怒』は殆どなくなりました。そんな状態を感じる頃から、あるサイトに【怒りは地獄に行く心】とあり見てみると怒りは殆どが自分を批判や中傷する相手や自分の思い通りにならない事が大半で原因も些細な事が多い・・怒りにまかせ周囲の人達に、どれだけ嫌な思いをさせているか・・全く考えない・・必要以上に相手を責めさらに裁く・・批判や中傷される自分を振り返らず反省もなければ謙虚さもない・・自分可愛さに爆発・・他人に怒りをぶつけると同時に自分自身の心にも矢が刺さっていっってるのも知らずに・・・。『怒り』を日常的に出す人は死んで、あの世にいっても怒ってばかり・・そして周囲も怒ってばかりいる魂の集団の中にいて喧嘩ばっかりする地獄へ行くらしいのです。でも怒りっぽい人達は、そんなもんだと思っているので、そこが地獄だと気づかず言い合いののしりあってるみたいです。でも途中で、それが疲れたり、愚かと気づけば天国へと魂は行くようです。そのサイトを読んでいるうちに死んでまで怒ってなんかいたくないと思って入院中、これまでの怒りを振り返る事にしました。すると・・よ~く思い起こすと怒りの大半は自分の利益に影響すること・・自分の思い通りにならなかった事や自分に対する誹謗中傷に対してばかり・・が原因でした。病気になる前の50数年、私は反省とか感謝の気持ちを、どれだけ持って生きてきたのか?どれだけ謙虚な気持ちで人と接していたのであろうか?友人・知人・上司・同僚・部下・お客様・・そして両親、兄弟に家族に対し感謝の心を持っていただろうか言葉で『ありがとう』とか『ごめんなさい』と、どれだけ素直に言えたかな?と走馬灯のように思い出すのでした。思いだす事は・・全くま逆で人に対しては上から目線の言動、俺が『正しい』という考え、物事はやってもらって当たり前、自分の考えを押し付ける・・決め打ちで話す・・という王様状態・・顔から火が出る程、恥ずかしい気持ちで一杯になりました。心から情けなくそして知らず知らずのうちに失ったものの多さに気付くと心の中でたくさん・・たくさん後悔したと同時に反省と謝罪を繰り返し繰り返し・・・・入院中、夜中に何度、自分の愚かさに涙したことでしょう。何とも言えない苦い味が心の奥からこみ上げてきました。そうした事を繰り返しているうちに心の奥が小さく『キュン』と痛むようになりました。そして痛みの後に、ほんの少しですが穏やかな気持ちになれるのです。そして心が『スッー』と軽く感じるのです。(なんやろ?この気持ちは?)とにかく胸の奥の方で小さく『キュン』としてから何となく『ホロ苦さ』を感じたら心が『スーッ』と穏やかに・・とても清々しく気持ちいいんです。そんな事をとにかく繰り返すうち不思議と怒りの感情はドンドン減っていきました。それでも時々、怒りの感情がムクッと出ることはあります。その時は怒りの気持ちを言葉に出さないようにしています。そして後でなぜ『怒り』の気持ちになったのか思いだすと大抵、自分の不利益とか自分の思い通りになっていない事でした。(そっか・・やっぱりな。)と心で納得するのですが、やはり人間です時々、妻に『愚痴』を今でも言ってしまうこともありますが愚痴を言った後で『反省』すると・・やっぱり胸の奥で『キュン』とするのです・・これを妻に言うと『お父さん、心の洗濯みたいやね。』と・・・そうか心が汚れたら『洗濯』したらええねん。人間やもんな感情をそうそうコントロール出来ない・・汚れた心を気づかず放ってたらアカンねや。汚れたら洗濯する・・それが反省と謝罪なんや・・そしたら神様は人間に、なぜ『怒りの感情』を与えたのかな?と考えてみたのです。『怒り』の感情を出す時は自分の利益や面子ではなく『愛』が根本にあってこそ許される感情なのかなぁ(●^o^●)その時の表情は決して鬼の形相でなく言葉も荒くないはず・・以前、聞いたことがあります。人間が本当に怒ると、かえって静かに・・冷静になる。本当に怒る時というのは人生、そう何度もない。怒ることで必ずプラスに作用することでなければ怒りの感情は出すべきではない・・そう思う今日このごろです。