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『毛皮を着たヴィーナス』誓約同意書

2019-10-17 02:31:55 | DQX毛皮を着たヴィーナス

初回

DQX毛皮を着たヴィーナス

前回

『毛皮を着たヴィーナス』召使い

<誓約同意書>

 その夜わたしは悪魔に襲われどおしだった。

 大きな白いメス熊に抱かれて、鋭い爪をからじゅうに突き立てられるように感じて、わたしは絶望の叫びをあげて目をさました。

 わたしの耳の奥には、彼女の悪魔的な嘲笑がいつまでも残っていた。

 朝を迎えるとわたしは、はやばやとベッドを離れて、彼女の部屋のドアの前に立った。

「グレゴール、こちらへきてご飯をおあがり」

「はいだっち」

「ご飯がすんだら、わたしたちは家をさがしに出ましょう。ここのホテルでは困ることが起きるからよ。おまえと一分以上話していようものなら、すぐに人の噂にのぼってしまうからよ」

 わたしたちは、それから半時間後にはホテルを出て、家を探し歩いた。

 そして彼女が見つけた快適な小さな別荘は、カシタ市のむこう側の、アルイ河の左岸の愛らしい丘の上に立っていた。

 美しい庭園にかこまれた二階建ての家で、可憐な小道、草地、椿の咲く牧場もあった。古代の彫刻の石膏像をならべた柱廊もあって、そこから大理石造りの浴室に通じていた。

 彼女は二階の部屋を自分のものにし、廊下の一室をわたしにふり当てた。わたしの部屋には美しい暖炉がさえついていた。

 次女がわたしを迎えにきた。わたしは大理石の階段をのぼり、壮麗なサロンを通りぬけて、彼女の寝室の前に立ってドアをノックした。

だがなかなか応答がなかった。わたしはまたノックして、じっと待っていた。

 そのうちふとドアが開いて、

「おそいわね、どうしたの?」

 と彼女は軽くわたしをたしなめた。

「さっきから、たびたびノックしたのだっちですが、お耳にははいらなかったのだっちでしょう」

 わたしはおずおずしていると、彼女はわたしの腕をつかんで、ぐいとなかへ引き入れ、ドアを閉め、わたしに抱きついてグレーの緞子(どんす)の長椅子のところへ連れて行った。

 彼女は、見る人をうっとりとさせる着流し姿であった。白い緞子の服は、すらりとしたからだから、優雅にすべり落ちた。

 緑色のビロードの裏のついた貂の毛皮の黒い色で無造作につつまれた腕や胸がむき出しになった。赤い髪の毛は背中から臀部のあたりまで垂れさがっていた。

「たしかに、毛皮を着たヴィーナス!」

 と、わたしは思わずつぶやいた。

 彼女は、ふくよかな、あらわな胸にわたしを抱きよせて、何度も接吻をくり返した。その激しさに、わたしは窒息しそうになった。わたしの心は、想像を絶した幸福の大洋のなかへ押し流された。

「あなたはまだ、わたしを愛していらっしゃる?」

 彼女はあだっぽい目つきで、激情をとけ込ませるように、わたしをじーっと見つめながら、甘ったるい口調でたずねた。

「いまさら、そんなことを!」

 とわたしには呼んだ。

「あの誓いを、まだおぼえていらっしゃるわね?」

 と彼女は誘惑的に微笑を浮かべて、

「さあ、これで準備は万端ととのったわ、わたし、もう一度ききますが、あなたはいまでもほんとうにわたしの奴隷になっていたいと望んでいらっしゃるの?」

「そのつもりでいるではありませんか」

「でも、まだあの書類に署名していなかったわね?」

「書類?なんの書類ですか?」

「いつかの誓約の書類よ。でもいいわ、わかったわよ。あなたは、もうおやめになるつもりないのね。それじゃ、そうしましょう」

「しかしヴァンダ、ボクにはあなたにつかえて、あなたの奴隷になる以上に大きな幸福はないことをご存じでしょう。ボクは、完全にあなたの支配のもとにあれば、どんなものでも支払えます。たとえ死でも!」

「それでわたし、第二の同意書をこしらえてあるのよ」

「書類を見せてください」

 彼女は、文庫のなかから二通の書類を取り出した。

 第一のものにはこう書いてあった___

 ヴァンダ・フォン・ジュナウ夫人とゼフェリン・フォン・クジムスキーとの間の同意書。

 ゼフェリン・フォン・クリムスキーは今日をもって、ヴァンダ・フォン・ジュナウの婚約者たることを取りやめ、それに関するいっさいの権利を放棄する。今後、彼は一人の男性として、高貴な紳士としての名誉の言葉にかけて、彼女の奴隷となり、彼女が彼を自由にもどすときまで、継続することを誓約する。

 フォン・ジュナウ夫人の奴隷として彼はグレゴールの名を持ち、無条件で彼女の要求のいっさいに応じ、彼女の命令いっさいに従うべきこと、彼はつねに主人に従順であり、主人の恩恵のいっさいの指示を絶大な慈悲と考えるべきこと。

 フォン・ジュナウ夫人は、その奴隷のもっとも軽微な怠慢、または過失にたいしてすら、彼女自身が最善と考えるところに従って、罰する資格があるばかりでなく、彼女自身の気分の動くままに、または単にときを過ごす手段として彼を拷問にかける権利を有する。彼女が望むかぎりは、いつでも好むままに、彼を殺してもさしつかえない。要するに、彼は彼女の制約なき財産である。

 ゼフェリン・フォン・クレムスキーは、彼女の奴隷として経験し、こうむったいっさいのものをすべて忘れることに同意し、いかなる事情のもとでも、けっして復讐、または報復を考えないことを約束する。

 フォン・ジュナウ夫人は、その利益のために、女主人としてできるかぎり、しばしば毛皮を着て、彼の前にあらわれることに同意する。彼女の奴隷にたいしてなんらかの残虐を加えようと思う場合には、特にしかりである。

 第二の書類には____

 わたしは長年にわたって生存と幻影に飽きてきたので、自分の無価値の生命に、みずから週末をあたえる意志の自由を有する。

 次回

『毛皮を着たヴィーナス』慄然

 


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