長女が拒食症になったのは高校2年生でした。小さい頃から頑張り屋で真面目な女の子でした。私の転勤につぐ転勤で小学校を5回も転校したせいもあり友達らしい友達もできなかったと思います。小学校五年生から地元に戻り引っ越しこともなく中学生になり吹奏楽部に入ってフルートに熱中していました。何事にも前向に自分自身が納得出来るまで頑張るのが長女の長所でもあるのです。そして高校受験を控え猛勉強をしましたが希望の高校は残念ながら不合格、長女は、それでも気持ちを持ち直して大阪の私立高校へと進学しました。一応、特進コースということで本人なりに納得しようとしていたのですが2年生になり、理系と文系に分かれてのクラス替えがあったのです。文系の長女は仲の良い友達と離れ離れ、2年生に進級して五月に転校したいと言ってきたのです。勿論、猛反対しましたが、その直後から御飯を食べなくなりました。暫くは私達夫婦は、この時のことが原因で拒食症になったと思っていたのですが、これはキッカケであったと今では思います。本当の原因は、もっと深くて長女の心の糸が複雑にからんでいて私達夫婦に原因があることを分かり始めたのは恥ずかしい話しですが、ごく最近になってからです。
タダ・・無料のものって何を思い浮かべますか?街頭で配布されているティッシュ、スーパーでの試食品・・飲食店での水やお茶・・果たしてどれだけの数を思い浮かべます?外国では街頭でティッシュを無料配布など考えられないそうですが・・物のタダを多くは思い浮かべるんだと思います。私達の身体って生まれた時、親から与えられた何よりも大切な身体と命は『タダ』ですよね?親が誰かにお金を払って生まれてきたわけではありません。昔・・ドラマで『借金返せないなら腎臓売れ!』とかいうセリフを聞いたことありますが、人間、そうそう自分の身体を切り売りしません。内臓も耳も目も、もともとは神様が人間に与えた無償の宝なのです。明石家さんまさんが、自身の娘でありう”いまるさん”が生まれてきたとき生きてるだけで丸儲けとして”いまる”と名前を付けたのは有名ですが私は病気になり左半身麻痺になって漸く理解できました。生んでくれた両親に感謝の念でいっぱいですが、その両親に一言も”ありがとう”と言えないまま両親は天国へと逝ってしまいました。今、二人の娘を持っていますが次女から『勝手に産んでおいて!もっと幸せにしろよ!!』『なんで、もっと可愛らしく産んでくれへんかってん!!』このような事を言われたことがあります。普通なら叱り飛ばすか軽くかわせる言葉も返せるかも知れませんでしたが私は無言でした。なぜなら私も思春期の頃似たような言葉を両親に言ったことがあるからです。因果応報・・かも知れません。いつか娘達も分かる頃が来ると信じています。神様から与えられた最高の性能を誇る人間に生まれたことへの感謝の心が芽生えること。無償で与えられた命を大切に、そして人の役に立てる純粋な心を持って生きて行ってほしい。世の中、お金で買える物も多く、そして人の心さえもお金で『変える・・かえる』世の中です。でも『命』と『愛』はお金では買うことも変えることもできません。その両方は【無償】です。五体満足の健康体が普段は当たり前と思っているのは当然と言えば当然ですが、その当たり前を感謝する気持ちを持っていなかった自分の未熟さを反省しています。
先月、妻と健康診断に行きましたが妻は健康そのもので良かったのですが私は【便潜血・要精密】と診断され今月6日に大腸内視鏡検査の予約をしに行きました。そこの病院では内視鏡検査の際に鎮痛剤に麻酔をするとのこと。痛みは伴わないけどガスを入れるのでお腹が張りますと医師より説明を受け無意識のうちに検査が終了するらしいのです。大腸内視鏡検査は痛みが伴い胃の内視鏡よりも苦しいと聞いていたので”ホツ”としていたのですが・・・医師より、ごく稀に裂孔し腸に穴があく場合があります。その時はすぐ手術し処置しますので同意書を渡しておきます・・・との言葉に新たな不安が・・・帰宅しネットで見ると医師の腕と技術が重要らしく痛みも医師次第・・・むしろ痛みがある方が良いこともなどと書かれています。来月、1泊2日での検査入院ですが不安でいっぱいです。便潜血で大腸がんの発見は全体の3%らしく多くは普通のポリープや痔が原因だとか。私は痔持ちなので、おそらく、それではないかと。万一・・癌であっても余程の進行癌でない限り現代医学では完治するそうです。不安だらけで、とにかく落ち着きません。
