脳出血で無職になった親父のブログ

株式投資に腕時計が好きなオッサンのブログです。年齢を重ねスピリチュアルにも興味を持ったお蔭で人生感も変わりました。

ススキノでストリップ(^^;;

2016年06月30日 13時20分45秒 | 北海道は楽しい
ススキノは大歓楽街(^^)風俗店、キャバクラ、アルクラ、クラブにスナック、ストリップなどなど(^^)私が北海道に来て、まなしくらいのときにストリップがオープン。その名も『道頓堀劇場』(o^^o)は?北海道で道頓堀はないっしょ?何故か大阪の道頓堀を劇場名にさしているのです。あ、ススキノの飲み屋さんに行くと関西人は結構、人気者になりますよ(o^^o)今は知りませんが。道頓堀劇場がオープンして札幌市内にいる社内の、とある女子社員が一度、行ってみたいと言っていると私の同僚が来たのです。女の子が?なんでストリップ?同僚に尋ねると女子だからこそ、一度は、どんなとこか行ってみたいらしく、その子の他に数名が行ってみたいと。『ふ〜ん、じゃ行ってみる?』と同僚に。その同僚と私で女の子達の入場料金も負担してあげて確か5、6人で行ったと記憶しています(o^^o)会社の経費は当然、認められませんから私達2人の自腹(・・;)もう18年近く前の事ですから余り覚えてませんが劇場に入ると、それなりに照明は暗く、やがて1人の踊り子さんが登場すると?一緒に行った女子社員『え?お母さんみたい!(^^;;』場内に声が響きました。客の大半は男性。若い女の子の声が劇場内に響くと、ざわざわ。中にはこちらに視線を向ける人も。そらそうです。ストリップは男性の楽しむものですから。入場料金は覚えてませんが、そんなに高くなかったと記憶してます。おばさんストリッパーはミュージックに合わせた踊り始めました(^^;;
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20歳そこそこの恋(o^^o)残酷な私

2016年06月30日 10時04分31秒 | スピリチュアル
デートの約束。日曜の昼過ぎ。私は彼女の自宅近くにあるバス停に向かうためハンドルを握っていました。助手席にSさんをのせて。私の胸のこどは近づくにつれて大きく揺れていくのでした。なんで?こんな酷いことを俺は。社内のBGMは大滝詠一が流れていました。そう。ロングバケーションは私と彼女の思い出が沢山、詰まっていたのだす。【雨のウェンズデイ】【愛しのカレン】今でも、この二曲を聴くと当時が思い出されます。私は香里園に住んでいましたが彼女は、その香里園にある聖母女学院の学生でした。学生だった彼女を迎えに行き学校の前で車内で待っていた時も大滝詠一を聴いていたことも多くありました。その曲を聴きながら別の女の子と。そして彼女に別れを告げるため。高槻市街から山側へ向かい少しずつ傾斜もきつくなり、坂を上り切ったところにバス停がありました。『ここなの?』高槻市内に入ってから沈黙していたSさんが重い口を開いて言ったのです。私は黙ったうなづくと『環境のいいとこやね?山手の住宅地。私の実家とは大違い』Sさんは八尾の下町育ち。近鉄八尾駅から徒歩で3分のところに実家はありました。暫くするとバス停に向かって坂道を歩いてくる彼女の姿が見えました。白のスカートに、お気に入りのバーバリーのバッグを持って。『あ!あの人?』Sさんも彼女を見て言いました。『そう。あの子。チョット、車で待ってて!』Sさんを車に残し私は彼女に近づきました。何も知らない彼女は笑顔で応えていますが、それも一瞬でした。彼女の視線が私から私の後ろへと移ったのです。もう、事態の全てを理解した彼女の目からは涙が溢れ始めました。私は、もう何を言って良いのか(・・;)『ゴメン。』精一杯の一言でした。振り返るとSさんが。『初めまして。Sと申します。』そのあとSさんは一言、二言何か言いましたが彼女の耳には届かなかったようでした。彼女は私があげた指輪を外し地面に投げつけて、やってきたバスに乗り込みました。私は、ただ彼女を黙って見送っていたのです。バスの窓から泣きながら彼女は私を見ていました。なんという残酷なことをしてしまったんだろう。私は彼女の心を傷つけた後悔ばかりが募ってきたのです。
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乗り越える事の意味を知る(o^^o)

