初回
DQX毛皮を着たヴィーナス
前回
『毛皮を着たヴィーナス』ヴァンダ
<スリッパ>
それから毎日、わたしは彼女といっしょに暮らしている。
階下の忍冬亭でいっしょに朝食をとり、二階の彼女の居間でお茶を飲む。そしてときどき彼女の美しい姿をありのままに絵に描いてみたく思う。
昨夜は彼女のためにゲーテのローマ非歌を読んでやった。即興詩も作ってやった。
彼女は喜んでわたしの詩の言葉に夢中になって、
ふくらんだ胸を大きく波打たせた。彼女に対するわたしのこれまでの心のへりくだりは取りのぞかれ、わたしは恐怖心をすっかり忘れて、彼女の白い手に熱烈に接吻した。そして彼女の足もとにすわって、詩を読みあげた。
君の足を、君の奴隷わたしのうえに置き
ああ、君はなかばは地獄、なかばは夢の人
暗く沈む影のなかに、しなやかに
伸ばした君のからだは輝やく・・・・・
今日、ふとこんなことをいった。
「あなたは、わたしに興味を起こさせてくれますわね。たいていの男のかたは平凡で、感激も詩も持っていないのが普通ですけど、あなたの熱中ぶりや真剣味には、なかなか深みと雅量がありますわ。それがわたしを喜ばしてくれますの。わたし、これからつとめてあなたを愛するようにしてあげますわ」
猛烈な驟雨(しゅうう)のあと、わたしは彼女と連れ立って、牧場のヴィーナスの像のところへ歩いていった。地面からは水蒸気が立ち、もやが沸いていた。それが香料の煙の雲のようになって大空へのぼっていく。虹がまだ空の一角に残っていた。木々の梢からしずくが落ちている。雀やウソが枝から枝へ飛びかい、陽気にさえずっている。すべてが新鮮な香気に満ちあふれていた。
牧場の日の光のなかで小池の水面のように見えた。愛の女神ヴィーナスの像は、その水面の波間から起きあがっているようだ。女神の頭のまわりには昆虫の一群が舞っている。それが尊い円光のように見えた。
わたしの愛する未亡人ヴァンダはこの景観を楽しんだ。
「わたしを愛してくれませんか」
「愛せないなんてことありませんわ」
彼女は、澄んだ瞳でじっとわたしを見つめた。つぎの瞬間、わたしは彼女にひざまずいて、燃えたつ顔を彼女のかぐわしい衣のはしに押しつけた。
「ゼフェリン、そんなことをなすってはいけないわ」
「あなたはだんだん悪くなるばかり!」
彼女はさっと身をひいて、宿の二階へ逃げ去ってしまった。
しかしわたしの手のなかには、彼女の愛らしいスリッパの片方が残っていた。
「わたしのスリッパは?」
「部屋においてあります。あれをボクにください」
「いいえ、持ってきてちょうだい。そしたら、いっしょにお茶を飲みながら、お話しでもしましょう」
わたしがスリッパを取りに行ってもどってくると、
彼女はお茶を入れていた。わたしはうやうやしくスリッパをテーブルの上に置いて、こらしめを待つ子供のようにおそるおそる立っていった。
彼女は唇のあたりに冷酷と優越の表情を浮かべて、
「あなたは、ほんとうにわたしを愛していらっしゃるのね」
と、ほがらかに笑いだした。
「そうです。そのためにわたしは、あなたの想像以上に苦しんでいます」
「苦しんで? オホホホ」
彼女の嘲笑に、わたしは憎悪をおぼえ、屈辱を感じ、打ちのめされたような気持ちになった。
「わたしも、心からあなたが好きなのよ」
彼女は手をさしのべて、親しげにわたしを見つめた。
わたしもじっと見かえし、
「では、ボクの妻になってくださいますか?」
「どうして急に、そんなに勇気がでてきましたの?」
「勇気が?」
「そうよ。女性にむかって妻になってくれるかどうかってきけるのは勇気よ。わけてもわたしにむかって、ホホホ、冗談はぬきにして、ほんとに、わたしと結婚したいと思っていらっしゃるの?」
「そうですとも!」
「おお ゼフェリン!それはよく考えねばならない問題よ。わたしは、あなたを信じているわよ。あなたを深く心にかけていますわ。」
「わたしたちの間には、すぐに退屈になるような危険はありませんわね。でもわたしは、もともと浮気っぽいのよ。」
「それだからこそわたしは、結婚をいっそう厳粛に考えていますの。でも気がかりよ、きっと、あなたに・・・・」
「どうぞ率直におっしゃってください」
「それなら、いうわ。わたしには一人の男の人をそういつまでも愛しつづけそうにないのよ。せいぜい・・・・」
「一年ぐらいですか?」
「きっと、一ヵ月くらい」
「それっぽっち!」
「じゃあ、二ヶ月くらい」
「たった二ヵ月!」
「二ヵ月といえば、ずいぶん長いわよ」
「あなたは、ギリシャの神さまたちよりひどい!」
「そらごらんなさい。あなたは事実を知れば、たえられなくなるじゃありませんか」
彼女は暖炉に背をむけて、わたしのほうをじっとみつめて、
「これからなにをして遊びましょうか?」
と話題をそらせた。
「なんでも、あなたを喜ばすことができるならば」
「それは理屈に合わないわよ」
と彼女は叫ぶようにいった。
次回
『毛皮を着たヴィーナス』分担