先月のことです。妻が『おばあちゃん(私の義母)から電話あって・・お義姉さんから遺言書書けって言われたんやて!!どう思う!?』聞くと義母の土地・建物に京都の山林、預金口座についての遺言書を書いて公正証書を作るように言われたらしいのです。義理の姉は当初、全ての財産は放棄するよな事を、そのほんの数週間前に言ってたらしく、それが一気に変わりいきなり遺言書とは・・妻の兄は相続やら難しいことは一切と言ってよいほど分かっておらず嫁に任せきりのようです。私は妻に確認しるとお義姉さんは半々でと言ってるというので『それやったら別に遺言書なんか作らんでも法定相続でええやん、それに、お義母さん、まだ生きてはるんやで・・ちょっとなぁ~』というと妻も、それが腹立たしくまた義母も『ワタシ、まだ生きてるんやで!遺言書く書かないは私の意志や!!なんで嫁に言われなアカンの?』と電話で妻に泣きながら訴えていたようです。義母は70歳後半ですが経済的にも精神的にも自分で頑張り息子や娘に一切、世話にならず義父が他界したときの葬儀代金から全て自身でやっています。義母は義父が脳梗塞で倒れ仕事ができなくなって以来、昼夜働き住宅ローンも完済させた頑張り屋さんです。子供たちには愚痴一つ言わず・・・妻は、そんな母親の後姿を見て育っているので『たぶん兄は細かいとこまで知らんのやろうな・・』義理の姉は8年間、義母の家を訪ねておらず正月すら顔を出していなかったのです。今年の正月、私の長女が義母と『おせち料理』をつついていると突然、お義姉さんがやってきたらしく長女は(?なんで、叔母ちゃんが来たんやろ)と思ったようで・・・その数日後、義母がめまいで倒れ救急車で運ばれた時に義姉が病院で『お義母さん、遺言書書いてください!』といったそうです。なんと【心】の無い一言か・・・退院後、義母も書店に行き遺言書の書き方なる本を購入したようですが口惜しさに妻へ電話してきたのでした。妻は『今度、そっちに行くから・・遺言書なんか書かなくていいし(泣)』と告げたそうです。高齢のお義母さんには余生、穏やかに暮らしてほしい・・働きづめの人生、やっと、つつましやかな年金での生活をしている母に妻は、ただ私に『お母さんに安心してほしいから・・今度、一緒に行って遺言書なんか書かなくていいように言ってあげてほしい。』妻の目に大きな涙がこぼれました。
朝ドラ『マッサン』を楽しみに観ているのですが日本が戦争を始めた時代がドラマの中で演じられています。ドラマの中でのセリフで『贅沢は敵・・』という言葉が出てきました。当時の日本は全て【お国のため】で国民全体が洗脳されていたかも知れません。お国のために命を懸けて戦っている兵隊さんがいるのもあるでしょう。また貴重な食料や衣類で全国民が質素倹約に努めなければならない時代でもありました。そして平成の現代・・日本という国は豊になり衣食住ともに当時とは比べ物にならない程、物資が豊富になりました・・・が贅沢によって失われたものもあるような気がしてなりません。贅沢によって多くの人達の心に【すきま風】が吹いているのではないかな??当たり前になりすぎて【感謝する心】が薄らいでいるような気がします。衣類は流行もの、食べ物は、やれフレンチだイタリアンだと・・●●の店の××でなければいけないとか・・・私が子供の頃は母が作ってくれたカレーライス・・卵焼きがとても御馳走でした。夕方、遊んで家に帰ってみると、ほわ~ンとカレーの臭いがするだけで幸せを感じたものです。贅沢になると・・人は、どこか傲慢になったりしませんか?マッサンを観ているうちに贅沢は・・自分の心との闘いになるような気がします。当たり前のことに感謝出来る心・・当たり前な事って失って初めて、その大切さがわかるのでしょうね。私も健康な時には当たり前のように食べ、身体も動き車も運転していました。でも左半身麻痺になり身体も動かなく味覚も障害が出ておいしい食べ物の味も鈍くなり目も二重に見える複視障害・・・当然、車には乗れません。これを悔やんでも仕方ありません。当たり前に出来ていた時には何の感謝の念もなく・・でも今では少し身体が回復すると心から感謝し喜びになっています。有名店の贅沢な食事より母や奥様の手料理が、どれだけ御馳走なのか・・そこには【愛情】があります。そして母や奥様にしか出せない味があります。私は時々、幼い頃よく母が塩むすびをしてくれました。あの【おむすび】の味は結局、人生55年で母だけの味です。温かいご飯にサッと塩をまぶして握る・・たった、それだけでしたが本当に美味かったです。贅沢は敵・・過度な贅沢は自分自身の心を曇らせてしまうのでは?贅沢は何か頑張ったあとの御褒美が一番ではないでしょうか。