2016年06月30日 09時31分03秒 | スピリチュアル
『いろいろ、あったなぁ〜(^^)』妻がポロリと溢した一言が心に染み込んできました。久しぶりに夫婦で静岡まで旅行に来た翌朝、朝食まで少し時間がある間の会話でした(^^)『やっと、旅行に来れる心の余裕が出てきたなぁ。』私が返すと『思えばこの数年、大変なことばかり』平成19年、希望退職した私。そこから我が家の試練の始まりでした。『逃げずに乗り越えてきたね(^^)』振り返ると家族がバラバラになっていながらも家族が一丸となって困難を乗り越えてきた実感がありました。今では娘達も一人暮らしして家には居ませんがLINEや電話は頻繁にあり時々、大阪の義母宅に何故か集まる機会も増えてきたのです。困難は何の準備もせずにやってきますが楽しみは自分達で準備しないとやってきません(^^)本当に毎日のように涙を流し、息も詰まりそうな出来事が怒涛のようにありました。『なんで?なんでウチの家族ばかり(・・;)』街を歩くと幸せそうな家族、カップルを見ては『腹が、たつ!』妻は溢していました。でも困難は、どこの家族にも降りかかってきているのです。そこから逃げても逃げきれないのが運命。困難は幸せの予兆(^^)乗り越えれば必ず、やってきます。人のせい、環境のせい、違います。キチンと困難と向き合い家族で乗り越えれば幸せはやってきます。それは穏やかな日常、家族の健康、それが、1番の幸せであることに気づかせてくれます。困難と幸せは表裏一体(^^)光と影。神様は努力に応じたご褒美を必ず下さいます。そのご褒美は心に温もりであったり、穏やかに暮らせるお金と時間かも知れません。妻は数年間の困難が怒涛の如くやってくるたびに『わたし(・・;)真面目にやってきたのに!なんで?』嘆き悲しみ言っていましたが、おそらく私達家族のカルマなんだと。そして、そのカルマの一分?半分?それは、わかりませんが少しは解消したのかもと。困難を乗り越えた今では、経済的には余裕も。でも、もう一山あるのは義母の認知症ですが、これまでの困難を乗り越えた私達家族。『お義母さんのことは、キチンと向き合って行こうね。』わたしは義母の事について妻に昨日の朝、旅行先のホテルで食事をしながら話したのです。『そこまで?そんなに?わたしのお母さんのことで考えてくれてるの?』私は妻を産んでくれた義母、私の仕事に偏見を持たず妻との結婚に賛成してくれた義母への恩返しであると同時に今は亡き私の両親には何の親孝行しなかった分、義母へ孝行したいのです。『この数年間、ホンマ、色々とあったけど乗り越えたオレ達家族やで!お義母さんの認知症は十分に向き合っていける!な。(o^^o)』妻は笑顔で応えてくれました。
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20歳そこその淡い恋、そして更に(・・;)

2016年06月29日 06時04分10秒 | わが半生
彼女を裏切った私(・・;)その後、同じ支店の女の子、そう彼女を裏切ったときの相手と交際することに(・・;)『私の前で別れて!』え?なんと、自分の前で別れ話をして欲しいと言うのです。もちろん、私は断りました。しかし本当に分かれるかどうか、信じてくれません。相当、もめましまた。私は彼女を、これ以上、傷つけたくなかったのですが(・・;)この時、私は同僚のSさんを好きになっていたのです。容姿に(・・;)今から思うと(・・;)性格は彼女の方が格段に美人でした。でも、彼女との交際を認めないご両親は当時の私にとってハードルは天井のように高く、彼女への想いを断ち切るにはSさんの存在は私の心を複雑にしていき、彼女から見れば私の行動は冷たく、我儘で、エゴの塊でしか映らなかっただけでなく、彼女の心に大きな傷、深い絆を付けてしまったのです。そして、私の取った行動は数年後、私自身へ跳ね返ってくるとも知らずに。私は彼女にいつものように信託銀行へ電話を入れデートの約束をしたのです。今度の日曜、会おうと。場所は彼女の自宅近くのバス停に(・・;)彼女の自宅は大阪、高槻市の山手にある住宅地。近くは今頃ならホタルも見られる摂津峡。私はSさんと共に行くことに。そんなことは全く知らない彼女は、いつもの明るい声でデートの約束をしてくれたのです。
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旅行なう(o^^o)

2016年06月28日 08時00分52秒 | 自宅療養
脳出血で倒れ懸命にリハビリを頑張り、退院してからも自宅で、とにかく手足を動かすことを続けています。何とか旅行にいけるようにもなりました(^^;;思えば、座ることさえできなかった私が(・・;)
今日は静岡まで旅行中(o^^o)
昼食は鰻でした!ふわふわの身。タレのアジがシッカリ(o^^o)

ウナギパイの工場見学の後、今度はお茶へGo!
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