高校生の頃、同級生と2人で上島コーヒーの直営すらお店でバイトをしていました(^^;;高校2年だったかな。日曜と祝日だけのバイト。あと冬休みかな(^^;;京阪電車古川橋駅にあったダイエーの中にあった飲食店なので、とにかく忙しいのです(^^;;当時、買い物と言えばダイエー。買い物のついでに寄られるお客様は特に昼から半端なく酷い時は昼休みも取れないまま7時の閉店まで働きました。メニューも多くコーヒーやパフェはもちろん、スパゲティに焼きそば、サンドイッチにホットケーキ、夏はフラッペ(^^;;などなど。キッチンには2人の男性が居ましたが忙しさが増すと、オーダーミスなんかしたら『おい!何をしてんねん!!アホ!』ホールのお客様にも聞こえる声で怒るときも。出来上がったオーダーが並ぶカウンターには次々と新しいオーダー注文が書かれている伝票。シンクには汚れたウォターグラスが山盛り(・・;)『おい!ウォターグラス洗え!』店長から名前も呼ばれず命令されたり(・・;)もう5人のバイトがフル回転。閉店しレジを閉めた店長が『みんな!大入りや!』当時、1日10万円以上売れると大入りと言って大入り袋に千円を入れて即日くれるのです(^^)千円と言っても当時はコーヒー一杯180円で売っていました。焼きそばやスパゲティはキチンと黒い鉄板で卵も乗って330円。バイトの時給か350円の時代です。赤い大入り袋をもらい日曜は閉店後、店長は『お疲れさん!』と言って必ずバイト全員にクリームソーダーを振舞ってくれ、それが、また美味しいの何の(o^^o)ヘトヘトになって、やっと椅子に座ることが出来た幸せと疲れを癒してくれるクリームソーダー(o^^o)そして大入り袋はバイトにとって格別のご褒美だったなぁ。
数年前、当時人気絶大だったSさん。数多くのMCを勤めていて視聴率もあったタレントさん(^^)でも反社会勢力とのお付き合いが原因で芸能界を去られました。数年前の事、SさんがMCを務める某人気番組を見ていた時、私の心の中で何となくツマラナイ空気が吹いていたのです。ひな壇に座っているタレントさんをいじる時とか、何気に発する言葉、そのイントネーションに違和感を感じていたからかも知れません。すると『ワタシ、最近、Sの番組、な〜んか、わからへんけど、ツマラナイ!』隣にいた妻が言うのです。今思うと、多くのレギュラーを持ち司会も務め、収入も年間何億とも言われていたタレントさん(^^)その傲慢さがハナについて仕方なかったのかも知れません。そして最近、関西では毒舌で若い頃は姉妹で漫才をしていた主婦でもタレントのKさん。少し前までは私も妻も面白いなと思い見ていたはずが最近、何となくツマラナイと思って番組を見ていた私の横で『最近、この人の話し方、なんかツマラナイ!前は面白いと思ってたのに。なんでか分からへんけど(・・;)チャンネル変えていい?』リモコンを片手に妻が言うのです(・・;)私も思っていたことなので同意しました。どうも最近、ガヤガヤのバラエティ番組を夫婦して受け入れることが出来なくなっています。多くの芸人さんとMCだけが盛り上がりキツイ冗談も飛び交うやり取りが疲れるのです。探偵ナイトスクープや何でも鑑定団とかは大好きなのですが(^^;;
父が亡くなった時、現金80万円がタンスに残っていただけ(^^;;
あとは何もありません。自分の葬式費用?
足りません(^^;;
足がでました。その時、何故か80万円でも嬉しく思ったと同時に少ないなぁと文句を呟いた自分でした。あれから数年たち
『俺も執着心が無くなったなぁ』とか
『娘達は残さない方がいいのかな?』とかかんがえるようになってきた、ここ最近ですが。
ふと、今朝からベッドの上で愛犬とゴロゴロしながら『執着心なぁ〜。』
何気なく仏壇の上に飾ってある両親の遺影を眺めていると。『!!!』
私が少年の頃から父は
『お金の有り難みを知れよ。』口癖のように言われていたのを思い出したのです。
父は、もちろん生命保険も入っていましたが
知らないうちに解約してました(・・;)
残さないことも親の愛情だったのか?
ふと?
『もし数百万?いや1000万円以上のお金を父が残していたら?』
私は、今のように執着心を無くすことは出来たのかな?いやいや無理でしょう。
思い起こせば、もし?父が多額のお金を残していたら私は間違いなく唯物的思考は止まらず欲が止まらなかったかも?
そして脳卒中になって病気を恨み、悔やみ
欲を満たすことができない自分に嘆き苦しんだかも知れません。
父は亡くなる1年少し前から
物を捨て始めていました。本当に思い出深い物や写真だけを残して。
今日の気づきに
父と母の遺影を見ながら親の深い愛情を
感じました。
もし、残さなかったのは父の事情であったとしても気づきをくれた事には変わりなく
『ありがとう。』素直に合掌出来ました(^^)
あとは何もありません。自分の葬式費用?
足りません(^^;;
足がでました。その時、何故か80万円でも嬉しく思ったと同時に少ないなぁと文句を呟いた自分でした。あれから数年たち
『俺も執着心が無くなったなぁ』とか
『娘達は残さない方がいいのかな?』とかかんがえるようになってきた、ここ最近ですが。
ふと、今朝からベッドの上で愛犬とゴロゴロしながら『執着心なぁ〜。』
何気なく仏壇の上に飾ってある両親の遺影を眺めていると。『!!!』
私が少年の頃から父は
『お金の有り難みを知れよ。』口癖のように言われていたのを思い出したのです。
父は、もちろん生命保険も入っていましたが
知らないうちに解約してました(・・;)
残さないことも親の愛情だったのか?
ふと?
『もし数百万?いや1000万円以上のお金を父が残していたら?』
私は、今のように執着心を無くすことは出来たのかな?いやいや無理でしょう。
思い起こせば、もし?父が多額のお金を残していたら私は間違いなく唯物的思考は止まらず欲が止まらなかったかも?
そして脳卒中になって病気を恨み、悔やみ
欲を満たすことができない自分に嘆き苦しんだかも知れません。
父は亡くなる1年少し前から
物を捨て始めていました。本当に思い出深い物や写真だけを残して。
今日の気づきに
父と母の遺影を見ながら親の深い愛情を
感じました。
もし、残さなかったのは父の事情であったとしても気づきをくれた事には変わりなく
『ありがとう。』素直に合掌出来ました(^^)
今朝の新聞に、またまた過重労働で会社だけではなく人事の責任者に対し労基署は書類送検されています(・・;)書類送検された会社は飲食チェーンの『さとすし半』サブ6協定届け40時間を超える110時間超の残業をさせており過去でも18回の是正勧告を受けていたとのこと(・・;)何のための協定なのか?更に過去、未払い残業代を650名程の社員に支払い合計4億円を支払った事もある会社です。懲りない会社って、こんなものなのかな?これまで飲食チェーンではワタミやすかいらーくの過労死訴訟、最近ではジョイフルなど訴訟問題が頻繁にあったにも関わらずすし半サト、お前もか?サトなどは『バレなければええやん!』を通り越えバレたらバレたで仕方ない。と法律違反を何とも思わないだけでなく従業員という『人』を『人』として思わず真に道具としてしか思ってないのでしょう。従業員が仮に亡くなったり倒れたりしたら『あ、思いの他、対応年数が短かったんだ。』としか思えないのかな?4億円も減価償却費用を一括支払いした感覚なのかな?このような会社の経営者は会社は金儲けの設備としか思ってないのでしょう。会社は経営者の理念と念いで社内の社会が違います。従業員を金儲けの道具として見ている会社はお客様はお金を運んでくる運搬車にしか見えないのかも知れません(・・;)お客様が、それに気づいた時、不思議と、その会社は衰退していき社会から淘汰されると思います(^^;;すし半サト、淘汰されないとわからない会社かも知れませんが意外にもシブトイかも。従業員を大切にして欲しいものです(^^;;
消費者金融会社で勤務していた頃、特に北海道で支店を統括するマネージャーに昇進した当時は思い出深く心に残っています(^^)僅か5店舗でしたが函館、小樽、苫小牧、岩見沢、東室蘭ととにかく距離感半端ありません。住まいは札幌、常駐支店は苫小牧なので基本、札幌から苫小牧まで特急スーパー北斗で通勤してました(^^)確か札幌から40分。でも支社が札幌市内にあったので、朝はチョクチョクと支社に顔を出してから苫小牧まで行ったり、支店回りをする時も支社へ顔出してからということも多く、またマネージャーと支社長のミーティングなどもあり苫小牧へ通勤は月の半分くらいでした。一番、遠いのが函館(^^)札幌から250キロ離れています。スーパー北斗で当時は終点駅。勿論、出張となり大抵は一泊します。函館、苫小牧、東室蘭はスーパー北斗。小樽は札幌から在来線で30分くらいかな?とにかく景色が綺麗です。札幌から小樽に向かうときは右側の車窓が最高!途中から海が見えるのですが線路の近くまで石狩湾が広がりますが冬になると山側や海岸線から見える岩に雪が積もり海とのコラボレーションが美しいのです(^^)そして何と言っても殆どの支店が海に近く海産物が美味しい!だから出張が楽しくて楽しくて(o^^o)私は京都から支店長として札幌駅前の支店へ異動の後、翌年、北海道でマネージャーへと昇進しましたが初めてのマネージャー業務で北海道は最高の場所でした(o^^o)